昔の話、現業実習

初めての仕事?(実習)
歓迎会
Y先輩
宿替え
台風
ある日曜日
仲田君の彼女
ヒージャー会


昔の話、現業実習

私が学生の頃、授業科目に現業実習というのがありました(今でもあるのかな?)三年次の夏休みに行われたと思います。

ちなみに農業工学科というマイナーな学科を卒業いたしました。卒論のテーマが「ジャーガル土壌における客土とトラクターの走行性能」だったかな?忘れました。

現業実習の内容といたしましては現場(企業、公官庁)で一ヶ月ほど仕事の手伝い(邪魔?)をするというものです。勿論賃金も頂けますし、単位も2もらえました。

各地域に受け入れ先の表のようなものがあって、人気のあるのが北海道方面、続いて東京、後はそこそこでした。

内容も様々だったような気がしますが、だいたいが土木測量などの関係だったと思います。

先ず誰がどこに行きたいかなど関心のあるヤツが聞いて回り、どこそこは枠一杯そうだから駄目でどこどこが開いていそうで、希望通りになるかもしれないと勝手に予想をしたり、あそこは交通費まで出るし、時給も高くて良いとか情報が飛び交っていました。

私はのんびりやさんですので、どこが開いてますと教授に聞いてここなら先ず希望通りにいくと聞き、それなら其処にして下さいと簡単なモンでした。

その其処とは沖縄県八重山の石垣市にある県庁支庁でした。其処を希望した人はもう一人いまして割と仲のいいヤツだったのでまあ良かったなと決定を聞きました。

夏休みに入り(沖縄は暑いので?7/1〜8/31が夏休みです。)いよいよ出発、貧乏学生なので勿論船です。二人なので何とか退屈せず過ごせましたが船中一泊けっこう長かったです。

途中宮古島に寄港、今だとばかり陸におりてソバ屋を探しました。宮古島のソバは同じ沖縄でも麺が美味しいと聞いていたからです。直ぐに見つかり食べてみましたが確かに少し違いました。卵の量が多い感じです。美味しかったですよ。置いて行かれては大変と食べ終わってダッシュで船に戻りました。

宮古島からもまた何時間かかかってやっと八重山港到着です。とにかく暑い!周りの人はほとんどが観光旅行者ですのでそれなりに涼しそうな格好をしていますが、私たちはまさか半ズボンというわけにも行かず、たいしたものは持っていなくても一応正装です。汗かきながら目的地はどこかいなと地図を見てもさっぱり分かりません。相談の結果タクシーということになり目的地を告げ乗り込みました。そうしたらあっという間に到着です。タクシーの運転手さんご免なさい。

事務所?に入ってまずは挨拶、「こうこうでお世話になります」そして自己紹介、支所の方も近くにいた方が自己紹介をして下さいました。聞いているとOBの方が数名いらっしゃって何となく安心しました。その後とりあえず泊まるところに案内して頂きました。一泊いくらの何にもない所です、今まで経験のないような宿で、しばし困惑していましたが、とにかく支所に近いのでまあ良いかと無理矢理納得させました。お金もあまり無いので贅沢は言えないということです。明日から実習と言うことで、到着した日はその後フリー、でも疲れていたのかご飯食べてバタンキューでした。

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初めての仕事?(実習)

先ず何をするのかな?説明を受けましたところ、測量の手伝いでした。担当の方一名に対して私たち二人が補佐役です。現場は、吉原というところで、農道を付けるための測量です。少しは学校でやっていましたのでなんとか道具の名前くらいは分かりますので役に立っているのかな?それにしても暑いのです。測量ですから炎天下!半袖など着ようものなら腕が焼けてたまりませんので長袖です。おまけに斜面を行ったり来たり、疲れます。クラブで毎日炎天下練習をしているのですが、それとは違った疲れです。

