その名の通り最近思うことをだらだらと (2)


2001/11/30

びっくりしました。なんといっても2キロも離れていない所で小学生誘拐事件です。インパクト有ります。有りすぎて明日に持ち越しです。

2001/11/29

何かをする。何かを変えるというのは非常にエネルギーのいるものです。パソコン雑誌を読んでいましたらADSLの話が出てました。東條という方の話です。この方なくして今のADSLブームはなく、もっと遅れていただろうというものです。NTTはISDNに拘りADSLなど認めようとしなかったからです。この方は「東京めたりっく通信」を始められた方です。しかし資金繰りに窮し今年の夏ソフトバンクに売却。今年9月に事業から完全撤退されてます。皮肉なことですがそれからのブームは皆様ご存じの通りです。

記事の概略です。1997/8東條氏ら有志が集まり有線電話網を使用して利用実験開始。1998NTTがADSLの実証実験を行う。その時に実験に参加し可能性を確信する。1999/1事業化を決意。加入者回線の利用を巡り、春からNTTと交渉開始。1999/7郵政省がNTTの通信設備解放を決定。それに伴い「東京めたりっく通信」を設立。2000/4東京都内の6電話局を使いADSLサービスを開始。2000/12東京23区でサービスが提供可能になる。NTTが持つダークファイバー(未使用光ファイバー)の使用が認められる。その一方でNTTがADSLの本格参入を開始。2001/1資金調達が難航、昨年末に融資を決めていた銀行が、年明けと共に手のひらを返したように融資を拒否。2001/4資金繰りに奔走する日々が続く。2001/6ソフトバンクグループが株式公開買い付けにより傘下に入れる。2001/7社長を辞任。

2001年年明けの融資拒否がなければ採算ベースに乗っていたらしいです。民間金融機関も当時自分を守ることが第一になっていたようで、時代の流れが違っていたら今頃は超成長企業になっていたのでしょう。

{東條はADSLを立ち上げた当時を「大塩平八郎の心境に近かったと思う」と振り返っている強大な権力を前にして矢折れ力尽きた。しかし、大塩の乱の30年後に明治維新を迎えたように、我が国のブロードバンドの活路を開いたのも事実だ。}と言うことらしいです。

早く来い来いADSL!!!

2001/11/27(サッカー部)

最近の小学生は忙しそうです。
まわりの子供さんの親御様に聞くと月曜日は〇〇火曜日は〇〇・・・。塾にそろばん・ピアノに習字・英語・ダンス教室・スイミング、エトセトラ・・・大変です。(お他の財布も大変だ)うちの子供はそんなに忙しい方ではないと思いますが、それでも火曜日の放課後、金曜日の放課後、たまに土曜日・日曜日とサッカーに行きます。先日も何校かが集まっての招待試合に行ってましたが、なんと、オウンゴールで二位(息子が最後の最後で入れてしまったらしい)みんなに散々責められたようで泣きじゃくっていたらしいです。まあそれも良い経験です。今なら、笑ってすまされます(子供にとってはそうでもなかったみたいで、朝起きると「僕のせいで負けてしまった」としょげてました)。ここらの小学校では結構サッカーが熱心で、また先生方も熱心な方がそろわれています。夏の合宿で(親も同伴しました)夜に先生方と話していましたら、「最近はサッカー人事もないみたいやね」との一言、アレレ「サッカー人事」というのは何だろうと考えてしまいました。それぞれに教育のことを一生懸命なされていて、その余分にサッカーが有ると思うのですがどうも釈然としません。かといって人質を取られている身となっては如何にバカでも「それなんですか?チョット教育委員会にでも」などと口が裂けてもいえません。良く聞いていると、熱心な先生方が適当に離れて各学校にお就きになることらしく、別にどうこうと言うことはないようです。それはそれてとして、先生方そしてご父兄熱心ですので朝練などというものもあり全部参加すると殆ど毎日のようになってしまいます。確かに学年により強い時もあります。県大会で一位など・・・。しかし毎年そうのようになるはずもなく、かといって全く駄目でもなく、結局親も子供も力が入っているのか続いていきます。熱心な親と先生は、勝ちに拘ります。そこでたとえ下の学年でも上手な子供がいると上に上げて試合をします。当然出場出来ない子供が出てきます。そんなの無視という感じになってきます。今までも色々苦情などががあったらしいですが、方向としては変わっていないようです。あまりの熱心さに熱くなられる方々が多いのです。私個人の思いとしては良い加減がいい加減なので少し戸惑いながらの応援です。それも時間とれた時だけです。

