| もうこのページを更新することなどないと思っていました。 私は三上さんをあいかわらず愛しているし、渋沢さんもそれなりに愛しているし、そのスタンスは基本的には変わりません。 しかし、このたび三上さんが受け止めることに成った出来事を思い、それなりに衝撃を受け、そして、もう一度彼について、 また彼を取り巻く彼らについて、再びいろいろ考えさせられることになりました。 こんなにも彼らについて、考えたのは、はまったとき以来かもしれません。 このページを以前書いたときからほぼ1年が経過しているわけですが、一年間、なんだかんだで彼を愛し続け、ちびちびと小説を書き続け、 そして原作にも出るようになった彼を見つづけて、一年ぶりにこのページを見返し、いろいろとまた違ったスタンスを持ち始めていることに気がつきました。 原作に出始めたということで、おそらく原作者の扱いも少しずつ変わってきた所為かもしれません。 自分でも書いてみた所為かもしれません。 いろいろ複合的な原因はあるけれど、とりあえず、彼について考えてみたくなりました。 なお、これは決して「原作者はきっとこういいたかったのよ!」という文章ではなく、今回のことにそれなりのショックを受けた 三上ストとして、自分なりの納得を探そうと努めた、いわば自己救済の文章であります。 「ちょっと三上さんに対して夢を見すぎじゃないですか?」といわれる方ももちろんいらっしゃることでしょう。 が、私は、自分自身が、納得したいがために、こう考えることにしました。そういう文章であります。 少しだけお付き合いくださいませ。 |
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1.三上亮 今回の結果に関して、まず思ったのは、彼の、「受け入れ方」でした。 三上さんは、ものすごく静かに、現実を見つめて、受け入れて、そして少し笑っていた。 それがあまりにも清冽で格好よかったから、よけい切なかったのですが。しかし。 これほどまでに、「才能あるエリート」が潔く大人びた態度を取れるものなのか。 つまり。彼はこれが「初めて」ではないな、と思いました。 彼にとって、セレクションの中で落とされる、という事実は、初めてではないと。 どちらかというと「何度も落とされて、落とされて、それでもここまで上り詰めてきた者」の胆力を感じました。 たぶん、彼には、他のいわゆる主役級キャラ達のような、きらめくような抜きん出た才能という物はない。 本当に、普通の一般の、ほんの少しセンスと頭がよかった程度の人だったのではないかと。 だから、文字通りの地道な練習と積み重ねによる努力でもって、ここまできた人だったのではなかったかと思うのです。 大勢の中から、選抜され、落とされる。もう一度、もう一度、何度もチャレンジして、そして1つランクを上げ、また地道に努力をして、 次の高みを目指す。そうやって上ってきた、いわば「たたき上げ」の人だったのではないかと。 だから、あそこで選ばれなかったとき、あんなふうに受け止めて、あんなふうに笑うことが出来たのではないかと。 もしかすると、例の武蔵森の入学試験のときのテストだって、受けてない一般入学者だったのかもしれないし、受けてたとしても、 2軍出身とかだったのかもしれない。 なんども蹴落とされ、押しのけられ、それでも挑戦し続けて勝ち取った今のポジションなのかもしれない。 それは、今までも「すごく努力したんだろうな」とかそういうことは思ってたんだけれど、もしかして、まだまだ甘かったのかもしれない。 もしかして、もっともっと、私が思うよりも骨太なサッカー人生を送ってきたのかもしれない。 そして、そう考えてから64話、65話など読み返すと、なお、切なくなってくるんです。 そうやって、本当に地道な積み重ねの努力によって掴み取ったポジションに、きちんと選考の末負けて取られたのならしようがないし、 また取り返すために挑戦を始めようとできるだろうけれど。 「血縁関係による信用」と「血筋による才能」のみを理由に、自分より優れている、と押しのけられたら。 その理不尽さは、本当にどうしようもない。 あの時、水野君が、たとえ知ってたにしろ、知らなかったにしろ、そのポジションを得るための、なにかの努力をなしていたとは思えないし、 そうでなくとも、彼のサッカーに対する態度には「才能を持っている事に対しての驕り」は端々に見受けられるのだし。 