2017/09/11 作成
2017/09/11 更新

私の想い出 2017年8月12日〜16日受信分


名前

NORIKO

あなたのケメとの出会い

あまりにも遠い記憶になっておりますが。小学校6年生の時、2学年上の兄が持っていた唄の市のレコードを聴き、フォークの魅力に取り憑かれたのだと思います。甘いケメの声とメリーゴーランドの曲に惹かれファーストアルバムを買いました。
神奈川県横須賀市出身で、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの「ヤジマレコード」というショップで、LPを予約購入するとポスターだけでなく、横須賀市で一番大きいホール横須賀文化会館で開催のコンサートチケットを無料で手に入れる事が出来ました。これが初のケメ コンサートでした。

ケメに嵌った想い出

午後のふれあい ケメのファーストアルバム以降発売されるアルバムは全て購入し無料コンサートは必ず出かけ、楽屋口の出待ちもしました。毎日のように本屋にも通い、ケメの記事を見つけると購入しました。もちろんラジオも。小学校6年生から中学2年生くらいの時期です。子供のくせにいつも寝不足でした。深夜放送ファンという雑誌にケメのシャワーシーンの写真が載りました。フォルダ式のプラスチックに入れて下敷き替わりに学校に持って行っていたら、クラスメイトに見つかり思い切り避難されました。友達にケメファンはいなくて、いつも一人浮いていた時期です。中学に入り仲間が一人出来ました。

一番好きな曲

一番好きなアルバムは「片便り」。「いのり」と「過ぎた時もこれから来る時も」が最高です。アメリカから帰り、その経験が色濃く表現されたことがわかりました。19歳で初めての海外旅行でカリフォルニアに行きました。その時はすでにケメとは離れていましたが、飛行機の中で雲海を見た時、ハイウェイを走った時、「西海岸に続く道」が頭の中に蘇りぐるぐると繰り返した事を強く記憶しています。

ケメの想い出

コンサートのMCでは、時にシモネタも飛び出して笑いがいっぱいでした。歌になると歌の世界を表現する色々なケメがいました。ケメが好きだったのは、可愛い男の子だったから?多分違うと思います。ケメの創る歌に心を掴まれたのだと思います。アルバムの解説や記事を読みふけったのはケメの歌が何処から生まれるのか知りたかったから。

メッセージ

フォークのアイドルという人もいましたが、ケメの存在は、むしろ迷える巡礼者?私はそれに惹かれて後を歩く者だったのだと思います。ほんの子供で「生活」や「たった一人の友達」を聴き涙が出た自分をはっきりと意識したこともないのに。ケメとのふれあいはよろこびの朝ごはんが無かった私のよろこびのお夜食でした。私にとっては、当時の私の心の点滴になっていたと思います。歳を重ね全てを忘れてしまっても、ケメの曲を聴けば涙になると思います。
ケメ君とこの再会へ導いてくださったtoshi さんへ心からの感謝と愛を込めて。

名前

みどり

あなたのケメとの出会い

中学二年生の時に、友達を通じて、ケメを知りました!それからは、当時、横浜の紅葉坂にある、県立音楽堂から、始まり都内の文京公会堂など、学校帰り、トイレて制服から私服に着替えて、コンサートに通いました。

ケメに嵌った想い出

ケメが、アメリカに行ってしまう前の、日比谷公会堂でのコンサート!とても、印象的です!友達と、あの頃、ケメが好きだった?ミディ丈のワンピースを来て行きました!

一番好きな曲

ケメの曲は、みんな大好き!メロディも綺麗で、歌詞も少女の気持ちというか、まさに、あの頃、ぐっと心に響きました!
愛と私、想いではあなたとわたし、メリーゴーランド、5月の風、小さなおはなし、ゆめのなかで、バイオリンのおけいこ、通りゃんせ、虞美人草など…ユーチューブできいて、みんな覚えてるし、すぐに歌えました!いまでも、頭の中で、ぐるぐるまわってます!

ケメの想い出

中学生から高校生になった頃に、確かに、アメリカに行ってしまい、それからは、私が、短大生時代に、渋谷ジャンジャン、新宿のライブハウスに行ってました!ファンクラブで、夏の軽井沢バスツアー?プリンスランドの、貸し別荘に泊まり、ケメと、テニスしたり、コンサート聞いたり、今でも、写真があります!確かに、マークも一緒?主催が、レコード会社だったかな?

