2017/09/11 作成
2017/09/11 更新

私の想い出 2017年8月11日受信分


名前

さくらんぼ

あなたのケメとの出会い

高校1年か2年?だったか、ラジオをよく聴いていた頃です。 「あおい君とさとう君」を聴きファンになりました。顔も知りませんでしたが、声の感じやトークが面白くて惹かれのが最初で、それから歌を好きになりました。

ケメに嵌った想い出

日比谷野音、九段会館他、ケメの歌を聴けるところならよく出かけました。それで、あまり勉強に身が入らなかったような記憶が…。

一番好きな曲

地下鉄

ケメの想い出

ご自宅のコンサートへは3〜4回程度しか行けなかったけど、とても良い時間を過ごせました。ケメの歌はもちろんだけど、お茶が好きな私は奥様から出していただくお抹茶の一服が嬉しかったのです。ケメのお点前を見るのも楽しかったです。

メッセージ

佐藤公彦様

ありがとう、という言葉しか浮かびません。
ケメの音楽と共に多感な時期を送れたことが一生の宝物です。
天国から、どうかずっと奥様を守って差し上げてください。

名前

非公開

名前

matie

あなたのケメとの出会い

ケメがソロデビューした時に、姉がその記事が載っている雑誌を見せてくれて、ひとめぼれ状態でファンになりました。北関東の田舎の中学2年生でした。

ケメに嵌った想い出

嵌まっていたのは、ずっと嵌まっていたので・・・

雑音だらけのラジオ関東をひたすら聞いていました。もちろん「あおい君と佐藤クン」も。「明日はきっといいことがある〜」という歌声は私の宝物でした。

あの頃の私はちょっと厳しい状況にあって、ケメのラジオの声と歌に、どんなに励まされたことか。それは感謝してもしきれないほどです。

というわけで、ケメの歌は辛い思い出ともつながるのですが、なぜかケメの歌を辛い思いで聞いたという思い出はないんです。いつも明るい気持ちにさせてくれたんですよね。ありがとう、ケメ。

北関東の田舎から、結構コンサートにも行きました。日比谷野音の「行ってらっしゃいコンサート」とか、印象に残っています。日仏会館にもずいぶん行ったなあ。

ケメがソロ活動をやめるまでずっとファンでした。アパルマアになってからは、ライブにも行かなくなってしまいました。。。

2009年の7月の「CD発売記念ライブ」でン十年振りにケメの生歌を聴けたのは、本当に幸せでした。「想い出はあなたと・・・」に出会えたこと、そしてこの夢のような復活に立ち会えたことは、本当に奇跡のようです。toshiさんはじめ、みんな本当にありがとう!

これからも雨が降っても雪が降っても、春が来ても春から夏の日になっても、ケメの歌をいつもいつも思い出すことでしょう。

一番好きな曲

1曲だけなら「愛と私」です。この曲は、世界最高の愛の歌だと思っています。

でも大好きな曲がたくさんありすぎて・・・

「五月の風は」「花の名」「冬の窓」「夕暮れ」「雪の街」「この部屋から」「雨に歌えば」「夜空の中」「想い出はあなたと私」「指」「ゆっくり私を運んで」・・・

挙げたらきりがありません・・・

ケメの想い出

「小さなお話し」はケメとデュエットしたかった歌です。昔ジャンジャンでケメが「僕と歌ってくれる人?」と客席に声をかけた時に、勇気がなくて手を挙げられなかったんです。結局誰も勇気がなくて、ケメがひとりで歌ったんですよね。

その話しを復活したケメにしたら、ケメはそんなこと覚えていなかったけれど、「今でも歌いたい」と言ったら「あ、それも良いね!」と言ってくれたのです。結局叶いませんでしたが。。。

思い出もたくさんありすぎて・・・

メッセージ

ケメには本当に感謝しています。いつか手紙を書いて感謝を伝えようと思っていたのに、実行に移す前にこんなことになってしまいました。

でも今、自由な魂になったケメは、私の思いをきっと受け止めてくれていると信じています。

ケメ、本当にありがとう。これからもケメの歌を、ずっとずっと口ずさんで過ごします。

名前

Wasai Akiko

あなたのケメとの出会い

中学1年ごろ

ケメに嵌った想い出

ケメが大好きで、ケメに会いたいが一番の夢でした。エレックレコードのメイトルームという所があると知りケメに会いに行ったけど会えた人が武田鉄矢さんと海援隊でかなりガッカリしました。その後私の夢は叶わず、、、残念ながら古いレコードとサイン帳を捨てられてしまったので、その当時公開録音などに行き集めたサインにピピ&コットのメンバーはあったと思いますが、ケメには会えずじまいで、、、
今年の2月頃から急にケメを聴き始め新たにファンになりました。それから今日までケメしか聴いていないと言って過言ではないです。懐かしい曲にも心を打たれましたが、私の知らなかった後半のケメの曲がとても良くて幅広くってますます好きになりました。

