【17才の夜 】


「悪法も法」か正直に生きる


高校生 福田 哲弥(兵庫県三田市17歳)


 私は、単車の免許を取らない、買わない、乗らないという「3ない運動」に違反して停学処分を受けました。
 しかし私は、人として悪いことをしたとは思っていません。

 高校生は危険な乗り方をすると決めつけ、信頼しようともせず、21年間続けてきたことに驚きさえ覚えます。
 交通ルールを守り、むちゃな乗り方をせず、命を大切にすると親に約束し、許可を得て取得した免許です。
 取得後も、親の運転する車の前を走り、カーブの曲がり方、スピードの出し方など注意を受けました。

 今まで悪いことを一度もしたことないのが、私の自信の源です
 
 先生は「悪法も法。従わねばならん」と申されました
 私はそうは思いません。

 悪法に従えば、悪法と同じレベルの人間になると思います。
 憲法9条をなくす動きが感じられ、有事3法案が国会で議論されています。

 さまざまな戦争の為の協力が義務として強いられるかもしれません。
 
 しかし、私はどんな罰を受けることになっても、このような法律には従いません。
 これは悪いことでしょうか。

 この精神は永遠に持ち続けたい。
 自分自身の信念とモラルのもとに公然と正直に生きていきます。
 
 罰せられても、私は私らしく生きたいです。


(2002年5月16日 大阪版)

/*確かに守りたくない気持ちは理解できなくはないです。

しかし、悪法とはいえ法には違いありません。
個人の信念とモラルに従って法を無視するようなら、それは無法と人は呼びます。

もし、法律で戦争の協力を要請できるようになった際、憲法9条をなくす動きを危惧している人間なら、その憲法を無視しても良いというのであれば、現行法に不服のある人間は勝手に9条を無視しても良いというのでしょうか。

この言い分が通るのであれば、天誅の名の下で殺人も許可されてしまいます。
どのような罰をも甘んじる覚悟があるのならば、それでも良いと言うのでしょうか。

信念とモラルのもと公然に生きるということは素晴らしいことかと思います。
しかし、その信念とモラルは万人共通でないことも知るべきでしょう。

そして、現行法に不服であるのならば、法の改正運動を行えば良いのです。
民主主義国家である日本において、著名さえ一定数に達すれば法を変えることはできるのですから。

しかし、自分のモラルと信念に従った結果、どのような罰も受けるとハッタリをかましておいて、学校からの罰にはえらく不服のようです。
これで、校則違反の罰則をいくら貰おうとも、俺はバイクに乗り続ける!くらいやってくれたら、それはそれで男らしいんですけどね。

まぁ、敬語を間違えて覚えているくらい子供なようですし、ここは暖かく見守って おくべきでしょう。

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