メッセージ

佐藤公彦様、たくさんの素敵な歌と、想い出を、ありがとう!まさに、青春のイチページというか、すべてでした。活動再開された、大井町ライブハウスに行ってみたかった!心残りです…これからも、空の上から、私達ファンに歌を歌ってください!一番の親友で、一緒に、ケメのコンサートに行ってた友達、ギターで、ケメの曲を上手く弾いてくれて、ギターを教わった彼女は、四年前に、55歳で、病気て亡くなってしまいました。天国でケメに会えて、歌を聴いているかな…

名前

じゅでぃ

あなたのケメとの出会い

中学1年のとき。多分深夜放送がきっかけだっと思います。「ケメのソネット」を最初に聞き、その優しい歌声に惚れました。

ケメに嵌った想い出

最初に生のケメを見たのは、横浜音楽堂での『Ohシンディ』の公開放送でした。中学1年生だったために友達と二人では行かせてもらえずに、母がついてきました。入り口で、終わったらここに来なさいと言われて、友達と二人で入場したのを覚えています。
LPを買い、擦り切れるほど聞きました。
勉強しないと母親に怒られて、部屋に貼ってあったケメのポスター(午後のふれあい)を母親に破られ、泣きながらセロテープで貼り合わせたときのことは、今でも覚えています。
ラジオから聞こえるケメの声はいつも優しくて、本当に癒されました。藤沢市民会館に、ケメの音楽会を見に行ったことは、今でも覚えています。
その後は中3で海外にいってしまったので、ケメ熱は徐々に冷めていきました。

一番好きな曲

今は昼下がり:私にもソバカスがあって、当時はコンプレックスだったので、「そばかすがあってもいいんだ!」と思ったことをすごく覚えています。大人の恋に憧れました。

愛のソネット:こんな歌を優しく歌える人がいるんだと驚きました。この曲と「流星に乗って」は何百回聞いたかわからないです。

日々これ決戦:「千羽鶴」の優しい叙情的な曲調が好きでした。

ケメの想い出

唯一、当時、ファンレターの返事としてケメがギターを弾いているポストカードに直筆のメッセージを書いてくれたハガキが今でも私の宝物です。人気絶頂期に直筆の返事をくれるなんて、なんて優しい人だろうと思いました。

80年代に新宿ロフトでのライヴに行きました。懐かしかった。
その後は数十年ぶりに2009年の唄の市で、ケメを見ました。
自分の中学時代になくてはならない存在だった人が元気でいることが嬉しかった。

このようなページを作ってくださったToshiさんに感謝です。先日のオフ会に初めて参加させていただきました。ケメの冥福を祈ることができました。ありがとうございます。

メッセージ

ケメ
私の青春の1ページを飾ってくださってありがとう。
その後も素敵な歌を作り続けてきたんですね。
あなたの歌は、そのまま私の青春の思い出です。
今、あなたの歌を聴くと当時の記憶がそのまま蘇ってきます。
本当にありがとう。天国でも歌い続けてくださいね。
R.I.P. ケメ。

名前

YUKI

あなたのケメとの出会い

中学2年〜3年の間、父の転勤で宮崎県にいました。東京の友人からの手紙でケメのことを知り、雑音だらけのラジオからかすかに聞こえてきたラジオ関東の「ケメのソネット」をキャッチ。ケメの口から出てくる言葉がキラキラしていて、断片的に聞こえてきた歌「君から遠く離れて」。「今日の君は元気だった?」にはじまり、オルゴールみたいな音のエンディングテーマ「今日の僕 明日の君」にのせて「明日の君も元気でね」で締めくくられる10分間の番組。すぐに惹かれました。東京での人気は凄かったようですが、宮崎での知名度はほとんどなかったので、情報を集め、学校で布教する毎日。高校受験で東京に戻ったとき、クリアに聞こえるラジオがとても嬉しかった。そして受験が終わって春休みに渋谷公会堂の「ケメのリサイタル」に友人と行き、生ケメに会えて歌を聞けて本当に嬉しくて!ライブ盤「KEMEオンステージ」は、自分もそこにいっしょにいたんだという感動があります。(後のライブ盤「羊は山に」のときもいました)