一番好きな曲

ケメの想い出

メッセージ

ケメ、今度は会えると思ったのに、いなくなっちゃうなんて、ひどいぞ!
また、大好きになって、毎日聞き惚れていたのに!
でもありがとう、会えなかった代わりにこれかケメ全集買って毎日毎日聴き続けます。ケメは ?ハスに乗っかってひなたぼっこ〜? していてください。
ご冥福を祈ります。

名前

みな

あなたのケメとの出会い

中学の頃、ケメの曲に初めて出逢い、その曲、歌声、そして華麗なお姿、すべてに魅了されました

ケメに嵌った想い出

ケメの写真を下敷きにはさみ、曲をくちずさみ、横浜スタジアムにあった野音に行き、充実した日々でした

一番好きな曲

すきな曲いっぱい? でも今なぜか、常にメリーゴーランドが頭の中を回っています
色々ありすぎて一つは難しすぎます。

ケメの想い出

わたしの中学時代の全てです

メッセージ

長い間、心の奥底にしまってあった熱い想いが、訃報のしらせと共に甦ってきました
活動を再開していた事全く知らなかった自分を悔み、でも今また、こんな懐かしい気持ちになれたこと、切ないような。
ケメ、ありがとう。
ここからまた、ファンとしての生涯の第二ステージを歩める事にかんしゃします

名前

非公開

名前

ゆうこ

あなたのケメとの出会い

中学になったころでした。
ラジオから流れるケメの声との出会い。
ケメのソネット、あおいくんとさとうくん、オー!シンディー、など
ラジオ番組を追いかけて、コンサートにも行って。
どの曲も、どの顔も、憧れでした。

ケメに嵌った想い出

ケメがジャケットで被っていた毛糸の帽子があまりに可愛くて。
もちろん売ってないし。
で、似たよな帽子を毛糸で編みました。
サロペットをはいてみたり。
ギターもお年玉で買いました。 でも、一曲も
弾けないのでした(苦笑)

住んでた場所からエレックが割合近かった。
なのに、行ったことがなくって、今思えばなんて残念なことを。
握手したことも話したこともなのなかった。
その後復活してからのこと。
風に吹かれてでのコンサートで一緒に写真撮ってもらいました。
握手してお話しして。
嬉しかったなー。

一番好きな曲

ねぇ、メロデイー
雪割草が咲いたら

今でもわたしのアドレスには雪割草が使われてます。
いまも聞くたびにこれもこれも、と思えてしまう。

ケメの想い出

今、思うと、中学生の頃の自分の部屋や、レコードを聴いてた時、
ラジオをベッドの中で聴いてた感覚が蘇ります。
懐かしくも限りなく永遠です。

そうそう、手つなぎ鬼、の中で、花見子のあいつ、っていうのが書かれてて。
とてもとても、ずっと気になってた。
今、また、読み返して見て、生まれてきてくれてありがとう。

メッセージ

今でもあなたの歌、歌えるよ。
懐かしいたくさんの歌を、また、私たちの前で歌ってね。
いつか、あなたのいるお空の上に行ったら。
一緒に歌いたい。

ケメ、ありがとう。

名前

Akiko

あなたのケメとの出会い

1977年、高校二年(レコードの発売時期から)?のとき、
母親と札幌の街に買い物に出かけ、
初めて地下街のレコード店に入りLPを見ていると、
ケメの「だいだい色のスクーター」がありました。

それまで、小学生の頃、
友達に見せて貰った「平凡」かなにかのグラビアに、
ケメが載っていて、なんて可愛いらしいお顔なのだろうと思い、
この人が「通りゃんせ」と云ういい歌をうたっている人と知り、
その歌1曲しか知りませんでしたが、大好きになっていたので、
テレビの渥美清のドラマに出ているのを見たりしました。

ああ、あの人のLPなのだと、嬉しくて母親に買って貰い、
(おそらくクリスマスプレゼントとして買って貰えたのでしょう)
それからは毎日毎晩聞きました。
その時まで、自分で生まれて初めてお小遣いで買って、
持っているレコードといえば、
石原裕次郎のLP一枚だけと云う、何事にも疎い高校生でした。

