2009/4/28

 
  「ひーちゃん」  
 
小学校二年生 この11月で8歳になる女の子

名前は“陽愛”と書いて“ひなり”と読むそうな 難しい名前ですねー

三年生になる年子の姉 るーちゃん と二人姉妹 ひーちゃん

身の動きと云い 喋り方と云い誠に機敏 見ていても小気味良さを感じます

そう見るから余計可愛く見えるのでしょうけれどもねー




ひーちゃんの祖父母から贈られた 一夜干のイカを皆に食べさそうと

奥方様に魚焼用の網を出してもらい ガスコンロに点火し網が焼けるのを

彼女の背丈からすると小首を傾げる様にして ガス火力を調節する仕草

見ている電右衛門も これは一時の思い付きや一夜漬で無いのが解る

日頃の慣れと云うのか 幼さの中にも熟練度が伺える無駄の無い動き



イカを乗せ 竹箸で裏返すと出してもらった皿に手際よく移し

片方を押さえ 見事な手付きでリング状に切り整え

片隅にマヨネーズを添え醤油を掛け完成 見事さに感服!!

これが小学二年生の子供の仕事でしょうか 大人も顔負けの段取りの良さに

感心して声も出ず ただただ顔を見合わせている電右衛門と奥方様 

「ひーちゃん 焼き方や切り方は お母さんに教えてもらったの ?」

「うーうん 教えてもらってないけど見ておぼえたの 

ひーはコックさんになって 早くお母さんを助けてあげたいから」



ひーちゃんのこの健気さには理由が・・・ 実は幸せ薄く片親なのです

片親がなぜ薄幸に結び付くのか これは電右衛門の幼児期体験に因ますが 

馬齢を重ね生活の垢が染み付いた我々夫婦には

この幼いひーちゃんの健気さに もう堪りません夫婦二人して涙・涙

日頃大きな顔と態度で生きる電右衛門も 人の子なのですねー



片親問題は別としても 最近は前向き能動的な子供が少なくなってきました 

子供と云えども大人社会を反映し 自らは何もしない受動的な子供が増え

動かず口先だけが発達 物事の批判にのみ終始しているは物の哀れ

我々大人が日頃から 悪い見本を晒してきたのでしょう

                           風呂屋電右衛門