それはまあ、ガッカリしなかったといえばウソになる。
もちろんだからといって目に見えるほどしょげたりとか、何とかムリをしようとか、そこまで子供でも無いので、そんなものかと肩をすくめたに留めたが。
三上の方もそれは同じで、それを伝えたときも「そりゃ残念」と言って、少し肩をすくめて「ま、しようがないよな」とさらりと笑っただけだった。
ただ「せっかくちょっとはサービスしてやろうかとも思ってたけど」と言われた時にはさすがにかなりガッカリした。
具体的にどんなサービスなんだろうと、よっぽど聞いてみたかったけれど、どうせ適当にはぐらかされるだろうと思ったのと、
そうでなくてもよっぽど楽しいサービスだったらよけい悔しいだけなのであえて何も聞かずにおいた。
夏場のJリーガーは大変多忙だ。
もちろんそれは毎週のリーグ戦があるからであるが。
それだけでなく、渋沢のように、代表常連選手ともなると、シーズンの合間を縫っては招集がかけられてしまう。
合宿だけなら国内で、2日もあれば終わるが、遠征となるとリーグ戦も中断されて一週間近くの遠出ともなる。
また夏場は試合が多い。
もちろんキリンカップはじめ国内のAマッチ試合も数多いが、海外遠征は意外に頻繁だ。
そんなことになるかもしれないと、思わないでもなかったが、今年はバッチリ7月下旬にかかってしまったのだった。
判明したのはずいぶん(半年近くも)早くだったのであきらめも早く付いた。
この場合「召集からはずれるかもしれない」という可能性はあまり考えない。
そういうことを考慮に入れているようでは代表のゴールマウスになど立っていられない。
おそらくそれは三上も同じだろうと思う。
新聞で代表日程を確認しただけで妙にニヤニヤ笑っていたので、その辺も察していたのだろうと思う。
残念なことだが救いは日本のサッカーリーグは冬はオフシーズンであることだろう。
自分にとってはそちらのほうが重要だと思う。
朝食のあとで、ふと思い出したように三上が口を開いた。
「来週はこないほうがいいかな」
数日前に、お互いのスケジュールを確かめた結果の発言であることはすぐにわかった。
代表の遠征があるため、来週の国内リーグは休みだ。
もちろん渋沢は招集されているので、来週半ばからは遠征に出かけてしまうのだが、それでも数日は一緒にいられるなと思っていたから、
その申し出は少々不本意だった。
「できるなら来てくれたほうが嬉しいんだが」
「お前、忙しいじゃないか」
「忙しいのなんか、いつでも同じだ」
そういうと、三上は妙な顔をした。
「……ワガママ……」
ぼそりとそう呟くと、少し肩を竦め、それから先日来読みかけだった文庫本を手にしてソファにどさりと腰をおろした。
行儀悪くくつろいで、本を広げているが、あまりページが進んでいる様子ではない。
「コーヒーはいるか?」
「飲む」
カップをふたつ、手に持って自分もソファの向かいに腰を下ろすと、三上は手にしていた本を伏せて渋沢に向き直った。
しばらく無言でカップを傾ける。
少し眠そうな顔でぼんやりとカップの底を見つめている顔を見ていた。
「……お前さあ」
「え?」
不意に、前触れもなく、口を開いたのを思わずぼんやりしていて聞き逃しそうになる。
「お前、なんでいつもあんな服で写ってんの?」
「服?」
話題が唐突で、今ひとつ繋がりがわからない。
三上はしばらく、んー、と言葉を選んでいるようだった。
「服っていうかさあ。新聞とかで帰国するときとか、よく撮られてるじゃん」
ああ、と思い当たる。
確かに渋沢は新聞や写真週刊誌の見出し記事に顔を出されることがおおい。
たいていは空港にて、税関を出た途端にマイクを向けられたりするのだが、大体遠路を疲れ果てている時に気の利いたことなど言える筈もなく、
実のところほとんど記憶にもとどまっていないのが大半だが。
