| 隣の中西くん 1 | ||
それはもう、10時になろうとする頃だった。 なぜかというと、彼、中西秀二は消灯時間よりも一足早く、夜10時を就寝時間と決めているからだ。 寮内で定められた一般的消灯時間よりもかなり早いのにはもちろん小さな理由はある。 中西秀二は、軽度の健康おタクだった。 これも彼の育った家庭環境の影響が色濃いのではあるが、とりあえず、美容と健康に人一倍気を使う母親に育てられた彼は「8時間は睡眠をとらないと、お肌に悪い」という教えを忠実に遵守していた。 実のところを言えば、遵守すべきは彼の姉だけで充分ではあったのだが、中西は自分の納得したことにはたとえ自分に向けられたわけではない心得事でも自分のために遵守するべしというモットーがあったのだ。 ともあれ、中西秀二の主義としては「8時間睡眠」は譲れない一線であった。 武蔵森サッカー部の生活サイクルに合わせると、朝は6時より後に起きるわけには行かない。 本当のところ、できれば逆算していけば9時には就寝したいくらいではあるが、それは諸所の理由で断念した。(彼自身にもプライベートの時間が多少なりとも欲しかったためだ) もちろんそれを徹底するのにはイロイロと軋轢や経緯などもあった。 松葉寮は原則二人部屋であるからだ。 自分は10時に寝たくとも部屋の相方もそうとは限らない。 消灯11時ギリギリまで起きて宿題をしたかったり、ゲームをしたかったりするかもしれない。 1、2年の頃はそれなりに揉めたりもした。 が、現在はさまざまな顛末を経て1人部屋を獲得し、思い通りの生活サイクルを手に入れることが可能になった。 ……はずだった。 せっかく獲得した1人部屋が、実はけっこうなモンダイを多々包括する部屋だったことに気がつくのは、たいして時間もたたない頃だったからだ。 10時になる前に、部屋に遊びに来ていた根岸と近藤が、散らかした雑誌を抱えて帰って行って、中西は明日の時間割を確かめながらカバンにノートを詰める。 ついでに頭の隅で、こっそりと自分のとは違うクラスのスケジュールも思い出してみる。 大丈夫かな……と少しだけため息をついた。 「大丈夫」でなくとも、自分には為すべき対策を打てるわけではないからだ。 なにしろあいつらときたら……イヤイヤ、下らないことを考えてるヒマがあればさっさと寝てしまうに限る。 寝てしまいさえすれば巻き込まれずに過ぎられるのだ。 そそくさと寝巻きにしているTシャツとジャージに着替え、電気を消してベッドにもぐりこむ。 目を閉じる前に目覚ましの盤面を確かめたとき、確かにそれは10時前だった。 よしよし。 「ハリとツヤのあるお肌は規則正しい生活から」 と宣言する母親の得意そうな声が思い浮かんだ。 お肌の曲がり角などまだまだ考えなくていいお年頃なんだという事実はまだ遠い現実な中西秀二15歳だった。 もぞもぞと体勢を整え、目を閉じてふうと深く息を吐き、眠る体勢にほぼ入りかけたときだった。 ♪どがじゃーん! 隣の部屋の壁越しに響く音に、睡眠状態に入りかけた意識はムリヤリ引きずり出されることになった。 寝入りばなだったから、もちろん吃驚した。 暗闇の中で飛び起きそうになり、危うく自分を押さえた。 またか。 苦々しい表情で隣の壁をにらみつける。 隣からは、それからもずっとやや大きめのボリュームでしゃかしゃかちゃかちゃかとなにやらシュミの悪い洋楽のハードロックらしき音楽が聞こえてくる。 確かに「ものすごい」「近所迷惑」というほどの大音量ではない。 が、寝入りばなの無防備な精神にはなかなかの直撃サイズだった。 確かにまだ現在は消灯時間に1時間もあり、各部屋はまだ活発な活動時間のうちである。 しかし。しかしだ。 