「悪法も法」か正直に生きる
(2002年5月16日 大阪版)
/*確かに守りたくない気持ちは理解できなくはないです。
しかし、悪法とはいえ法には違いありません。
個人の信念とモラルに従って法を無視するようなら、それは無法と人は呼びます。
もし、法律で戦争の協力を要請できるようになった際、憲法9条をなくす動きを危惧している人間なら、その憲法を無視しても良いというのであれば、現行法に不服のある人間は勝手に9条を無視しても良いというのでしょうか。
この言い分が通るのであれば、天誅の名の下で殺人も許可されてしまいます。
どのような罰をも甘んじる覚悟があるのならば、それでも良いと言うのでしょうか。
信念とモラルのもと公然に生きるということは素晴らしいことかと思います。
しかし、その信念とモラルは万人共通でないことも知るべきでしょう。
そして、現行法に不服であるのならば、法の改正運動を行えば良いのです。
民主主義国家である日本において、著名さえ一定数に達すれば法を変えることはできるのですから。
しかし、自分のモラルと信念に従った結果、どのような罰も受けるとハッタリをかましておいて、学校からの罰にはえらく不服のようです。
これで、校則違反の罰則をいくら貰おうとも、俺はバイクに乗り続ける!くらいやってくれたら、それはそれで男らしいんですけどね。
まぁ、敬語を間違えて覚えているくらい子供なようですし、ここは暖かく見守って
おくべきでしょう。