2008/12/16

 
  「忠臣蔵」  
 
 毎年の事ながら12月14日と云えば 赤穂浪士の吉良邸討ち入り

電右衛門が住まいします 兵庫県の西部に播州赤穂が位置する関係か

はたまた天邪鬼精神からなのでしょうか

47人もの武装集団赤穂浪士が 一人の老人を血祭りに上げるなどは

今様に云えば完全にテロ行為にて 許しがたし

我々の先祖 江戸時代人は死罪を持って治めたのは民族の誇りでしょうか



事の起こりが殿中 松の廊下 

浅野内匠頭が吉良上野介に 脇差抜いての殺人未遂事件 

当時殿中にて刃傷沙汰起こせば 家名断絶・切腹は誰もが知る厳しい掟

江戸時代 殿中での刃傷沙汰は他にも記録されていますが

この事件のみ特別なのは即日切腹だけで 他の事件も掟通り裁いています

幕府が浅野に下した裁定 家名断絶・本人切腹は誠に正しい判断



それを何処でどう違えたのか

「喧嘩両成敗が天下の掟 吉良だけ“お咎め”無しは納得できん」

電右衛門は此処に云いたい 両者が脇差抜いての刃傷沙汰なら

喧嘩両成敗は当たり前なれど この場合喧嘩とはどう見ても云えません

日本語で喧嘩という意味は何方も知っての通り

<言い合ったり 殴り合ったりして争う事 (国語辞書より)>ですから

殿中“松の廊下”は単純に一方的な殺人未遂事件だったのです



それよりも播州赤穂藩5万石 藩主たる殿の乱心に 藩士並びに関係者達

或いはその家族をも含め どれだけ多くの人々が家名断絶により路頭に迷い

生活に困窮を来たした事と想像すれば

浅野内匠頭 享年35歳の罪には深いものが在ります



映画や演劇その他 脚色された物語にそれ程腹立てなくてもとは思うのですが

実在した事件を元に脚色したならば 実存した吉良上野介やその子孫達の

名誉や人権はどうなる 余りにも軽く見過ぎてはいませんでしょうか

それが証拠に吉良上野介の配役は見るからに悪役 浅野内匠頭はエエ者と

昔から役者の色は決まっている事からすると 世間全体はこの物語の善悪を

正しく理解して来たのでしょうか?



電右衛門には作家や脚本家に乗せられ 事実を見誤っている様にみえます

同様な誤解が「不如帰」徳富蘆花にも在り 作者徳富蘆花がモデルとした

陸軍元帥婦人にして 明治鹿鳴館時代の華 大山捨松へ

生存中に陳謝できたのが 両者に取って大きな救いでした



内緒話

時の実力者 陸軍元帥“大山巌”夫人をこれだけ悪者に仕立上げた

作家“徳富蘆花”が無事だったのは 明治人の懐だったのでしょうか・・・