一日目など昼頃になるともうだめぇ〜と言う感じでした。昼食はお弁当を買っていきます。回りは何もないところですので現地調達というわけには行きません。少しでも涼しいところと影を探して座り込みます。車の中が良いと思われるでしょうが、残念ながらぼろぼろのジープです。おまけにクーラーなどついていませんのでサウナ状態です。車は駄目です。そして午後からも斜面を行ったり来たりして、一日が終了します。

行き帰りの道具ジープはクッションが悪い!座席は荷台に横についています。座っても前を向こうと思うと体をひねらないといけません。何故前を向くか?がたがた道など走っていると体ごと飛んで頭が天井にぶつかります。慣れてくるとうまく手が出るようになって被害も少しマシになります。と言うことで道を見ながら体がジャンプするタイミングをつかむためです。舗装道路に出るとほっと一息です。ところが油断するとまたジャンプ!結構疲れる乗り物でした。

初めの頃は現場までの観光地などを回って頂いたり、わざわざ遠回りして連れて行って下さったり、島を一周して頂いたりと大サービスでした。特に川平湾はとてもきれいなところで感動しました。またビーチではビキニのおねーちゃんがうじゃうじゃ、三人でしばし固まったまま見ていたことも・・・・・。何しろこちらは作業服に靴です。完全に場違い。ビキニのおねーちゃんもこちらを見るとさぞ気持ち悪かっただろうとお察しいたします。

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歓迎会

私たちの歓迎会をしてやろうということになったみたいです。「今日は5時までに帰れるように」といわれて担当の方と車に行きましたがしばし考え中。今日は近場にしようかと悩んでいらっしゃったようですが、やはりいつもの所でした。だいたい一時間弱かかりますのでその日は早めに切り上げて帰りました。
さて歓迎会は何をして頂けるのか?やっぱり宴会でした。食事をしてその後スナック、土地柄か皆さんよく飲まれますし強い!嫌いじゃないのでお付き合いしていましたがさすがにもう駄目という感じでした。

Y先輩

歓迎会の最中Y先輩がよく話しかけてこられました、大学の先輩だから気をつかって頂いているようです。一番若い方ということもあり、皆様にからかわれたりしておられましたが、お酒が進むと急に強気になられます。するとまたからかわれる。

なよっとした感じの方だからか周りから「Yおまえ童〇だろう」といわれ「違う!」とやりとりがあり、忘れた頃にまた「おまえ童〇だろう」「違う!」の繰り返し。何を思ったのかY先輩「june」今からト〇コ(風俗のお風呂で昔はこう言っていたと思います)へ行こうと誘ってくださいます。困ったなと回りを見渡してもニヤニヤとされるだけ「冷たい方々やなぁ〜」と心の中でつぶやいていました。

私は何故困ったか!お金がなかったのです。またそういう所は行ったことがないのです。そのうち気が変わるだろうと期待しながらおりましたところ歓迎会も終了。さて帰ろうかと思っていたらY先輩が「june」行くぞ!アチャァ〜まだ気が変わっていない。どうしようか・・・。仕方ないので「先輩、私お金無いんです」と正直に言いました。これで納得して下さるだろうと思っていたら、かなり酔われているのか「私がおごります」と仰有います。もう断る理由が無い。私そんなとこ嫌いですとも云えず覚悟を決めることにしました。当時二一歳、そのようなところはかなり興味があったりします。

当然場所も分かりませんのでY先輩に付いていくことにしました。ところが足下がかなり怪しい上、同じ所を言ったり来たりしています。「ここ通りましたよ」「大丈夫連れて行ってやる」会話になっているのかなっていないのか?そうこうしている内にやっと到着。

どきどきしながら入ろうとすると、「お客さんかなり酔ってますね、当店では酔っぱらいのお客さんはお断りしています」私にむかって「お兄さん連れて帰って下さい」とおっしゃいました。Y先輩「酔ってません」と少し粘られましたが、誰が見ても酔ってます。あきらめて帰宅することになりました。やったーと思う気持ちと残念と思う気持ち、複雑でした。

