我愛車 TOYOTA昭和62年製
当ページ ちょっと一息「寒空の下」で紹介しましたポンコツ
車にも無頓着な奥方様などが畑の“ぬかるみ”を走り
免許取り立ての子供達3人も乗り回し あっちこっちキズだらけにして
運転技術を磨いた 思いで深い車
「寒空の下」以来 文句一つ言わず健気に動いてるのはエライと思う
開店1時間程前に電話着信 (この時間の電話は 特定の人だけ プッ)
「電右衛門はん あんなー同じ車で廃車するのが工場に入ってるねん
暇有ったら 部品乗せ替えに来えへんか」
「エエ話やん有難う 昼から行きますわ」
原付免許手にした16歳よりずーっとこの車屋さん
昔は事故起こす度に 目一杯修理見積書いてもろうて保険金戴き
安くするのに中古部品使って修理したり 修理しなかったりで得た軍資金
カメラ購入・遊びに使はして頂きました 懐かしい思い出
当時は事故証明など細かい事は云ない おおらかな時代でした
人情も借りばかりでは世間様が許しません
師匠・私・家族・親族は元より 友人関係・顧客関係にも多数紹介して
借りを返しました
今は70近い車屋さん夫婦には 元気者の息子が一人・・・
高校時分にポリさんと喧嘩し 度突き倒して公務執行妨害で逮捕され
高校生に負ける様な警察官では 警察官務まらんので不起訴てな
可笑しな理由で釈放されましたが 親泣いてましたわ
結婚し男の子一人授かるも5年で離婚し 又親泣かして
5年程前に再婚 それ以来人が変わったのかエライ仕事熱心 仕事の虫
悪かった頃 両親それぞれに我店に来て 涙してたのを慰めてましたが
最近は嬉し涙が出る替わり様 世の中捨てたもんや無いですねー
我長男 北海道への留学に金も無いのに「乗用車が欲しい」と奮起
私にタダの車を手配さして 喜んで車屋さんに取りに行はりました
車受け取って帰って来たのかと思いきや 見たら車屋さんと一緒
車屋さん
「あんた所の兄ちゃんと 話ししてんけど古い車で 増してや寒い所やろ
故障するがな 故障しても御父さんみたいに 兄ちゃんは
よう直さへんやろ それやったら新車にしとき云うてんけどなー」
長男
「それで どうせ買うんなら欲しかった日産のシルビアにしてん
お金は月々の仕送りの中から 引いてくれたらエエから」
親子以上に歳の離れた二人が 仲良く相談したんでしょう結構な事です
昼ごはん戴いてから当の車に乗り換え 愛用の工具と上下繋ぎの作業服を
トランクに積込んで工場へ 同じ車種・同じ色で家のより数段綺麗
タイヤは新品に近い良品 まずプロ用ジャッキ2台使って効率良く交換
次にバッテリーを見るとピカピカの新品 悪う無いがな
オートバックスで 軽4用特売品バッテリー1.980円を無理矢理取り付けた
貧乏たらしい家のとは大違い 容量だけでも3倍からの大型重量物
有り難い事に感謝しつつ交換 バンパーも塗装が変色し不細工なので交換
その他電球類も予備用に戴きました
一汗かいた所へ
今は息子に社長職を譲り 会長職見習い中の車屋さん登場
「電右衛門はん 廃車にする車の方が新しゅうて程度も良いし 綺麗がな
そんな面倒な事せんとNOプレート入れ替えて 総替えしたらどない」
「無茶云うなー 車検も在るしそんなんでけへんがなー
それにしてもタイヤもバッテリーも新品みたいやけれど どないしたん」
「乗り続ける心算(つもり)やったらしいけど 買い替えはってなー」
「結構な事やお陰で家の車 後10年は乗り続けられるなー」
「まだ乗るかー あんたはほんまに物大事にするなー 負けるわー」
「物大事にし過ぎて 新しい商品よう売らんから貧乏してんねん」
エエ歳した オッサン二人が表で大笑いでした
笑門福来電右衛門
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