へっくち。
鼻先をむずむずとさせられて、三上がようやく目を開ける。相変わらず、でかい顔のままの渋沢がいて、まどろんでいた気分が一気に急降下した。
そういえば、小さかったんだった。
寝ぼけまなこをこすりながらムっとするのを、実は目の前にいる渋沢が眩暈をこらえながら見つめてるなんて知らない三上だ。自分のことで手一杯なのはあたりまえだけど。
それにしたって、小さいというのはかわいいものなんだなあとコメントしかけて、我に返った。危うく、更なる墓穴を掘るところだったと胸をそっとなで下ろした渋沢が、必死に自分を叱咤激励しながら、「おはよう」とか挨拶してみたわけだ。
「……」
「食事、持ってきたぞ?」
機嫌の低空飛行に敏感に気が付いた渋沢がおそるおそる言う。その手には細くこよりにされたティッシュがあって、その向こうにはお盆にのせられた食事が見えた。
「今…何で起こしたんだよ?」
「…これだが」
「…………」
「おまえに触るのは怖いんだ。仕方ないだろう」
こよりにしたティッシュでつついたことがどうやら気に障ったらしい。
それを察した渋沢はいささか慌てた。さっきだって、そりゃあ気を使って慎重にそっと揺り起こしたことを思うと、何か別のもので触った方がよっぽど安心なんだと言っても、既に斜めに傾いだ機嫌は戻らなさそうだ。
「まあいいけど」
寝癖がついてる頭をぐしゃぐしゃとかきまぜて、タオルの中から這い出てくる。四つん這いでかきわけてくる姿を目にした渋沢はとりあえず、机に手をかけたまましゃがみこんだ。
自分にこんな趣味があったなんて思わなかった。身の丈十センチ程度になっただけで、仕草のいちいちがこんなにかわいらしく映ることも知らなかった。しかし、口にしたら最後だということも重々承知していて、そのジレンマに苦しむ渋沢は必死に平静な顔を取り繕って立ち上がる。
「何してんだよ?」
首を傾げて尋ねられた。少し屈んでいるせいで、さっきよりも近い位置で彼を見ることになって、何というか忘れていた不安も呼び起こされる。
「何でもない。メシは…どうやって食べようか」
冷ましてきたからさわれないほど熱いものはないが、今の三上のサイズだとごはん粒ひとつ消化するのにも一苦労しそうだ。考えても仕方ないことはとりあえず棚上げして、目先のことを優先する。
そう、食事だ。
ごはん茶碗とおかずが盛られている皿をざっと眺めた三上が、とりあえず茶碗のところに寄って行った。
「メシ、取って」
当たり前だが、一粒ずつだろうな…と渋沢は箸を持って考え込む。
特に指定はされなかったが、ごはん粒をひとつ箸で差し出せば、三上は両手でそれを受けとった。しばらくにらめっこするように向かい合う。
でかい。何てでかいんだろう、御飯粒って。
直に持てるくらいだからそんなに熱くはないのだが、これはやっぱりかぶりついて食するのがベストなんだろうな…とかいろいろ考えていたのだ、これでも。
行儀とか作法とか、もうそんなのはすべて超法規的措置で無視するとして、両手で抱えたごはん粒の先の細くなった方に齧りついた。
「熱くないか」
渋沢の声に目線だけ上げる。
「だいじょうぶ、次、卵焼きな」
一番食べやすそうなものの名前をあげて、三上は再びごはん粒一粒との格闘に戻る。多分、これと卵焼きで腹いっぱいになると思う。卵焼きをどうやって食べるかはもう渋沢にまかせる。考えることはたくさんあるのだが、これ以上苛々しても無駄だと、何だか開き直ってきてしまった。
卵焼きは箸と楊枝でほぐしてくれた。
冷やし中華にのってる卵よりももっと細くそぐように分解された卵焼きには三上も感心したが、楊枝を両手で掴んで食べるにはいささかバランスが悪くて、こればかりは渋沢が差し出すその楊枝に両手でつかまって、直接卵焼きにかぶりつくことになって、いたたまれない気持ちで倒れそうになった。