ケメに嵌った想い出

ケメを教えてくれた友人と同じ高校に進めて、エレックレコードに遊びに行こうと誘われ、新宿御苑までいっしょに行きました。初めて行ったのにケメに会えて感激のあまり近づくこともできなくて。でも友人がケメといっしょの写真を撮ってくれました。といっても私は離れていたけど。その後も高校時代は折にふれ、エレックに遊びにいっていました。メイトルームがなくなっても、あの階段でうろうろしていたなぁ。
高校1年の文化祭では、友人とフォークグループを作って、丸山圭子ちゃんやケメ、ピピ&コットの歌を歌いました。演劇部では民話劇「瓜子姫のあまんじゃく」をやり、音楽はケメの「千羽鶴」から何曲かを使いました。

一番好きな曲

一番は難しい。10代の頃、繰り返し聞いたのは「午後のふれあい」「明日天気になあれ」「千羽鶴」の3枚でしょうか。その後の曲も大好きですが、やはりこの3枚のアルバムには思い入れが強いです。
「たったひとりの友達」「今日の僕 明日の君」「夕暮れ」「恋摘み唄」「虞美人草」「ねえ、メロディ」・・・

ケメの想い出

*日比谷野音での「いってらっしゃいコンサート」は、途中で土砂降りになって大変でしたが、一生忘れない盛り上がりでした。少し前に古井戸のコンサートがファンの署名が集まりライブ盤になったということがあったので、「いってらっしゃいコンサート」もライブ盤にしてもらいたいと思い、学校やエレックに集まっているファンたちに呼びかけて署名を集めました。それを浅沼勇プロデューサーに届けに重役室まで行ったことが。そのときなぎら健壱さんや佐渡山豊さんもいて、優しかったです。残念ながら夢は叶いませんでしたが。当時はケメにもそれを話したら「すきなコンサートだけど、土砂降りで音も悪いからなぁ。。」と。ずっと後になってケメからその頃の状況をさらに聞きました。仕方なかったですね。でも、忘れられない思い出です。

*高校時代から、やなせたかしさん編集の「詩とメルヘン」(サンリオ刊)という雑誌を愛読していました。あるとき「フォークの詩人たち」という小特集があり、井上陽水さんたちの詩が載っていました。あとがきに、ページの都合で詩は載せられなかったけれど、と何人かのフォーク歌手の名前が上がっていて、その中にケメの名前が。嬉しかったです。その後「いちごえほん」という「詩とメルヘン」の子供版の雑誌をやなせさんの編集で創刊、初期には雑誌の宣伝のためだと思いますが「あなたの友人知人でこの雑誌をプレゼントしたい人がいたら編集部から送ります」という一行を見つけ、ケメに送ってほしいとハガキを送りました。その後「あおい君と佐藤クン」でそのことをケメが「「いちごえほん」が送られてきて、自分が詩人と認めてもらって、ものすごく嬉しかった」と話していて。。私も嬉しすぎて泣きました。

*ケメに手紙を書くことが日課だった10代の頃。初めてケメからいただいた手紙は忘れることができません。あのコンサートで私たちは同じ思いを共有していたのだとわかり、泣けて泣けて仕方ありませんでした。

*ケメ熱もだいぶ治まった社会人1年目の昼休み。お茶の水の会社の近くのガードレールに腰掛けているケメを発見。熱は落ち着いたとはいえ、夢のようでした!ケメはファンに見つかって面倒くさかったと思いますけど。お話できて幸せで、ケメがタクシー拾って去った後、嬉しくて「学生通り」の坂を駆け出してしまった思い出。

(思いつくだけいろいろ出てきてしまいますが、この辺にしておきます)

メッセージ

10代の頃の私を語るにはケメが欠かせません。21世紀になって、ネットでtoshiさんのケメファンサイトに出会い、ケメがまた歌ってくれる日に立ち会うことができました。たくさんのたくさんのすてきな唄を作ってくれてありがとう。きっとまた出会えると信じているからね。ケメの唄が消えないように、残して行けるようにできることをしていきますね。

名前

Yume

あなたのケメとの出会い

高1、16歳のころ、思春期の複雑な感情で、男っぽく成長する同級生の男子がたまらなく嫌だった時期がありました。前の席の男子が鉛筆を落とそうものなら、足で蹴飛ばしてました。手渡しなんて絶対出来ない!そんな時、本屋さんで、雑誌に載っていたケメを見つけました。「こんなきれいな男の子がいたんだ!」出会いは、完ぺき外見からでした。

ケメに嵌った想い出

それからは、ラジオ、歌を聴きまくり、歌詞、メロディー、話している言葉、考え方、全て夢中になりました。
ガソリンの水たまりには、虹が〜♪ 思わず見つけては微笑み。
みんなで海に行けば、私、パラソルの中にいる!(心は、私はいいのよ、日陰が好きなのよ〜♪)
雨の日の帰り道は、濡れながら、「誰にも会わないから傘はいらない♪」

小学生でも背伸びしなくていい声、憧れる歌詞、容姿が好きだった気がします。

一番好きな曲

「やさしく歌って」 痩せた心を折らぬよに〜♪ せつなくてたまらない気持ちになりました。

「くもの糸よきれないで」
生きて行くのに必要なのは僕の無口だったのかい♪ この意味をずっと考えていた時期がありました。社会で生きて行くことって?無口?本音を言わないってこと?