ケメに嵌った想い出

それからはずっと、
その「だいだい色のスクーター」を聴き続けていましたが、
二枚目に新しく(発売日は逆だったようですが、私にとっては)
「午後5時の風」を購入出来ました。
やがて就職し、街中で中古レコード店と云うものの存在を知り、
探し回っては、一枚二枚と見つけ、今度は自分で働いたお金で、
全部でLP十三枚を集めました。
土曜日の昼下がりに、札幌パルコの地下で、
館のケーキとコーヒーとお花を買い、
家に帰ってそのレコードを聴くのが本当に楽しみでした。

他にもあるのではと解らなかったのですが、
「だいだい色のスクーター」をみると、これで全部のような?
Toshi様のこちらのサイトのおかげで、今は、
幸いにもあの頃に全部集めることが出来ていたのだ、と、
はっきり分かりましたので、本当に有り難かったです。
その頃、LPだけを探していて、
EPのことが全く頭になかったのが、何故?と今思います。

一番好きな曲

たくさんあります。一番が決められません。
やはり最初に聞いた曲の「通りゃんせ」。
そして「だいだい色のスクーター」や、
「午後5時の風」に入っていた曲。
ファーストアルバムから続いてのアルバムも、
すべてみんな好きです。
メリーゴーランド・春のあらし・春から夏の日に・秋から冬へ・
思い出の街・西海岸へ続く道・踊り子・
生きるよろこび・あの太陽もっと幸あれ・蜘蛛の糸よきれないで・悪夢・
流星にのって・銀の粉・テールライト・雨の音・・・・・
すみません、今思い返してみてもやはり決められません。
そして、長いブランクを経て新しく出されたCDにも、
好きな曲、いいなあと思った曲がたくさんあります。
「ひとりからふたりへ」「ぼくの日」の中の曲は、
ふとした時に口ずさんでいたりするくらいまで、
繰り返し聴くことが出来たのですが・・・

ケメの想い出

 私は出遅れてしまったファンなので、
コンサートに行ったこともなく、何も語ることが出来ません。
発表当時に聞けた曲は「通りゃんせ」だけでした。
ラジオで「あおい君と佐藤クン」を、
聴くことが出来るようになったのも番組の終了近いころでした。
覚えているのは、そのなかで新しい曲だと紹介された、
「ハイウェイのバスに乗ろう今なら夜明けに間に合う」という歌。
ああ、新しい曲を今聞いたのだ、と、とても嬉しかったです。

メッセージ

ケメ、佐藤公彦様とそのうたは、
今思うと、年の離れた弟ひとりしか持たない私にとっては、
気持ちに寄り添ってくれるやさしいお兄さんのような、
友人のような存在でした。
6月24日に亡くなられてしまっていたことを、
7月30日に突然に新聞で知り、実感出来ず、
まだ悲しいと悼む感情が湧かず、
美空ひばりと、村下孝蔵と、同じ日が御命日になるんだ、
すごいなあとか考えていました。
ケメのうたに出会えてよかったやっぱりすごい人だった!と。

今時間が経って、改めていろいろと思い返して、
悔やまれるのは、私の生活環境が変わってしまった為、
おうちCDを初期の何枚かのあと、
続けて申し込み出来なかった事です。
新しい曲を聴くときはまず最初は最高の環境でじっくり聞きたい。
そして何度も聞いて、覚えて自分で歌えるくらいになってから、
順番に次のCDを、と思っているせいでもありました。
ずっと、遠くからの遅くからのファンだったため、
ケメから直筆のメッセージが届くということで、
なおさらちゃんと聞いてからでないと、失礼になるのでは、
と云う思いで、直にやり取りするのも怖かったのです、
ケメ、本当にごめんなさい。
数えきれない、いいうた、曲を本当にありがとうございました。
これからも私は変わらず、
あなたのファンです、ずっと聞いて、口ずさんでいきます。
どうぞよろしくお願いします。

名前

ようこ

あなたのケメとの出会い

高校のクラスメートにファンがいたので、一緒にコンサートに行くようになりました、

ケメに嵌った想い出

自由度が高い都立校だったので、学校早退して、銀座NOWや公開録音を見に行ってました。私にとってケメはすぐ会いにいけるアイドルでした。

一番好きな曲

五月の風は、あじさいの花の下でが大好きです。
初夏の歌はケメらしさをより強く感じます。

ケメの想い出

ケメは私のバイオリンで、バイオリンのおけいこを2度弾いてくれました。昭和49年の日仏会館とあいざき進也の明治の明治のハイハイハイというニッポン放送の番組でのゲスト出演の時です。その時のテープは劣化して聞けなくなりました。とても残念。

メッセージ

ケメありがとうございます。ケメと会わなければ、今の私はいなかったと思います。これからも、癒されたい時、元気になりたい時はケメの歌を聞きたいです。私の中のケメは私が生きている限り不滅です。