 

2001/11/26(車の運転)

クルマの運転、皆様は如何ですか?うちの奥方の話なのですが、普段は自分の行動範囲以外は、「お父さん連れて行って」なのですが先日子供の習字の展覧会?北播書道展というらしいですが八千代町(兵庫県の南側の中程?に有ります)で開催されました。土日と言うことで勿論、店は営業日です。私はお供出来ません。そこで「道を教えて下さい」と言うことになりました。マップファンで引っ張り出してここをこう行ってなど説明して送り出しました。目的地まで約1時間?ようやってです。目的が有ればいけるのですね、そう言えば誰でもそうなのかもしれません。一人で車に乗って知らない道を走る。不安が一杯、ところが目的があり何とか到着しなければならないとなると、不安を消し去る何かが出てきます。奥方、帰ってきて一言「いかなアカンとおもたらいけるモンやな」その通りです。

<蛇足>
私など仕事の関係で配達、そんなに遠くまではいきませんが姫路・神戸・大阪と年に何回か行く機会があります。配達先は普通のお家ですので近くまでは到着してもそこからが大変、時間の約束があるので余裕見ていくのですが結局は時間通りか、遅れ気味。何事もなく配達先発見出来れば1時間前など、ホント様々です。カーナビ・携帯電話、今では便利なものがありますので以前ほどではないにしろ、近くでうろうろというパターンは結構あります。極端な話が目印、見えているのにそこに行く道が見つからない。カーナビでは道がないことがあります。こんな時は田舎なら人に聞くのが一番。親切に教えて頂けます。ところが都会ではそれも通用しません。また大きなマンションなどセキュリティーの関係で中に入れないこともしばしば。便利なようで不便です。田舎が良いなぁ〜。

2001/11/23(プリンター)

店の値札を作っていたところ、プリンターの調子が悪くてまいりました。Canon BJC−420Jと455Jが有ります。どちらも同じような年式でA3とA4の違いくらいです。A3の方は中古のもらい物であまり使っていなかったようでA4の方より調子がいいのです。最近はこちらをよく使ってます。その455が本日カラーにならなくなってしまいました。たぶんインク切れだと思い両方同じヘッドなのでヘッドの交換をしましたが今度は黒が出ない。これまたインク切れ?仕方なく詰め替えインクを入れてセットしましたが、黒の不調は変わりない様でヘッドのつまりみたいです。バブルジェットはこれが有るのでイヤになります。またまたもう一つもインクを入れて試して何とかなりましたが、ヘッド一つはダメみたいです。ヘッドを購入しようかとも思いますが、最近、プリンターが安く販売されてますので考えてしまいます。所有のプリンターのヘッドを購入すると(黒専用とカラー)安いプリンター買えてしまいます。かといって安物買いの何とやらになりそうでなかなか手が出ません。でも新しいのはインク付き、悩むなぁ〜。

2001/11/18(修理)

ストーブ(石油ファンヒーター)を出してくると、当然タンクに灯油を入れるのですが半年以上物入れの中に放って置かれた状態ですので、モーター式のポンプがウンともスンともいいません。最近の物はタンクが一杯になると自動停止する便利な物です。電池切れだと思い取りあえず懐中電灯の電池を抜いて入れ替えましたがシィ〜〜〜ン。ポンプ自体が壊れてしまったか!購入する3000円も勿体ないのですが私は何故か無性に機械物は修理してでも使いたくなります。早速分解してみました。今のポンプは満タンになると自動で止まるようになっているのでセンサーが付いています。ということは、生意気にも電気の基盤のような物が付いているわけで、故障箇所を特定するのが困難ということです。電気関係はテスター等持ち合わせておりませんので仕方なく細い線を捜して実験?です。まずは電池取り出してモーター直結でウィ〜〜ン。異常なし、ということは接触不良・断線か基盤らしき物の故障?基盤ならお手上げです。センサー無しのポンプに改造ということになってしまいます。接触不良なら何とかなると思いますので今度はスイッチを通り越してつないでみるとウィ〜〜ン。次はスイッチの所につなぐとウィ〜〜ン。結局電池ボックスの不良のようです。よく見るとプラスティックの容器に割れ目があって接触不良を起こしていました。チョコチョコと修理して終了。ポンプ君は快調に灯油をくんで満タンでストップ。これで捨てずにすみました。めでたしめでたし。