翌日皆様に「昨夜はどうだった」と聞かれまくりましたが、「しまっていました」とお返事しておきました。くるしいぃ〜。Y先輩はよく覚えておられなかったようでした。

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宿替え

何日か経過してクラブの後輩仲田君と連絡が取れました。彼は石垣出身で勿論家も石垣にあるわけです。出会って一杯のみに行きました。話をしているうちに「うちに泊まったら」と言ってくれます。何ともうれしいお誘い!あの何もない部屋にお別れが出来る。「本当に良いの?お世話になります」と返事しました。その日はとりあえず宿にかえり、連れに「こうこうで明日からあちらに行きます」と伝えました。

翌日宿に仲田君が迎えに来てくれました。荷物を持ってタクシーで家まで直行。しかし八重山のタクシーは当時安かったように思います。記憶曖昧ですがワンメーター150円だったと思います。沖縄本島よりも安かったはずです。(ハイライトが80円、ハイトーンが60円?バイオレットが50円?)

仲田君の家はワンメーター以内の距離ですが、明日からは歩いて支庁まで行かないと行けません、道中目印になるものを頭に入れておかないと迷うかも、と思っているうちに到着。ほとんど一本道これなら迷わず行けそうです。

家について先ずご両親に「お世話になります」と挨拶です。その後夕食となり、ご馳走を頂きました。お父さんは漁師で新鮮な魚を持って帰って下さったそうです。久しぶりにおなか一杯頂きました。その後も晩酌が続き天国でした。

この後何日もお世話になったわけですが、私の知らない食材が沢山登場して晩ご飯がかなり楽しみになりました。勿論毎日ご馳走ということではなく、本当の沖縄(八重山)家庭料理でした。

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台風

実習の何日目だったかは覚えていませんが、台風がやってきました。沖縄といえば台風銀座(今でもこんな言葉使うのかな?)結構強力なヤツが直撃です。確か夜に接近して朝には通り過ぎたと思います。

沖縄本島では瞬間最大風速が45m位ならお店も開いていますし、昼間なら子供も遊んでいましたが、その時は瞬間最大風速70.2mでした。

勿論私はそんなのに出くわしたことがありませんでしたので、何をすればよいのか分かりません。仲田君のおうちの方の指示で外から木戸に板を当て釘で打ち付けました。?このようなことは小さい頃家でも親父がやっていました。建物の構造が昔とは違うのか、今ではあまり見かけませんね。

その時はもうかなり風が出てきてましたので結構怖かったのを覚えています。外に出ると店の看板や、トタンが何処かから飛んできていましたし、雨がすごかったのです。普通下に落ちた水は上がらないのですがその日は違っていました。風に吹かれ水が斜め上方に飛んでいきます。

外の応急処置を終え、家の中にいたのですが風上の方から雨が進入してきました。屋根の下から入ってくるので防ぎようがなかったみたいです。すごい音で風が吹いていますし、そのうち停電してしまいました。寝るにもなかなか眠れなくてローソクの明かりで集まって話をしていましたが内容は覚えていません。

何時間か経過したのでしょう台風の目?らしく風がやみ静かになったのですがそれはそんなに長く続きませんでした。再びすごい音で風が吹き始めました。明け方にはなっていなかったと思うのですがやがて静かになりしばしの睡眠を取って朝になりました。

外に出てビックリ!なにやら色んな物が道路に散乱していましたし、電柱は折れている物があります。とりあえずその日も実習に行くために支庁に向かいました。しかし酷いもんです、フロントガラスのない車が沢山走っているかと思えば、ひっくり返っている車もちらほら、この町どうなってしまったのだろうと思いながら到着しました。