「全国に顔が出るって時に、アレはねーと思うんだけど」
「そうかな」
首をひねるが、そんなことを言われてもやはりよくわからない。
「普通の服だと思うんだが」
「普通、っつってもなあ」
三上は何か思うげに、コーヒーカップをしみじみ見つめ、それから冷めかけたコーヒーを一息で飲み干した。
「手持ちの服、見せてみろよ」
そう言って立ち上がる。
「あ?ああ」
言われるままにクロゼットを指す。
三上は勝手知ったる様子で扉を全開にすると、たいして検分もしないうちに盛大にため息をついた。
「これだけ?クリーニングに出してるのは?」
「いや、あんまり着ていくところもないから」
「これだけ?」
「……ああ」
「………ふーん」
一枚一枚、仔細に手にとって、それからハンガーごと引っ張り出して自分の身体に当ててみたり、袖を引っ張って裏返してみたりして、
全部調べ終わってから、箪笥も開けてシャツ類も調べる。
少々居心地悪い思いで、しようがないので渋沢は三上をそのままにキッチンにいった。
食器を乾燥機に並べていると、ようやく出てきた三上がちょいちょい、と呼びつける。
「今度はなんだ?」
「おまえ、ちょっとこれ着てみ」
いつも来る時、三上が下げている小ぶりなトランクから、ドレスカバーが引っ張り出された。
ファスナーをおろすと、2、3着のスーツがおさまっている。
「三上の服か?」
いわでものことを聞いてしまう。
「あたりまえだろう。なんでもいいから羽織ってみろ」
そうは言われても。
渋沢は少しためらってから、観念して言うとおりにした。
三上の身に合わせたスーツである。
すっきりとした細身のラインと、多少ゆったりした打ち合わせの黒いスーツの上着は自分に合うとは思えない。
いささか情けなさそうに、文字通り羽織って見せた渋沢をまじまじと見つめて、三上はしばらく黙って考え込み、それからさっさと脱ぐようにと言った。
こういう時、渋沢は少し居たたまれなくなる。
とりあえず、脱いだ服をハンガーにかけて、クロゼットに吊るした。
ついでにまだドレスカバーに入っている残りのスーツもハンガーにかけて吊るした。
自分の服が、さりげなくしまわれていくのを、ちらりと見やって丁重に見ないフリをしてから、三上はよしといって手をパンと鳴らした。
「出かけっか」
「……今からか?」
突然の提案で、素直に驚く。
「予定ないんだろ?」
「ないけど」
三上が普段出歩いたりしたがらないので、三上が来ている休みの日は、たいてい一日中家で二人で寛いでいたりすることが多いのだ。
「ならけっこう。車出してくれ」
そういいつつ、部屋着にしているシャツを脱いで、やはりトランクの中から新しいシャツを引っ張りだし、自分も出かける支度を始める。
「あ、どうでもいいけど、ジャージはやめてくれよ」
「…いくらなんでもそれはしない」
たいして選ぶ余地のないワードローブの中から、それでもこんなときはどういうモノを選べばいいのか、しみじみとため息をついた。
言われるままに道を辿り、三上に連れられて着いたのは三上の馴染みらしいデザイナーズ・ブランドのショップだった。
感じのいい数人の男女の店員が、気安く挨拶をする。
「こんにちわ、三上さん。今日はどんなのをお探しですか?」
三上はにっこりと営業用らしき笑顔で挨拶を交わしてから、二言三言、その女店員と言葉を交わし、それから渋沢を鏡の前に立たせて
彼女から数着のスーツを受け取った。
「これ、羽織ってみろ」
うちの一着のジャケットを手渡すので、袖を通してみる。
ブルーグレイの生地の薄いスーツだった。
スタジアムに着ていくには明らかに不適当なスタイルのスーツだったが、高価なものであることは袖を通してみるとわかった。
「両手あげて」
言われるままに手を上げてみる。
「肘開いて」