今回、あれほどに静かに受け入れた三上さんが、あの時、あそこまで怒りに任せた行動を起こすのはそうであれば当然だったと思えるのです。 彼は「きらめく才能」など持たない代わりに、もっと、自分で掴み取ってきた経験や積み重ねによる実績に裏打ちされた自信と誇りを 持っていると、そう思えるから。 そういえば自分でも叫んでいました。 10番を勝ち取るためにがんばってきた2年半、と。どんなに大変なことか、わかるだろう、と。 どんなにか、本当に、たいへんだったんだと、窺い知れる言葉を言ってました。 だから、あの時渋沢さんがああいう言葉で彼を肯定したとき、あれほどまでに動揺を表に出したんだろうと。そう思うのです。 今回の件は、たぶん正当なる競り合いの結果、自分が落ちたという事実があるので、たぶん三上さんは誰の慰めも助けも必要とは しないと思います。 以前このページを書いたときには「強がっているワリに挫折や衝撃には意外に弱いカンジ」など書いてましたが、とんでもない。 彼こそが、挫折にも衝撃にも一番タフに立ち向かえる人だったに違いないと、本当に強い人なのは彼だったんだと、そこまで思えるほどになりました。 たぶん、藤代、真田、郭、鳴海、水野など、「落とされること」に慣れてない、自分が選ばれることはあたりまえな人たちには決して持ちえない しなやかな強さを、すでに手にしている人なんだと。 そんな風に思えるのです。 落とされたかもしれない、と思ったときの水野、藤代の反応、落ちるのかもしれない、と思ったときの真田のあからさまな動揺、 それこそが「エリート」としてのあたりまえな反応だと思う中、三上さんの態度は明らかに「たたき上げの強さ」だと、感じました。 次に、それでもやはり落とされたことは本当に口惜しかったので、なんで落とされなきゃなんないのさ、というところを掘り下げてみました。 まずは三上さんのプレイスタイルなんかは、実際どのようなものであるか。 やはり、武蔵森というチームのスタイルと、監督の言い草などを考えるに、相当組織的、かつ緻密な計算的プレイであるかと思われます。 組織的に試合を展開し、ゲームメイクをするということは、どういうことか。 徹底的なマニュアル化とあらゆるパターンのシュミレーションを行えなくてはなりません。 つまり「どこに誰を持っていき、どのパターンを実践するか」ということを展開させて、最も効果的なところに最も効果的な人物を配置し、 最も効果的な手段を打てる、ということに終始します。 私はサッカーにはまったくの素人ですが、こういうことはあらゆることに通じる基本戦略だと思うのです。 三上さん自身が天才でないがゆえに、たぶん過不足ない配置で物を考えることができるでしょう。 天才である人は、自分が出来ることを人は出来ないということを根本的に理解し得ないものだから、自分ひとりしか出来ないことをしてしまいがちだから。 天才でない三上さんは、天才でない人たちが、最も効率よく能力を発揮できるような方法を常に考えていると思います。 それはとても実利的で、かっちりと隙がない布陣だと思います。 マニュアル化という物は、とても大切なことです。 「間違いなく誰にでもできるようにする」ことは、簡単に見えて、その実ものすごく能力を必要とします。 もちろん、天才にはマニュアルは必要なんてないです。 彼らははじめから知っているから、勝手に体が動いたりするでしょう。 でも、天才でない人というのが大半である一般社会では、マニュアルを自分で構築できるということが、とても重要な要素となります。 だから、「一般人が多いであろう場所」においての三上さんの能力はかなり高く評価できると思います。 が、今回のように、大半が「マニュアルを必要としない人種」で構築された中、「いかに自分を目立たせるか」ということを主眼とした試合、 誰がどんな特性か把握も出来ず、そもそも「司令塔」としてメークする立場でもないという状況では、どうにも動きようがなかったと思われます。 あの選考方法は、つまり「天才的才能のひらめき」を発掘するためには役に立ったではあろうと思われますが、「適材適所」とか、 「オルガナイザー的能力」など、そういう物ははじめから求めてもいなかったといわざるをえないわけです。 方向性が違うのだから、仕方ないといえばいえるわけですが、それならそんなところにはじめからつれてこないでほしかったとも思うのですが、 まあそれはともかく。 