今日は何をするのだろうと待っていると、とりあえず被害調査に向かうと言うことでした。場所は島全体ですが、遠いところは多分無理だろうからとりあえず近場です。

車に乗って出発すると信じられない光景が・・・道の真ん中に家?多分家です。鉄骨?の骨組だけであとは何も無し、こんな物どこから飛んできたのか?違う道に回って走っていると大きな物体?何かと見ると体育館の屋根です。めくれてしまって道路にコンニチハ!もう至るところ物ものです。

始めに着いたとこが魚港でした。無惨に漁船が沈没しています。さらに見て回ると護岸壁が痛んでいるところが沢山ありました。テトラポットも砕けて形が変わっています。よく見てみると護岸壁の表面にうすいコンクリートの層がありました。規格に厚さが足りなくて上塗りしたようです。この業者さんは多分無料でやり直すことになったと思います。後はどうなったか知りませんが・・・。

その日から期間終了間際まで、実習の内容は被害調査に変わりました。県の管理する物を手分けして調査するのですが、はっきり言って私達は役に立ちません。ある程度経験があって被害がどれくらいか分かる方でないと只えらいことになっているなぁ〜と見物しているような物です。あくまで付き添い(お荷物)です。車が泥濘にはまったりした時に役に立つ程度!写真にしてもどこを映せばよいのやら?

移動中もすごかった。道路に沿ってたっている電柱が電線に引っ張られたのかドミノ倒し状態!道が途中で無くなって移動をあきらめたり・・・。

停電は町中で三日から一週間、田舎の方では二週間たっても復旧出来ていませんでした。感心したのが発電機です。沢山の家で使っていらっしゃいました。やはり台風に関して危機管理が出来ているのでしょう。夜は結構賑やか?ブ〜〜ンブ〜〜ンブ〜〜ン

町中でもまずは飲屋街に電気が通りました。そしてそこから広がっていくように回復していきました。ある程度落ち着いてから少し遠くまで行きましたが、バナナは木の先が折れて全滅状態。さとうきびは大丈夫と思ったのですが、聞くところによると風で海水が掛かってしまったのでこれもダメらしいです。

記憶が薄れていますので印象の強い物しか思い出せませんが、実際はまだまだ被害が大きかったのだろうと思います。石垣空港の管制塔のガラスも割れていました。

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ある日曜日

日曜日はお休みです。自動車があればドライブくらい出来るのですが・・・。仲田君のお兄さんが自動車(ブルーバードの新車)をお持ちでした。何とか交渉して貸して頂けることになりました。私と仲田君とその友達三人で島中をぶらぶら、免許を持っていたのは多分私だけだったように記憶しています。ですので私が運転して仲田君に道案内をして頂き、観光地に出発。島を右からぐるっと回りました御神崎、底地ビーチ、川平湾、玉取崎展望台、白保の海は素晴らしかったです。

底地ビーチで泳ぎました。水は川平湾の方がきれいなのですが、流れが強く、よく人が亡くなるらしい、あまり泳いでいる方は見かけません。黒真珠の養殖などがあったように思います。沖縄のビーチは白い砂ですがリーフの中頃になると珊瑚礁で素足では歩けません、素足だと必ず怪我をします。サンダルをパンツに挟んで沖の方へ、リーフが切れるところがとても綺麗です。もちろん危険もあります。沖に落ち込んでいくところの珊瑚は大きくて熱帯魚も沢山います。昔テレビで見ていた熱帯の海のようだと感動したのを覚えています。

珊瑚の中にはシャコ貝やウニなど食料になる物もいます。シャコ貝はマイナスドライバーなどを口からつっこんで貝柱を切って取り出して身を食べます。ウニはご存じの通りです。

なにぶん若かったので観光地以外にも興味がありました。ビーチで女の子三人組を見つけ「どこから来たの」「埼玉から」とかいって会話をし「後の予定は何かある?」「このまま観光です」「それなら案内しましょうか?」しばし女性軍相談中、危なくなさそうと思ったのか「お願いします」ということで楽しい一日に。勿論私は現地の人になりきっています。当時真っ黒けでした。五人乗りの車に六人こりゃええわ?残念ながら私は運転手、周りスッキリでした。

