「1月22日の予定は、空けてくれるんだろう?」
そんな形でアポを取られたのは、7月の終わりごろのことだった。
よく考えたらえらくずうずうしい物言いだったが、実際それを口にしたとき、妙にうかがうようなカンジだったので、つい笑ってしまった。
「そんな先の事なんか、わかるか」
少しあきれたように答えると、でもな、と言葉を選ぶように抗弁を申し立ててきた。
「だからこそ、これくらい早めに予約しておけば、絶対に抑えられるだろう?当日に用件が入ってからだと手遅れじゃないか」
「予約」
思わずその単語にウケてしまい、オウム返しにつぶやく。
「予約、だ」
渋沢はしかし、大変マジメな顔で、重々しくもう一度宣言した。
「わかった。なるべく前向きに検討して善処しよう」
まるで政治家のような物言いになった。
まともに互いの誕生日を祝い合うのは、考えてみれば初めてかもしれない。
そんなことに思い至ったのは、なにげにテレビで渋沢の試合を眺めているときだったか。
今さらなにを、と考えながら、そういえばしかし、学生時代は確かにすべてにいっぱいいっぱいだったし、何よりも、なんというか、
そういう甘い感情を持つような二人ではなかった。
身体の関係があったのは確かだが、それが恋愛感情によるものだったかというと、はなはだ怪しい。
少なくとも、自分にはそこまでの余裕は無かったな、と思うし、いわんや渋沢はどうだったかといわれても、だから人の感情に拘泥できるほどには
余裕が無かったのでわからない。
そのころの執着がいったいどう言う種類のものであったのか……といくつか考察してみようとして、考え直してやめた。
それこそ今さら過去のことはどうでもいい。
渋沢の誕生日に、いつもなにをしていたかと思い返せば、そういえばまさに夏休みの真っ最中、とにかくサッカーの試合だとか遠征だとか
合宿だとか練習だとか、倒れそうになりながら走ってボールを蹴って飯を食って寝る、そんな日々を送っていたころだった。
自分の誕生日は、といえば、それはまあ微妙な時期で、考査期間にかかっていたりする場合が多く、ひっそりと誰にも告げずに過ぎさせていたような気もする。
卒業してからは、渋沢はプロとして選手寮に入ったし、自分は2年間大学に行ったあと、黙って航空大学の寮に入ったから、ここからはまったくのノータッチだ。
ふむ。
そう思えば、あんなにも念入りに当日の予定を抑えたがったのもわからないではない。
つらつら考えているうちに、ふと気がつくと試合は進んでいる。
渋沢がほとんど画面に登場しないということは、押し気味に進めている所為か。
たまに遠景で見えるとき、どんな顔をして立っているのかなと思ったが、遠すぎてなんとか判別がつく程度で表情まではうかがえない。
そういえば現役当時は自分はずっと渋沢を背後に背負って前を向いていたわけだから、あまりその顔を思い出せなかった。
あんなに長い間、一緒に走っていたのにな。
ずっと一緒のフィールドにいたのに。
ゴールにいるときの顔はセーブするときくらいしか知らないし、誕生日を祝った記憶もない。
不思議なものだな。
そういうのってなんなんだろう。
自分たちの距離感に、改めて不思議な感慨がおこる。
結局、渋沢の顔は一度も映らないまま、試合は終わった。
勝ち試合だった。
渋沢は知らないが、本当は実際試合を何度か見に行った。
弱音を吐くのはいやだが、結構きつい時期が無かったわけではない。
そんなときに、なんとか都合をつけて少ない休みをやりくりしてチケットを入手して、見に行った。
観客席から見るピッチは、不思議な感覚を呼んだ。
もっと遠いと思っていたし、もっと近いと思っていた。
何度も走る自分をイメージし、走れなくなるまで走ったことをトレースし、ボールの飛ぶ先を見つめた。
渋沢を、いったいいつになったら支えにしなくてすむようになるのか。
自分は、いつまであの姿に支えられているのか。
そんなことなど考えながら、記憶のトレースをしていた。
支えにしていると。
認めたくは無いくらい、彼の姿がいつもある。
渋沢を見ていたのか、渋沢の記憶を見ていたのか、わからないな。
それでもやっぱり、まだ彼が必要だった。
渋沢は、それなりに華やかな経歴と実績を引っさげてプロ入りしたものだから、いわゆる花形選手として、いつでもマスコミの注目を浴びていた。
だから、自分のほうから向こうの動向は、少し気をつけていればいつでも掴めていた。
ずるい事だという自覚は、あった。
けれど、自分で立てるようになるまで。
少しだけ、支えでいてくれと。
祈る気持ちで。
立てるように、なるまでと。
支えが要らなくなるまでと。
そう思ってはいたけれど。
支えが要らなくなったかというと、それはどうだろうかと、思う最近。
いくら半年前に予約を入れられようと、いまだセニオリティもジュニアの身(要するにペーペーである)、希望などできる立場ではない。
おとなしく運を待つしかない(←笑)
(いちおう前向きに運動はしてみたが)
だから、うまくその近辺にオフが入ったことが確定したときには、正直、かなり強運にも感謝した。