こんなとき、理性が邪魔だと思う。
べたべたになった手と顔を濡らしたティッシュで拭って、やっと一息ついたとき、渋沢が疲れたように椅子に腰掛けて、その音に驚かされた。
消しゴムを椅子代わりにしていた三上が飛びあがったのに、今度は渋沢が焦って「ごめん」と謝る。
「なんだよ?」
「……ちょっと頭冷やしてくる…」
「は?」
「まずいこと口走りそうだ」
立ち上がった渋沢のジャージの袖口を引っ張られる。何かと振り返れば、力一杯ぎゅっとつかんでいる三上の姿があって、机の上から落ちそうになるバランスの悪さと危うさにまた机にとりついた。
「危ないじゃないか」
ぱっと手を離されて、それはそれで惜しいなと思った渋沢だ。つかんだ本人もあまり意識していなかったのか、黙り込まれてしまった。
「あんまり机の端に来ないでくれ。肝が冷える」
「そんなに運動神経は悪かねえよ」
「わかってるけど心配なんだ」
立ち上がったばかりの椅子に腰掛けて、ちゃんと机の端をガードした。そうして、右の人差し指で、目の前にちょこんとすわっている三上の頬を撫でたところで、渋沢は己の行動に愕然とする。
三上は三上で、撫でられた反動で少しばかり嫌そうにかぶりをふって、固まっている渋沢に気がついた。
でかい顔でじっと見つめられるとコワイんだよな…と思いつつ、ぼーっとしているから手を振ってみた。
すると、みるみるうちに赤面されて、なおのことびっくりする羽目になったじゃないか。
「渋沢……?おまえ、熱でもあるんじゃねえの」
三上に触れた指先を反対に握り返してやる。
反対の手が渋沢の口元を押さえ、やがて呻くようにつぶやかれた。
「あんまり……かわいいことをしないでくれないか……どうにかなりそうだ」
「してねえよ」
「してる」
「どこが!」
「何もかもが」
くだらない言い合いになったが、ここで渋沢が大声を出せるわけもなく、抑えた口調ですすめようとしても、どっちかというと逆上するのは三上の方で、足を踏ん張って怒鳴ろうとしたところで、力が余って思わず滑ってしまったのだ。
彼の小さな足を包むのは小さな靴下で、それが机の上ではうまいこと摩擦も何もなく滑らせてしまったようだ。
慌てて指先で抱き起こしてやった渋沢が、彼を消しゴムの上に戻す。
「頭、打ってないな?」
「平気……」
どきどきしているのがよくわかった。胸元をおさまえて、おっきなため息をついている。
「靴下、脱いだほうがいいんじゃないか」
つま先を指でつつきながら問いかければ、しばらく自分の足と机を見比べて、三上はその小さな靴下を脱いだ。辺りを見回してちょうどいいしまい場所を探すと、目の前に意外なものが出現した。
「ここにかけておけばいいだろう」
今の三上には小山のように見える針山。
まち針が適度に刺さっていて、確かにかけておくにはちょうどいい。よく気がつくというのは、ときに人を萎えさせる。
渋沢が小さくなったとき、自分はかなり動揺したと思うのだが、反対になってみたらどうだろうか。およそ、この男、楽しそうに見えて仕方がない。
「楽しそうだな、渋沢」
「え、いや、それはないぞ」
「……むかつく」
感染源のくせに。
八つ当たりなのは承知しているが、それでもあたらずにはいられない。むすっとした表情で文句をたれれば、
「じゃあ、三上が俺にキスしたら元に戻るかもしれないな」
という答えが返ってきてしまった。
絶句するというのはこういうことなんじゃないかと、三上は渋沢の顔を見上げて肩を落として、消しゴムにすがりつくみたいに脱力した。
これって究極の選択じゃないのか。 |