パイン園などへ行き食べ方の講習&皮をむいての大サービス!そろそろ夕方、さてこの後どうするか!「今晩予定は?」「明日早い出発ですのでこのまま帰ります」「食事でもいかが」「いえホテルにありますので」「そう、じゃ送ります」男達の密かな期待はこのようにして散っていきました。途中写真など撮影して送るからと住所のチェックは出来ていましたが何も進展無かったようです。無事写真は届いたようで帰ってきませんでした。お約束通りホテルまでお送りしその後車を返して飲みに行きました。勿論話題は本日の事、反省会?でした。

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仲田君の彼女

仲田君の彼女が八重山まで遊びに来るらしい。そんな話を聞きました。普段私は実習に行っていますので昼間はいません。しかし土曜日の午後と日曜日は休みですので仲田君に遊んで頂いていました。

彼は夏休みのバイトに行っていましたのでやはり昼間は仕事です。でも彼女が来るのですからバイトはお休みするのでしょう。

彼女はM県出身のT嬢です、なんで知っているか?学校のクラブの後輩です。私としては知らない方でもないし、日頃から良くクラブで顔を合わせているので気楽な物ですし別にお世話をするわけでもない。それこそ私がいたらせっかく会いに来たのにお邪魔です。まあ今度の日曜日は何処かで時間つぶそうと思っていました。

仲田君の家には小柳ルミ子の写真がありました。一枚ではなくお兄さんと写っているものなど数枚です。話を聞いてみるとお兄さんは竹富島へ行く観光船を操縦されているそうで、お客に小柳ルミ子が来たらしいのです。当時?彼女は「星の砂」という歌を歌っていましたので多分撮影のため竹富島に行ったのでしょう。こんな歌やったかな「二度とできない恋を捨てあなた 遠く離ればなれになっていくの今 つらいわ」当時はまだかわいかったような・・・・。

その日の実習を終え仲田君の家に着くと、T嬢が到着してお二人がお話をされていました。「日曜日はどこへ行きたい?」「竹富島」どうやら決まったようです。竹富島には当時流行った「星の砂」が有ったことも行き先を決定した要因かもしれません。そこまでは聞こえませんでした。その他の話は別に聞き耳たてていたわけではありません。同じ部屋にいたので聞こえただけです。

さていよいよ明日は竹富島に出発というのに、なにやらT嬢が不機嫌そうです。これは離れていた方がよさそう。仲田君のバイトがどうしても日曜日休めないと言うことらしいのです。T嬢としては竹富島に行きたいらしい、でも一人ではいけない。かといって仲田君は休めない。ふたりがこちらを見ます。私には関係のない話だと思っていたのですが、そうでも無くなってきました。

どうやら、私がT嬢を竹富島へ連れて行けば話が収まるらしい。決してベストではないがベターという結論に勝手に決めたらしい。そりゃ私も竹富島には行ってみたい。でも人の彼女とはチョット・・・。ましてクラブの後輩、複雑!でも仲田君に頼まれたらお世話になっていますので断る選択肢は有りませんでした。

当日仲田君に送られて港へ、そこから仲田君のお兄さんの船に乗せて頂いて竹富島へ渡りました。帰りの時間だけしっかり覚えてT嬢と島の探検?

竹富島は珊瑚が隆起してできた島で、珊瑚で出来た白い砂の道が、青い空を一層青く引き立てます。独特な垣根は畑を耕した際、出てきたサンゴ石を積み上げたものらしいです。ガッシリと高い垣根は、台風から家を守ってくれる他、玄関そのものがなく縁側から出入りする沖縄の家の中を目隠しする役目も果しているそうです。

別にビーチでもないのにビキニ姿でお姉ちゃんが歩いています。石垣でもそうだったのですが、こちらはもっとすごい民宿のそばは小さい子供がいるのに少し隠したらどうという感じです。私はうれしかったです。隣のT嬢を見ると不機嫌そう、私がうれしそうな顔をしているから?仲田君がいないから?