今も、あの時、20代のケメはどう考えていたのかしら?とふと思います。

ケメの想い出

北陸の片田舎で、そっとケメを思い、会ったことも、握手したこともなく、ただただ想っていた可愛い妄想の思い出です。

ケメの歌詞には、よく指が出てきました。16歳の私はケメを見つけてから、ずっといつもハンドクリームを持ち歩き、指をきれいにしていました。
いつか、どこかでケメに出会えて指を握って貰えるかもしれない!と、その日のために準備していました。

ケメの思い出ではなく、ケメを思っていた自分の少女時代の思い出です。

メッセージ

ありがとう。ありがとうしか。

ごくごく普通の平凡な青春の日々でしたが、キラキラ輝いていました。いつも優しい気持ちでいられました。ケメを思っているだけで。

名前

エンコ

あなたのケメとの出会い

中学生だったと思います。「今は昼下がり」を聴いて衝撃を受けました。
ルックスはもちろんのこと、声や話し方も大好きでした。
音楽雑誌やレコードでしか知る事が出来なかったですが、1度だけ大阪でのコンサートへ行った事があります。

ケメに嵌った想い出

一番好きな曲

沢山ありますね。
あじさいの花の下で
雨の音
一番は選べない…

ケメの想い出

メッセージ

子供の頃憧れていた本人に実際に会えて笑顔も声も変わらなくて夢のようでした。
顔と名前も覚えて頂いて光栄でした。
未だに中性的な男性が好きなのはケメさんの影響だと思っています。
ケメさんの音楽も一緒に過ごす事が出来た空間も消えません。
ありがとうございました。感謝しかありません。

名前

エミ

あなたのケメとの出会い

ラジオから「ケメックス星の男の子は好きな女の子に言葉ではなく花束を贈るんだよ」なんて軽やかで早口なおしゃべりを聴いたのが出会いかな〜。
今、思うと「ケメは流れ星」と言う番組だったのかもしれません。
とっても可愛い声で星の王子様だと思いました。

ケメに嵌った想い出

当時、高校生で一人でケメのコンサートに行くのは怖くて、もっぱら家でラジオや雑誌を眺めてました。

Mc sisterによくエレックの情報が載っていて、毎月購読し保管してたはずですが、10年前実家を片付けた際、捨ててしまったようで悲しいです。
1973年6月号の付録がケメの特集だったような?(私の記憶が間違ってなかったらですが)
パソコンで調べたり神保町の古本屋を探しましたが、売り切れでした。

一番好きな曲

♪いとおしい君♪です。
「大切にしてあげたいなんて初めて思いました」の言葉が大好きです。

ケメの想い出

10代の頃ケメに会いに行けなかったので、その分復帰後のお家ライブに行けて良かったです。

憧れのケメと近くで話せたり可愛いめぐちゃんを抱っこ出来たりで、今思うと夢のようです。

メッセージ

悩みが多かった10代から20代、ケメの歌声に癒されました。
本当にありがとうございました。

名前

オレンジ

あなたのケメとの出会い

ケメに嵌った想い出

一番好きな曲

明日天気になあれ

ケメの想い出

〇〇〇ライブハウスで知り合った長野県出身の【さわ】さん
共通のファンだったのが【ケメ】
ピアノが上手で、当時レコードを自費製作なんかしてて
一つ年上の彼女を なんとなくいいなって。
少しでも 仲良くなりたくて
彼女を誘って近くの公園、ギターでケメの歌を歌ってた。
でも想いはうまく伝えれなかった。
今でもあの頃のようにケメの歌聞いているのでしょうか? さわ、元気してる?

メッセージ

ケメさん、お疲れ様でした。
あなたのおかげで本当に音楽が好きになれた事感謝してます。
そして、沢山の歌と思い出をありがとうございました。
いつか僕もそっちに行く時がくるでしょう。
そん時はまた新しい曲を聴かせて下さい。 楽しみにしてます。