言われる通り、一通り手を上げたり下げたりさせられた。
「きつくないか?」
「いや、ちょうどいいと思う」
「流石だな。見立て、ぴったりだ」
三上は側に控えていた女店員に、もう一度にっこりと笑った。
「肩はちょうどいいみたいですね。あとはお袖と裾丈ですけど」
「そうだな。いくつか試してから計ってもらおうかな」
それから試着室に押し込まれて、もう一着、ダークグリーンのスーツも持たされた。
「とりあえず、両方上下とも着て見せてみろ」
こういう時の三上には逆らってもしようがない。
逆らうだけの反論も特にないので、諾々として従うことにする。
なんとなく、なにかの映画のシーンのようだと思ったのだが、どんな映画だか、これといっては特に思い出せずに挫折した。
一着ずつ、試着しては三上に仔細に検分された。
その度に女店員にも腕や足をメジャーでもって計られるのにも辟易した。
5回着替えさせられて、やっと三上は満足そうに頷いた。
「じゃあこれを直しで」
結局最初のブルーグレイと、次のダークグリーンの2着を店員に渡して丈直しを頼む。
「でも三上さん、こちら裾丈のほうはほとんど直さなくてもいけますよ」
「へえ?」
軽く目を見張り、面白そうな顔で渋沢を見上げる。
「すごいですねえ。アルマーニを裾直し無しなんて、スタイルがおよろしいから」
「図体でかいからなあ」
「じゃあ丈はそのままで始末だけさせていただきますね」
2着のスーツを持って彼女が店の奥に下がると、次に三上はそれぞれのスーツに合わせてシャツを3着と、ネクタイを3本ずつ選んだ。
それからしばらくベルトを見ていたが、こちらはあまり気に入ったものが見つからなかったのか、途中で選ぶのを断念した。
一応気が済んだらしく、満足げにカウンターでクレジットカードにサインをしているのを、渋沢はなんと言っていいのかわからずに見ていた。
「ほら、持て」
荷物の山をどんと積み上げられておとなしく抱えあげる。
「ちょっと早いけど、誕生日プレゼントだ。ありがたく思えよ?」
「分不相応ながら、ありがたくも嬉しいよ」
やれやれ。
渋沢はちょっとだけ、心の中で嘆息してみる。
これはつまり具体的な「ちょっとしたサービス」のことなんだろうか?
なんだか自分がジュリア・ロバーツか何かになってしまったような気がするんだが。
「やっぱり、せっかくだったら人前ではマトモな格好して欲しいからな」
帰り道、車の窓をあけて風にあたりながら、三上は独り言のように呟いた。
「……そんなにマトモな格好じゃなかったか……?」
少々傷ついてみる渋沢である。
それはセンス抜群であるとはまさか言うつもりはないが、そこまで思われているというのも少々辛いところである。
「……別にそういう訳じゃねーけどさ」
そう言ってふいと窓の外に視線を移す。
そりゃ確かにあまりスーツに頓着していたつもりはないけど。
別に遠征時にジャージで出かけたわけでもないし、人並み程度だと思っていたんだけど。
「あ」
ふいに声のトーンを上げて三上がふりかえった。
「見ろよ。観覧車だ」
「ああ。なんでこんなところに」
国道沿いに、唐突に観覧車が見えていた。
しばらく走っていると、ひなびた小さな遊園地があった。
小さな観覧車と、小さなコースターと、ショッピングアーケードとゲームコーナーがあるような。
「なあなあ。時間もまだ早いし、覗いてかねーか?」
妙にはしゃいだ様子で三上が提案する。
「そうだな。天気もいいしな」
急遽、ウインカーを出して急カーブを切った。
学生時代にもそんなところに行ったことなんてない。
それはもしかして、初めてのデートらしきものではないかと思いついたのは、かなりあとのことだった。
=Fin=
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