{シーズン終了時には乾電池を抜いておくこと!}

2001/11/14(肥後の守:ひごのかみ)

またまた今朝も小学校、これで三日目ですので子供達も慣れてきました。一部を除き確実に進歩しています。私は三日間お付き合いしていますが、本日初めての指導員もいらっしゃいますので力を入れて指導されます。これは助かります。よって本日只見ていたようなモノです。
気がつきませんでしたが、1・2年生は、ノコギリと金槌を使い木を切って、釘を打ちなにやら組立ているらしいです。
本日の反省会では「肥後の守の基本的な扱いがなっとらん!」と云われる方がいらっしゃいました。「肥後の守を回収する時はちゃんとたたんで返すこと」それに対し「柿を剥いた後の掃除がありますので」と先生側、「そもそも、それがおかしい。肥後の守の簡単な手入れは子供にさせて、回収しないといけません。そう言う事をちゃんと教えないとダメです」確かにそうだと納得しました。またその方は吊し柿の縄を見て「あんなナイロンのものでは、ダメです」と朝の間になってきた藁縄を出され「こういう風にする」のだといわれてました。いちいちごもっともです。また1・2年生のノコギリがダメだという方「ノコギリ製造に携わるモノとしては、許し難い使い方です。縦引きのノコギリを横目に使って切れるはずがない。せっかくの体験学習、ノコギリはこんなに良く切れて便利なモノだという事を教えなければいけません、これだとまるで不便な道具と思ってしまう」なるほどその通り。「材木もあんな堅いものを用意したのではダメだ、初めは切りやすいものを用意すべきだ」これもその通り。先生方も若い方(特に女性教師)は使えない方もおられるようです。只、学校側も予算があり材料・道具は、すべて無料で調達されているみたいです。また実際のシミュレーションが出来ていないか、理解出来てないかです。只、ここの校長先生が偉いのは「そのような事を含め、教師共々教えて頂いております。材料その他、毎日問い合わせしてさがしております。ご提供いただけるところが有れば飛んでいきます。」と間髪入れず口から言葉が出てきます。そう言われると、そこで一件落着。早く帰りたいのに(タバコが吸いたいだけ)と、思ってましたので一安心。帰宅です。

ちなみに、肥後の守の事で意見を言われたのは、私も中学校でお世話になった校長先生OBの方で先生方が来られるまでは「ここの校長はエライ」とほめられていました。良く出来たお方です。

2001/11/13(肥後の守:ひごのかみ)

本日も朝から小学校です。
まず受付をします。なにやら先生が名簿を捜してチェック。
8:25 小学校会議室集合。そして校長先生の挨拶です。普段は長いのですが(失礼) なにしろ時間がありませんので手短です。
8:30 各クラスから児童代表が2〜3人でお迎えに来てくれます。後を付いて教室へ。
8:35 教室のテレビで本日の行程を見ます。
8:40 いよいよ作業開始。
9:05 作業終了(児童達は後かたづけ)会議室に戻り校長先生の進行で今日の反省会?意見など交わし、用意して頂いたお茶とお菓子(本日は饅頭、昨日はセンベイと和風パイ)を頂き帰宅です。

ざっとこのようなタイムスケジュールです。
本日の課題「吊し柿を作ろう」 昨日とは違い本番の渋柿?です。先生が「今日は食べませんよぉ〜」少しガッカリしたような子もいましたが、肥後の守を使って皮を剥き始めます。昨日より柿が柔らかそうで結構上手に剥いてます。ここで気づくのは習熟度の違いというか個人差です。聞く所によると「おっちゃん、ぼくなぁ、昨日柿むく練習してん」「私もしたで」と言う事らしいです。本日は一人一個ではなく、早い子供は何個か剥きます。遅い子供はと言うと、指導員が付いてます。私は一応指導員、でもそう言う子を見てると怖い怖い、「指切って下さい」というような握り方、そして肥後の守の持ち方です。「それやったら、滑った時この指切れてまうで」と言いながら、手を添えてやるのですが、自分が怖いので、近くに誰か近づいて来たら。「ほな、きぃーつけてやりよ」といって違う場所へ、我ながら卑怯!そんなこんなで各自剥いた柿を手伝ってもらいながら1mくらいのビニールの縄に挟みます。それを今度は竹竿に縛り付けて今日は終了。
教室の後ろに竹竿で柿ののれんです。なかなか目に出来ない光景でした。
肥後の守を持って柿を剥く時の集中力は結構スゴイです。歩き回る子供なんかいませんし結構静かです。かなり良い学習ではないかと思います。明日はどうなるやら。

