【セイノーみんなでゴール 】



論より行動の高校生がいた

無職 林 一美(岐阜県中津川市 69歳)


 運動会・体育かいシーズンになると、決まって思い出す光景がある。

 M高校体育祭のフィナーレを飾る800bリレー。東西南北4チームの精鋭の出番だった が、第1走者の一人が半分走った所でバトンを落とした。
 第2走者にバトンが渡った時、す でに半周遅れときては、観衆の目にさらされる若者にしてみればやっていられない場面だ。
 
 と、真っ赤なアンカー印の鉢巻姿でトップを走っていた選手が、ゴールのテープの手前で ピタッと止まった。
 
 2番、3番の選手もこれにならう。
 
 間を置いて、ビリの選手が並んだと思っ た瞬間、「セイノー」のかけ声とともに、アンカー4人が横一線に並んでテープを切った。

 
すかさず、アナウンス役の女生徒が「ただいまの競技、4チーム同タイムの1着でした」
 応援団がどっと沸いた。

 小学校の運動会で、優劣を競い合う競技を差別と見るか見ないか、論議がかしましい今、 高校生は大事を前に論じる事無く行動した。

 30年前の事である。


(2001年10月5日 名古屋版)



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/*これ、ひょっとして生徒たちの学校に対する反抗なんじゃないんですか?

もしくは運動会を盛り上げるため、生徒間で決めた演出というか・・・
何の申し合わせもなく、その状況に生徒が各々判断した上で「セイノー!」で一緒にゴールテープを切るなんて、普通は考えられません。

アイコンタクトすらせず、同じチームメイトでもないのに、2番手と3番手の生徒は一番を走っている生徒の意思を汲み取れたのなら、なんて生徒が一丸となった学校でしょう。
ここまでの次元に生徒がいるとなると、確かに運動会なんて茶番でしかないですね。

優劣を競い合う競技を差別と見るか見ないかといった問題に対して、高校生は大事を前に論じる事無く行動したと投稿者は感動していますが、最終リレーでみんなが同時にゴールしたって、それまでの競技もみんなが同時にゴールしていないなら、結局勝敗はついているんですよね。

しかし、これで一番を走っていたチームが総得点で負けたのであれば、まじめに体育祭で頑張っていた子たちが可愛そうです。

スタートと同時に逆走するといった明らかな悪ノリであるのなら、まじめな生徒たちも文句を言えるでしょうが、この場合は腹が立っても大っぴらに怒ることもできません。
もちろん、そのミスをした子が物凄く人望のある子で、その子が周りから攻められないために一番の子が止まったというのであれば、それはそれで美談かもしれませんが、それでも真面目にやってきた子たちからすれば、やってられない事態ではあったでしょう。

いつも1人よがりな正義で迷惑するのは真面目に物事を取り組んでいる人たちです。

運動会を含め、優劣を競う競技が差別などと言っていり方たちの気が知れません。
もし、運動会が差別だと言うのなら、入試や試験も頭脳の優劣を競う競技と言えますし、オリンピックなど差別の塊です。

ここで断言しますが、運動ができる能力も勉強が出来る能力も一種の才能です。
それを発揮できる場を学校が提供することは、個人の素質を見極めるためにも、とても有意義なものだと考えています。

大事なのは機会の平等であって結果の平等ではないのです。


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The Japan Times