中西は手探りで壁を探ると、わざとらしくどんどんどん、と殴りつけた。 少しのタイムラグの後、隣室の音楽は心持ちボリュームが落とされる。 心持ち、だ。 が、それのおかげでさらに違う物音も聞こえるようになった。 物音というか、声なのだが。 「安眠妨害だ!ザケンなてめーら!」 一声叫んでやったらやっと静かになった(音楽はまだ続いていたが)。 ふんと荒くハナイキを飛ばして、再び横になる。 今のうち、今のうち。 さっさと寝てしまうに限る。 が、一度頭が起きてしまったため、また寝付くのに準備が必要だ。 イライラしながら目を閉じて、何度か深呼吸をしてみる。 身体をリラックスさせて、するりと意識を落としていく。 あ、よし、そろそろ寝られそうだな…と意識の片すみで思い始めた、またしてもそのとき。 鳴り続けていたロック(やや耳が慣れた)に重なって、すすり泣くような声が混ざり始め、眠り始めた意識上にガラスを引っかくような不愉快なささくれを残していく。 たまりかねた中西は、今度こそ飛び起きて、どすんと壁を蹴り飛ばした。 「うるせえーっ!!お前らヤるなら外でヤれ!俺は8時間寝ないと肌が荒れるんだよ! 渋沢、てめえが下手だから三上が痛がるんだよ!ジェル使えー!!」 結局音楽が静まったのは消灯時間ギリギリの11時であった。 密やかに押さえたつもりではあるらしい声が静まったのはさらに数時間の後だった。 寝不足だ。 絶対寝不足の所為だ。 実のところ、寝不足とは言ってもそれでもちゃんと6時間半は寝ているのだからものすごく睡眠が足りていないというわけではない。 が、中西的にはきちんと自分内規定時間は寝ないと、なんと言うか、身体の調子というか、ノリがよろしくないのだ。 というか、むしろ怒りながら寝たせいか、イライラが残ってしまったのがイヤなのだ。 で、朝起きたらおでこにぽつりとにきびが出来ていた。 イライラがすぐに肌に出る体質なのだ。 だからきちんとした生活を心がけているというのに! 眉間に3本ほどの縦皺をよせて歩いていると、ほとほとと肩を叩くものがある。 振り返ると、イライラの原因の片割れが立っていた。 「んだよ」 「あー、中西。実は進呈したいものがあるんだが」 のほほんとして、今ひとつ感情の読めないような顔をしているキャプテンさまだった。 昨夜のお詫びの差し入れでも作ってきたのかもしれない。 「お前なー、ホントにいいかげんにしてくれよなー」 一応イヤミは言っておかないとと文句を言い始めたところで、ふいに渋沢が人差し指を中西の額に突きつけてきた。 「……あ?」 「中西。あまりぷりぷりすると、オデコがアディダスになってるぞ」(←線が3本入っているといいたいらしい) 「……………(怒)…………」 誰の所為だと思っていやがる。 思わず怒りゲージがぴぴぴと3割ばかり上がる。 「……………で……、進呈してくれるものってなんなんだよ」 「いやあ、いつも迷惑かけてるみたいですまないからなあ」 そう思うんならちっとは控えろ!と思ったが、言ってもムダなのは経験済みだ。 この際もらえるものなら何でももらってやろうと手を突き出したら、なにやら小さな包み箱を渡された。 「なんなんだよこれは」 言いながらもさっそく箱を開けてみる。 渋沢は我が意を得たりとばかりにニコニコしている。 イヤな予感がした。 開けてみたらイヤーウィスパーが入っていた。 「……………………………………」 思わず頭の中が真っ白になってしまった中西を責めないでやってほしい。 渋沢は、何か妙に嬉しそうににこにこと中西の言葉を待っている。 中西は、少し頭痛のする頭を押さえ、腹の底から吐き出すような長い長いため息をついた。 (……貴様、要するに自分を譲る気というモノは、まったくこれっぽっちもかけらほども持ち合わせていないと、つまりそういう訳なんだな?) そもそもこういうモノを渡してくるあたりがそうでなくてなんなんだ。 「……てめえ……」 ようやく口を開いた中西がかすかに震えるような声で唸るので、渋沢は少し首をかしげた。 ブリっ子をするな。似あわない。きぃ。 「気に入らなかったかなあ」 そういう問題ではなかった。 「つまり渋沢。俺にガマンしろと、こういうんだな?」 「え?いや、そういう訳ではないんだが」 「それ以外のなんなんだ!?こんな耳栓で、俺に妥協を強いるんだな!?そうなんだな渋沢!?」 ヒステリックに詰め寄る中西に、渋沢は依然のんびりと言い訳など考えている。 「えーと、いや、ガマンしろといっているわけではないんだ。ただ、8時間寝ないといけないというから、せめても寝やすいようにと思ったんだが……気に入らなかったようだなあ」 「ほざけ!ガマンすんならてめえがガマンしやがれってんだこの(自主規制)!俺の肌と己の欲求のどっちが大事だ!」 しかしこの質問はちょっと中西がよくない(と思われる) 渋沢はもちろん間髪も入れることなく即答した。 ……しようとした。 「そりゃ欲求……」 「ざけんなクソボケー!!てめえなんざ将来ハゲちまえ!」 最後まで言わせることなく中西の怒りは盛大に爆発する。 「はげ……」 さすがに渋沢はやや切なげに顔をしかめた。 「…禿げてないのに………」 さらさらした茶髪を少しつまんで引っ張りながらぶつぶつと何やら文句を言っている。 「禿げたりしたら三上に嫌がられるかなあ」 なにやらトンチンカンなことを言いながら、ほややんとしている様子。 「でも三上はそんな、髪とかうわべ上のことで好きとか嫌いとか言わないよな。なにしろ三上だもんな。きっと俺が禿げてもかわらず愛してくれるよなあ」 もはやウットリと楽しそうに空想の中の三上と愛を語らっている。 とりあえず、異世界に行っている渋沢を引っ張り戻さねばならないので、中西は手に持っていたイヤーウィスパーの箱で渋沢の鼻をぎゅうと押しつぶした。 「……痛いじゃないか、中西」 と、赤くなった鼻を押さえてちょっぴり切ない渋沢。 「とにかく」 かまわず中西は話を戻す。 「近所迷惑だ。つかむしろ俺迷惑だ。俺の肌に大変な迷惑だ。てめえの性欲はいいかげん控えやがれ!」 ふん、と両手を腰に当ててふんぞり返って見せる。 「わかったか!ええ!?」 渋沢の赤くなった鼻先に人差し指を突きつけて宣言したが、もちろん渋沢は不満げに鼻を鳴らした。 「だから耳栓を渡してるんじゃないか」 「あぁ!?」 真剣な、さも当然そうな反論をされて、中西は思わず絶句した。 「だってそもそもなんで中西の肌のために俺と三上が(←勝手に三上も数に入れる)ガマンしなければいけないのかさっぱりわからないなあ」 (………………こいつ…………殺す……!!!!!) 怒りのあまり、ちょっと眩暈を起こしながら、思わずはははと笑ってしまった中西を、やっぱり責めないでやってほしい。 っていうか、渋沢と中西の間には、言葉が通じていないと考えてよろしいのだ。 当然、このあとしばらく、渋沢にはあまり理解できない言語で中西の怒りが爆発炎上していた。 が、その間渋沢はのんびりと異世界に赴き、心ゆくまでモウソウの中の三上と愛を語らっていた様子である。 ………と、中西が後日語っていた。 なにしろ叱責しているというのにずっとにこやかにほのぼのとうすら笑いを浮かべているのだ。 中西は途中で萎えて怒る気も失せたらしい。 なお、彼らの決死の妥協により(なにしろ歩み寄りポイントが皆無なのだ)、渋三は中西の就寝後、眠りが深くなったであろう2時間後あたりを狙って、行為に及ぶこととなった。 もちろんそれは三上の知るところではない。 =Fin= |