先ず何処に行こうかと相談して、とりあえず星砂を探しに行きました。とことこ歩いてビーチに到着、確かこのビーチにあるはず。一ミリくらいの砂なので手ですくって探してもなかなか見つかりません。もうこの辺には無いのかと諦めかけていましたが、試しに水の中をすくってみるとワー沢山あります。T嬢にも教えてあげて少し袋に入れてお土産にすることにしました。

星砂を確保した後まだ帰りの船には時間がありました。どうしようかと相談すると、せっかく来たのだから泳ぎたいらしい。私は何となく気乗りしないのですが、お付き合いすることにしました。よく観光写真で出ている遠浅のビーチに移動、着替えることにしました。

私がT嬢にお願いです。「どんな水着持ってきた?何枚かあるのなら一番地味なヤツにして!」そういえば今までにクラブの連中で泳ぎに行った時はみんな半ズボンでしたし上はTシャツがお決まり。ところが「ビキニしか持ってきてない、その二番手のヤツにします」あちゃー見たくない。(心からの叫びです)彼女の名誉のために行っておきますが、決して体型が悪いわけではありません。トランジスタグラマー(こんな言葉もう知っている人はいないか)で魅力的です。何故私はそのように言ったか?人の彼女のヤツ見ても目に毒と思うからです。

着替え終わって出てくるとやっぱり視線がそれてしまう。適当に勝手に泳いで時間を過ごしました。もちろんT嬢に何かあってはいけないとたまに確認しました。

時間になり帰り支度。仲田君のお兄さんの船に乗せて頂いて無事帰宅出来ました。竹富の海は美しかった。白い砂浜も美しかった。仲田君の彼女も相手は不満だったでしょうが竹富島を満喫してくれたことと思います。何とか任務完了すごく疲れたのを覚えています。

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ヒージャー会

何週目土曜日だったか良くは覚えていませんが、支庁の皆様何となくにこやかでした。当時土曜日は半ドン(この言葉今でもあるのかな?)で午後からは休みでした。実働にして約三時間製造業ではないしたいしたことも出来なかった気がいたします。

その日はY先輩とフーチバー(ヨモギ)を摘んでこいとのこと?フーチバー?何をするのかさっぱり分かりません。とにかく摘んでこいと言うことなので行くのですが???もう一人の連れに聞いても分からないとのこと、とにかく三人で車に乗って畑の沢山ある所に行きました。

畑と言っても目的の物は畦に生えています。それを摘むのですが、どれぐらい量がいるのか、何に使うのか何も教えられずひたすら集めました。バケツ一杯以上有ったと思います。結構な量になってY先輩がそろそろ帰ろうと仰有います。

時間はほとんど正午、支庁に着くと今度は何か積んで浜辺に行けと指示が出ます。そんなに遠くないところです。「え〜、今日は半ドンではないのですか?」と私、「もちろん半ドンだよ、君たちはラッキーだね、二年に一度のヒージャー会が今日あるから参加しなさい」うむを言わせぬ勢いがありました。

連れにヒージャー会って何?と聞くとすべて合点したように「ヤギの鍋」と教えてくれました。ヤギの鍋?私の中では想像が出来ませんが、どうもそれをいただく宴会のようです。フーチバーもその時に使うらしいです。結局フーチバー摘みは、下っ端の仕事でちょうど私達が役に立ったという事みたいです。