2001/11/12(肥後の守:ひごのかみ)


肥後の守ご存じでしょうか?折り畳みのナイフです。私の少年時代は常にポケットにあり遊ぶ時の大切な道具でした。今は小学生がそんな物持ってたら大変です。しかし危険であるからと小学生の前からシャットアウトするのもどうかと思います。刃物の事ではどこの学校でも議論があると思うのですが、ナイフを使う事で覚える事も沢山あります。たとえば「手」の働きと道具の関係、刃物の怖さ、便利さ等々。
たまたま息子の通っている小学校で「肥後の守体験学習」が実施されました。朝の時間にボランティアで父兄やクラフト協会の方が指導します。私も協力者と言う事で出かけました。一学期は鉛筆削り:竹の箸づくりでした。二学期は吊し柿を作るらしいです。本日は「柿を剥いて食べよう」です。柿の剥き方を各教室のテレビで見ます。(生でながします)それから実践です。一学期に多少さわっているので刃の出し方など慣れたもんです。ところがなかなか剥けません。結構固いのです、そしてあまり切れ味が良くない。持ち方も覚えている子供とさっぱり忘れている子供、色々で見ているだけでも怖くてたまりません。案の定3人ほど指を切っていましたが、そこは慌てず騒がず先生も慣れたモノ。不安を煽ってはいけませんので、適切な処置です。20分位でだいたいの子供が終了します。形も様々皮も残っていますが、美味しそうに自分で剥いた柿を食べていました。果たして吊し柿が出来るのか?少々不安なスタートでした。最後の日に皮むきコンテストがあるらしいです。それに向けて後三日早起きして私も小学校通いです。日頃と違う事をするので子供達は生き生きしているように見えます。

ちなみに、肥後の守は我が町で生まれたナイフです。

2001/11/10(逆上がり)

3日ほど前息子がなにやらぼそぼそと母親と話しているのを聞いていると、どうも逆上がりが出来ないということらしいのです。「これで体育の点数が2になってしまう」としょげてます。他の教科については全く関心無いのに。明日がそのテストだとかで、母親がもうダメだと落ち込む子供を連れて鉄棒の練習の為近くの公園に行きました。30分ほどして帰ってきましたが全然出来ないらしいです。見本を見せてやるらしいのですが、体がそのように動かない。「今度はお父さん行ってきて」というのでお付き合いしましたが、全然ダメで手も痛いというのですぐに帰宅です。「今度のテストはダメやろけど、その内出来るようになるわ」と言っても慰めにならなかったようです。教え方もよく分かりませんのでネットで検索しますと結構学校の先生方が書かれています。カンタンに考えてましたがそれなりに方法があるらしいです。

第1段階(逆上がりの形を覚える)
第2段階(逆上がりを技化する)
第3段階(技化した逆上がりを使いこなす)

と段階を分けて説明してあるのですが、なかなか覚え切れません。まして{逆上がりのテクニカルポイント:「振る」「蹴る」「引く」「巻く」}なんてどう教えればよいのやら?また学校での練習ですので器具など使い説明してありますが公園にはそんな物ありません。取りあえず「何回も練習すること」と書いてありましたので、子供にもそのように伝えました。

次の日帰ってきた子供にどうだったか聞いてみましたがやはりダメらしい。困ったモンです。只、テストはなく月曜日になったらしいので店を閉めた後その日もお付き合い。暗くなった公園の鉄棒あたりを車のライトで照らし、ああでもないこうでもないと繰り返すのですが旨くいきません。昨日覚えたことを指示するのですが、こちらも、こんがらがってわけ分からなくなるし、子供も手が痛くなる。私も何故出来ないのだろうと子供のまねをしてみるのですが最近そんな事してませんので腕が体重に負けそうになり危ない危ない。まぁそれでも、蹴りが足りないのだろうと考え、けりを強くするため鉄棒より少し高い所に手を出して、手を蹴ってみろとやっている内に何と、鉄棒に足をぶつけてしまい泣いてしまいました。痛かったと思いますかなりの音がしましたので。その日もそれで終了。

昨日も学校から帰った息子に「どうだった?」と聞くと一回成功したらしいです。しかし出来たのはその一回だけらしくその後も練習したがダメだったようです。夕方また母親と公園へ、結果を聞くと3回出来たそうです。失敗しても前よりマシらしくそこそこ形が出来ているらしい。今のところ第2段階と言う所でしょうか。