つまり、今回の選抜チームには、三上さんのその能力は、いくら優れていても、必要がないから取らなかった。 そう考えることにしました。 今まで私は、例えば「早い段階で自分の才能の限界を感じ、人よりも一足早くサッカーではない別の道を選ぶ三上亮」というものを 書いたりしていましたが、今回、少しばかり考えを改めることになりました。 もしかして、彼こそが、誰よりも現役にこだわり、最後までサッカーを続けてくれるのかもしれない、そう思うようになりました。 才能の女神の寵愛を受けた人たちは、最盛期を過ぎた頃、思うとおりに動かない、動けない自分に絶望しないでいられるのでしょうか。 今まであたりまえに出来ていたことを出来なくなったとき、自分より格下だとしか思えないような若手にどんどん追い抜かれていくのを 耐えていけるのでしょうか。 たぶん、彼らがまだ惜しまれるうちに、華やかなうちにと引退していくだろう中で、彼は最後まで踏みとどまれるような、そんな強さを 今回しみじみと感じたのです。 本当はまだまだ語りたいのですが、とりあえず、今回は選抜結果に関しての考察のみにとどめて、その他のボンノウにおける語りは、 またもう少し落ち着いた頃にねちねちと考え込みたいと思います。(まだするのか!!) |
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2.渋沢克朗 もちろん語りたいことは山ほどあるけれど、とりあえずは書き中。 |
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3.藤代誠二 今回の選抜編で、私の中であまりにもあからさまに株を下げた人筆頭。 しかし、今すぐ書くと辛口評を書きなぐってしまいそうなので、落ち着いてから書く気マンマン。 |
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別に今回の選抜編には出てなかったけど、ついでに書いてみた人達。 4.辰巳良平 一年経ちましたけど、彼については別にこれといって追加項目無いです。 地道に三上さんに片思いでもしといていただけたらけっこうです。 なお、ワタシは辰三がまったくダメなんですが、これは三上受け初期の頃、けっこう見かけた辰三があまり好みに合わなかった所為かと思われます。 曰く、「三上は渋沢のことを愛しているが、渋沢はまったく三上を相手にせず、拒絶するか、あるいは欲望処理だけのために三上を 抱くだけの存在で、それに傷つき疲れ果てた三上を癒そうとする辰巳だが、三上はそれでも渋沢しか愛することが出来ず、ひたすら どツボにはまりまくる人間関係」とまあ、要約すればこういうことになる小説が巷にちょろちょろ存在していたわけですが、というか、 辰三といえばこんなのくらいしか目にすることすら出来なかったような気がする過去なのですが、これがまた、著しくワタシの趣味に 合わなかったのでございます。 (今は辰三ももう少し違うものが主流なのかもしれませんが、とにかくもう、読めないのでよくわかりません) もちろん、これは「私のシュミではなかった」だけでありまして、こういう話がお好きな方、あるいはこういう話を書かれた方が いいとか悪いとかいう話ではございません。 ワタシは「三上さんのことを愛していない渋沢さん」は、想像もつかない人種であり、「三上さんが他の誰かと関係していたり、 愛し合っていたりするのを心暖かく見守っていたり、なんの関心もなく流したりしている渋沢」というものにはなんの興味も持たない 人種でもありますので、要するにそれは、個人のシュミの範疇に属する話なのでございます。 正しいとか、正しくない、の話をしているわけではございません。 まあそういうわけで、私にとっての辰巳良平氏とは、決して報われることなどありえない片思いをしているか、単なるいいお友だちか、 三上さんの花嫁の父か、ポストプレイのときボールを当てやすいちょっと高くて都合のいい頭か、そういう存在でございます。 ファンの方には申し訳ない。けどそれが正直な私の個人的見解。 |
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5.笠井竹巳 未だに深くは興味なし。 でも、各地で最近笠藤とか笠三よく見かけるようになってきたし、わりとキライじゃないです。 笠三も、ワリと、キライじゃないです。読む分は。 好みの笠井はやはり攻め攻めの強い子笠井ですネ。 |