いよいよ仕事の時間も過ぎて荷物を積んで出発と言うことになりました。これ積んでくれとトランクを開けられました。そこにはなんと皮を綺麗に焼かれ内臓を抜かれたそのまんまの格好をしたヤギが横たわっていました。私はとてもじゃないですが触ることなど出来ません。頭も付いているんです。しかしそんなことはおかまいなし!早くこちらに移せと指示が飛びます。どうしようかと考えている間に連れとY先輩が積み替えて下さいました。あと大きな鍋(直径70cm位のです)、包丁・ナタ・カッターナイフなどを積み込んで出発しました。

近くですので直ぐに到着、荷物を下ろして準備です。さて何をさせられるのだろう?とりあえず場所の確保鍋の位置など決めてコンロの準備。後発隊は酒や食器、テーブルの用意などがあるらしい。

ヒージャーが無かったらとても良い景色でうれしいのですが、現実には目の前に転がっています。まさかこれを素人が解体するのか?黙って立っているだけの私に、そろそろ準備に掛かろうかといつの間にか到着したいつもの担当の方が仰有います。「これをどうするのですか?」「鍋用と刺身用に分けます」「私、したこと無いのですが」「教えてあげます」やはり私も解体作業をしないといけないみたいです。

しかし顔が付いているのはどうも苦手!しかし作業は始まりました。何方かがナタで頭を落とされました。ゴロン!転がった顔がこちらを向きます、こっち見ちゃダメ!目を背けました。頭はどうするのか?別に置いておられます。これで少し楽になった。とりあえず真ん中から二つにするらしい。左右を分けるみたいです。初めは包丁でやっていたのですが脂肪が付くのか、直ぐに切れなくなります。カッターナイフ登場これは良く切れます。切れ味が落ちたら刃の交換。

そんなことをしながらやっと背骨に到着!このころには私も蛙の解剖を思い出したのか結構興味がわいてきていました。骨格がだいたい分かってくると分解?しやすい。前後の足の部分や胴、大きな固まりに分けてから小分けしていきます。太い骨はナタの登場です。ガンガンと輪切り状態。胸の所はスペアリブみたいにしました。刺身用に綺麗な肉を確保します。もも肉やったかロースやったかはたまたヒレやったかは定かな記憶はありませんが、ブロック状の肉だったと思います。皮付きだったような気もします。

刺身はそのブロックを適当なサクにして薄切りしました。鍋用はとにかく一口で食べられるように小さくしました。処理した肉の量はかなりのモノです一頭まるまるつぶしましたから。

大体ヒージャーの下準備が出来た頃に後発隊の人が集まってきました。まだ太陽も高いので時間がありそうです。何をすのか道具を降ろされています。投網、何に使うのだろう?投網は投網でした。海が横だったので魚取りです。小さな熱帯魚みたいな物ばかりで、たいした物はかかりませんでした。少しの間遊んでまた鍋の支度です。

大鍋に水を入れてわかしました。その間にさばいたヒージャーの砂などが付いているところをなんと海で洗います。当然私の苦手な頭も洗えとのこと、もうほとんどやけくそです。それが終わると鍋の周りに行ってお湯が沸くのを待って肉を入れます、肉と言っても骨付いたままです。鍋の中は肉ばかり。他の物は何にも入りません。ついに頭登場まさか・・・・。「これ入れるんですか?」「ヒージャーの頭は薬になる、もちろん入れる」なるほど、体の悪いところ(弱いところ)を食べると良いと誰かに聞いたことがある。私の場合脳みそでも食うか!