本日は学校お休みです。夕方例によって私が付いて公園へいきました。自信のほどを聞いてみると「カンタンやもうできるで」と言います。さてどうか、一回目から成功、なるほど出来ます。ところがそれから20回くらい練習しますが成功しません。手が痛くなるので休み休みやっていますと、日が暮れてしまいました。「もう一回やって帰る」と本人が言い出して最後の一回なんと、成功。この勢いでもう一回、ところがダメ。諦めて帰ることにしました。果たして100%とまでいいませんがいつになったら出来るのか?テストまでに間に合うか・・・・。

2001/11/08(我が2台目PCの会社ゲートウェイ)

この話は似たようなことがあるかもしれませんがフィクションです。

1985年9月、大学生だったテッド・ウェイトは、銀行から借りた1万$の資金を元に、パソコン周辺機器とソフトウェアの通信販売ビジネスをはじめた。仕事場は父親の牧場に建っていた小さな納屋、そこからスタートした小さな夢は、やがて世界規模のパソコンメーカーにまで発展しました。それが今日のゲートウェイです。今ではすっかりおなじみになった牛柄模様ですが、実はその牧場にちなんでデザインされたものだったのです。」と言うことらしいのです、餌を食べに世界の草場に出かけていった牛たちは、おなかが満腹になるはずでした。はじめは牧草も沢山あり良い生活を約束されたようで、元気に電話やファックス・インターネットで良い牧草があると聞けば運送屋さんに頼んで運んでもらい食べていました。ところが出かけていった先の天候(景気)は次第にが悪くなり、だんだん牧草もなくなり、このままでは生きていけないと感じたのか、出かけた先で落とした糞の始末も忘れ急いで牧舎に帰ってしまいました。

日本牛:「1995年5月に日本ゲートウェイ2000鰍設立9月に販売開始。」そのころはまだ牧草が沢山あり牛達も元気でした。少し余裕の出来た日本牛は大きな牧草地に自分たちの小屋を建て自分たちの牧草を守ることを考えてました。2001/3月頃にはその数も20になりその後も増えました。しかしやはり日本でも悪天候が続き牧草も減りだしていました。名前からも分かるとおり2000年で帰ってこいという牧場からの角笛がしかけてあった為?アメリカから日本に笛の音が届き帰り支度をしていたら2001/8月になってしまったのです?(日本撤退)

そして「ひとり一人に、心地いいパソコン生活。ゲートウェイ、このチョットユニークな箱が届いた日から、あなたの生活はすてきに変わります。めんどくさいもの、むずかしいものと思っていたパソコンが、意外にカンタンで楽しいものであることに気づくでしょう。それは、ゲートウェイが”心地いいパソコン生活”を提供している会社だからです。ゲートウェイはパソコンという機械だけを売っているわけではありません。パソコンを使う楽しさ・満足までも提供している会社なのです。」と言うことで、私の生活も変わりました。
おかしいな、おかしいなで2ヶ月ほど苦戦してました。二桁はFDISK、フォーマット・インストールをしました。その間サポートとメールのやりとりも二桁をこえたと思います。部品交換などで(交換した部品はココ)中を開けてみることも多くなり、少しはハードに詳しくなったかもしれません。この先牧場に帰ってしまった牛を追いかけていくわけにも行かず、迷子でアメリカに帰りそびれたサポート牛にすがらなければいけないのです。
今のところ好調なので忘れてしまいそうですが、会社が無いというのは心細いです。(部品保証まだ2年と数ヶ月残っています。)モ〜モ〜モォ〜〜〜!

チナミニ1998年までに世界中に落とした糞3540万クソ、1999年食った餌約80億$、2000/7月の時点で牛の仲間21,000頭でした。

 

2001/11/05(ダイエット?)

