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科学的認識の進展による

二元論の復活


検証

検証は認識の確かさであって、存在の正当性ではありません。
受容した表現の正当性です。

存在対象は相互作用秩序を実現しています。
相互作用で区別と関係の存在表現を実現します。
存在表現は対象表現として受容され、認識の対象はその対象表現です。
対象表現は継起、並起する相互作用過程に媒介されれ保存され、伝達されます。
検証は対象表現と存在表現の対応関係の確認です。

検証の原理は完全性と無矛盾性です。
検証の完全性は対象秩序のすべてを欠けることなく捉えます。
検証の無矛盾性は相互関係の整合性と順番の整合性です。
他との相互作用関係でも構造の整合性が実現しています。
相互作用の継起によって順番の整合性が実現しています。
因果関係は順番の整合性の特殊な場合です。

対象理解は検証可能です。しかし、検証自体は解釈を伴います。「検証できたか、検証できなかったか」は、認識である「検証」の解釈です。
「検証できた」とは世界解釈と整合することです。
世界解釈を普段意識はしませんが、世界の秩序についての解釈です。経験してきた物事の関係、物事の推移についての全体解釈です。物事の相互関係の普遍性、原理の解釈です。
それまでの世界解釈と整合すると解釈できることが検証です。
眼で見ることは基本的検証ですが、錯覚ではないことも検証できてより普遍的検証になります。眼で見ることは顕微鏡、望遠鏡を介して拡張され、可視光を超える電磁波、さらに音波、電子線、重力波、ミュー粒子線を可視化して見ることでも検証します。
すべての検証が相互に整合していることで世界解釈は成り立ちます。ですから、社会的検証、歴史的検証とも連なっています。
自分の世界解釈どれだけ普遍的であるかによって、それぞれの検証の質、解釈の程度が定まります。
単なる解釈として、現実の変革には役立たないとして軽んじることはできません。

カール・ホッパーが科学の基準を反証可能性に定め、論理実証主義が「外見上事実の陳述であるようにみえるものが果たしてほんとうにそうであるか、をしらべる基準として、我々は検証可能の基準を採用する。」のですがそれにはまず、「検証」を定義しなければなりません。

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_kensyou.
2023.09.30