かなりの量なので炊きあがるまで時間がかかります。味付けは塩味だったと思います。その間に色々とヒージャー汁について教えて頂きました。沖縄では新築祝いに大鍋で煮込み、大勢で食べる習慣があり、スタミナ料理として親しまれていること、好きな方はドンブリに何杯もお代わりするらしいこと。脂肪分が胃の粘膜について泡盛を沢山飲んでも二日酔いしないとか。

炊きあがる頃には皆さん集まられていました。何人くらいだったか覚えていませんが多分十人以上は居たと思います。そして宴会の始まりです。オリオンビール・泡盛を飲みながら、ヒージャー汁を食べます。お汁といってもほとんどが骨付き肉でドンブリに入れて渡します。ここで朝から摘みに行ったフーチバーが登場。各自好きなだけ汁の中に入れていらっしゃいました。

刺身は醤油にショウガを入れた物を付けて食べます。歯ごたえがあってかめばかむほど味が出る?そんな感じ。あまり癖もなく良い酒の肴です。ヒージャー汁は結構強めの臭いがします。フーチバーで臭いを消すようですが、初めはかなり戸惑いました。

ワイワイやっているとやがて芸を持ってる方がコンサート?民謡などが飛び出します。次々と出てこられる皆さん芸達者!十八番があるんです。そのうち誰かが実習生も何かしろ!と言い出しました。丁重にお断りいたしましたが、許してもらえず。仕方なく何か歌を歌いました。それで気が済んだのかまた誰かが出てきて賑やかに宴会は続きます。

ヒージャ−鍋は何しろ量が多いので宴会の間中を食べるのです、無くなるか不安でしたが、何杯食べたと自慢される方が居たり、とにかく勧め魔がいたりで、どんどん減っていきました。その間ずっと炊いています。私もアルコールの御陰か何杯もお代わりしました。慣れると結構美味しい物です。

何時間かして宴会も終了、後かたづけです。鍋には僅かに残っていましたが、魚の餌になるから大丈夫と海で鍋を洗います。何でも海で洗ってかたづけました。多分あとで塩分を落とすために水道で洗うのだと思いますが、そこまでは分かりませんでした。

こうして支庁で二年に一回のヒージャー会は終了いたしました。ヤギさんの頭は魚の餌になったと思います。

後日農業工学科で四年に一度のヒージャー会に参加しました。その時は一度経験しているのであまり驚きはなかったのですが、内臓も準備されていました。聞くときれいに洗うため洗濯機で回すとか!あと一つビックリした物があります。刺身です。それも(チョット書きにくい部分)雄の〇〇〇〇と〇〇〇〇です。スライスすると円形と細長い・・・。棒と玉。これは教授が好んで食されていました。私は残念ながら口に入りませんでした。しかし臭いはきつかったです
これを切る時その正体が分からず、沖縄出身の同級生に聞いたら〇〇〇〇だと教えてくれたのです。何人かで”いたそ〜”とか”我が身を切る思い”とか大いに盛り上がったのを覚えています。

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給料

実習期間も終わりに近づいた頃、やっと測量の現場に戻りましたが、結局終了しませんでした。担当の方が台風で予定が狂って申し訳ないと言うような内容の事を言っておられましたが、私の中では変化に富んだ一ヶ月、十分楽しかったです。勉強にはならなかったようですが・・・・。最後の日にご苦労様と封筒をいただきました。結構うれしかった。

初めて自分でいただいたお金です。あとで封を切り中身を見ましたが、十万円弱だったと思います。一緒にいた連れは私より多い!なんでやろ?働いた時間は同じはず、でも年齢が違う。こう言うところは年齢で経験があると判断されるらしいです。なんかしっくり来ないけど仕方ないのです。

帰宅

いよいよ石垣を離れる日がやってきました。仲田君とご両親に何回もありがとうございますといって港に向かいました。何故か寂しい。結構直ぐになれてしまうタイプなのかもしれません。港について連れと合流彼はやっと帰れるといってました。確かにあの何もない部屋で過ごしたわけですから気持ち理解出来ます。時間になり船に乗って沖縄本島へ、そして部屋に戻って今度は空港へ、大阪行きの便に乗って伊丹到着、迎えに来てくれた車でやっと帰宅。両親に「小遣いやろか」と言うと「おまえに貰うほど困ってない、しっかり貯金しとけ」と言われました。