前日から部屋にいついてごろごろしていたら、渋沢が自宅で食事にするか、でかけるかどちらがいいかと聞いてきた。
「別にどっちでもいい」と答えると、じゃあ腕を振るわせてもらう、とあたりまえのように買出しに行ってしまった。
自分のためにと、いつもなにかしら台所に立っているのを見るのは、けっこうこそばゆいが気に入っている。
マメな男だし、好きでしているんだろうけれど、なんとなく笑いを誘う風情はある。
しばらくして、大きな袋を抱えて帰ってきた渋沢は、「牡蠣は大丈夫だったな?」と確認した。
「生牡蠣?」
「いいのがはいってたから」
袋から野菜や肉のパックを取り出しては並べるのを、横で見ながらふと心づいて訊ねる。
「なんか飲むもんあったほうがいいな」
「……ああ」
少し考え込んで、冷蔵庫をあさる。
「赤ばっかりだな」
「うっかりしてた。牡蠣だろう。赤はどうかな」
「牡蠣に赤じゃ、いっそないほうがましじゃねーの?」
そうかもなあ、とかぶつぶつ呟いているので、ちょっと肩をすくめて上着を取った。
「じゃあ俺が行ってくる。おまえは存分に腕を振るっとけ」
「わるいな。適当に見繕ってきてくれ」
ポーンと放物線を描くキーケースをキャッチして、外に出た。
また2人でいるようになって。
近くにいるようになって。
今の距離感は気に入っている。
触れられるようになって、気がついたことはいっぱいある。
見ていたはずなのに、見ていなかったこともいっぱい見つけた。
こいつ、変わったな、と思うところもある。
こんなに穏やかな目をしてたかな、と思う。
自分もそうなんだろうな、と思う。
支えにしてるのは、たぶん今も。
だけど、カワイイと思うようになったのは、自分でも意外だ。
一番のポイントだ。きっと。
適当に2〜3本見繕って帰ってきたら、かなり用意が出来ていた。
あいかわらず、量の調整がへたくそで、テーブルには尋常でない量の皿が出ている。
「お前、だからいったい何人分のパーティをしたいわけ?」
笑いながら言うと、ちょっと困ったように頭をかいた。
「どうも……気がついたらこんなことになるんだ」
「太るのはお前1人でな」
ボトルを冷蔵庫にしまってキッチンに立つ渋沢の後ろから手元を覗き込む。
「これは何ができんの?」
渋沢は小さ目のボールにいくつかの調味料を合わせて細身のシェイカーを動かしている。
「カクテルソース」
「牡蠣?」
「そうそう。ちょっと珍しいレシピを手に入れたから」
いいながら小さ目のスプーンで中身を掬い、皿に無造作に並べられた1つに静かに注ぐ。
「ほら」
味見を。ということらしい。
遠慮なくつまみあげて口にする。
ビネガーと、オリーブと、バジルのさわやかな香りがする。
確かに大変肥えたいい牡蠣だった。
「もうひとつ」
「はいはい」
もう1つにもソースをかけさせて、手に取った。
「ほら」
渋沢の口元に持っていってやる。
「俺が手ずから食べさせてやる」
「そりゃどうも」
ちょっと前かがみになって貝の殻に口をつける。
「特別サービス」
つるりと、滑らかな牡蠣を汁ごと飲み込む唇が、少しセクシーだな、と思ったのはひみつ。
「ちょっと酸味がきつかったかな?」
「美味いよ」
「合格点はクリアかな」
「充分な」
「牡蠣が良かったからな。生臭さもなかったし」
「おまえ、たまになら腕もよかったからとか言っても、いいぞ?」
「言ってみたいけど、言ったらなんか言うじゃないか」
いいながらもボールの中身を並べた牡蠣にすべて取り分ける。
「そりゃ言うけど」
カラのボールを受け取って流しに突っ込み、それからワイン用のグラスを2つ取り出した。
以前ヨーロッパのフライトのときに、自分が買って帰ったものだ。
さっき入れたばかりのボトルのうち1本を取り出し、さっさと栓を抜く。
「なんだ。気が早くないか?」
「ティスティングな。せっかくこっちの味見たんだから、ちょうどいいじゃん」
グラスの三分の一くらいずつ注ぎ、勝手にチンと触れ合わせてから口をつける。
渋沢はキャセロールの蓋を取って中を確かめながら、横目でそれをうかがう。
暖かい湯気と煮込まれた肉の香りが盛大に広がった。
「で、どうだ?ご自慢のチョイスは」
「おー、合う合う。サイコー♪」
そしてそれももう1つを手にして渋沢の口元に差し出す。
やっぱりちょっと前かがみになってグラスに口をつける。
「あ、一口で飲むなよ」
「うん。確かに合うな」
もう少し火を弱めて蓋をしなおして、それから濡れた手を拭いて三上の腰に手を回した。
「もうちょっと飲むか?」
「行儀が悪いかな」
くすくす、と笑いながら、もう一度、グラスにワインを注ぐ。
「ほら」
「もう飲ませてくれないのか?」
「手、あいたじゃん」
「あいてないよ」
「バカなこと言って」
甘えすぎだ。
でもまあいいか。
カワイイ男。
優しい瞳。
いつも自分の支えになりつづけているお前。
きっとずっと離れられない。
でもそんなことはすべて、自分の心の中だけの一生のひみつ。
=Fin=
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