本日定休日、ゆっくり起きて、ビデオに撮っていたWGP(二輪)を見る、知らない人には何の事やらでしょうが、結構好きなんです。125ccクラス日本人の宇井選手が逆転チャンピオンの可能性があったのですが、優勝にもかかわらず惜しくも年間2位でした。表彰台での悔し涙が印象に残りました。またインタビューの時英語ではそうでもなかったのですが、日本語になると目が赤くなり、ホント悔しそうで・・・。250cc、500ccはチャンピオンを決めている加藤選手とロッシ選手の貫禄勝ち。

<病院>
などと浸っていましたら、奥方が「チョット病院行こうかな」と仰いまして???まさかオメデタ、いえいえソンなはずありません。何でも「痩せ過ぎとちゃうか」と友達やお客さんにいわれ心配になってきたとのことです。元はといえば”町ぐるみ検診”で血糖値が高いといわれ、少し摂生していたら痩せてしまったらしいです。実家に寄った時、兄嫁が「どうしたん」といったらしく、後日お母様ご訪問、また本日は、「誰それが心配で電話してきたで、一度病院で見てもらったら」と近所の人にいわれたそうです。「まあ何にもなくてもそう言われるのであれば診てもらえばよい」ということで送らせて頂きました。ビデオも見てしまったし「お付き合いしたろ」と本(フォトショップの解説書)を持っていきました。まあ大したこと無さそうというか、ダイエットしてるような結果になっていたようです。しかし気になるのか、また検査の予約を入れ帰宅です。

<待ち時間>
市民病院に行ったのですが、待ち時間が長い。たくさんの方が受診に来られるのでしょうがどうにか成らないものか。以前に比べ問診など看護婦さんが事前にやっておられますし、オンラインでIT化?整理券などこまめな配慮も見えますが、なかなか順番回ってきません。おかげで知り合いに沢山会いました。この年齢になると色々と皆様出てくるようです。結局本も全部読めました。(といっても読んだだけ)

<携帯電話>
話し脱線ですが、病院内でも携帯電話電源入れている方多いですね。無神経というか無知というか腹立ってきます。というのは父がペースメーカー入れてから気になるのです。人のこと云えませんが、でも気をつけてほしいなと思います。

<仲良し?>
ダイエットといえば私も何故か最近減量傾向、ここ2〜3ヶ月で6kg以上減ってます。特に何もしていないので????ひょっとして私の方が病院に向いてるのかな?友達も「チョットおかしいノンちゃう」といって下さいます。しかし私の場合平均体重にまだ余裕有り。もう少し痩せたら考えよう。

{二人合計で最近2〜3ヶ月で十んkg痩せてしまった。最盛期?からですと20kg以上。これは不景気のせい?年齢のせい?それとも病気?}

2001/11/04(金物祭り4日)

今日は、昨日とうってかわり良い天気です。昨日は地方紙によると雨にもかかわらず5万以上の来場者があったらしいです。「金物祭り」のことで掲示板に住まいはそこでしたかと書き込んで頂きました。ひょっとして有名?いえいえそうではないのでしょう。たまたまお近くの方や、仕事で聞いたことがあるということのようです。午前中、店から出ると道は渋滞、巡回バスはラッシュ状態、たくさんの来場者のようです。今日も私は行けないのでラジオ(地域のFM放送で8時間生放送)で聞いてますが、やはり祭りは行かないと面白くないです。

2001/11/03(金物祭り3日)

本日、「産業と文化の祭典 金物祭り2001」が開催されました。あいにくの雨、私は店がありますので出かけませんが、主催者も来客も可哀想です。昨年は二日間で公称17万弱の方が来場されたとか。金物祭りといっても色々なイベントがあります。メイン会場では金物びっくり市、メーカー、問屋が出店し破格で販売しています。特産の大工道具のノコギリを使った丸太切り競争や、珍しい金物古式鍛錬実演(鞴で熱し鎚でトンテンカンテンやります)。変わった所では、農業祭、中国獅子舞、鳴門阿波踊り、和太鼓コンサート、ガーデニング展プラネタリウムなどです。しかしこの雨でやっているの分かりませんが・・・。

ひと昔は会場も狭かったのですがそんなに来場者や出店者もなく、商店街の青年部などがお好み焼きや綿菓子、焼き鳥などやってました。(私も手伝ってました)しかし今は盛況で本職の方々が出店されてます。よく売れるらしく場所の取り合いのようです。私の感想としては、以前の手作りっぽい祭りの方が良かった様に思うのですが・・・・・・。
最近は毎年巡回バスを出しています。駐車場を市内各地に分散してそこをバスが通ります。お年寄りも便利でお出かけになっているようです。

本日その会場の絵画展で息子が表彰状をもらってきてました。(親バカ)
金物祭り実行委員長賞でプレゼンテーターが息子の友達のおじいちゃんだったらしいです。まあ小さな町ですからホノボノとよろしいのではないのでしょうか。