教会ア・ラ・カルト? |トップ| |
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。<テモテへの手紙II 2:16> みなさま、教会ってどんなイメージがありますか?…暗い建物。…つまらない説教。…オタクの集まり。Oh Noooooo!!! 聖書に書かれている1世紀の教会は、明るく楽しい集まりでした。でもやっぱりコワイですよね。もしカルトだったら。聖書は有益でも、使い方を間違うと大変危険です。念のため、カルトチェックをしてみましょう。 テキストは、「教会がカルト化するとき」(ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社 ISBN4-264-02073-5 \700)です。この本に「教会のカルト傾向を測るチェックリスト」という章があって、9つのチェック項目が書かれています。1つずつ見ていきましょう。 権威主義−−強権的になっている う〜ん、私たちの教会では、似たようなことがありますね。「牧師や指導者は神様から選ばれたのだから、彼らの発言には神様からの権威があるので、彼らの決めたことに対して充分な説明を聞いても納得できなかったとしても、神様を信頼してそれらに従いなさい。」というようなことをしばしば聞きます。これってもしかして、カルト傾向あり?みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。 多くの規則を作って、信者を束縛している う〜ん、私たちの教会では、似たようなことがありますね。誰かとお付き合いするにも、結婚するにも最終的に牧師の許可が必要でしたし、日曜の礼拝だけでなく水曜や他の日でも教会の集まりには来なければならないとか。何かをするときは、まず先輩クリスチャンに相談してアドバイスをもらうこととか。相談なしで何かすると怒られたりしてね。これってもしかして、カルト傾向あり?みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。 牧師への批判は神への反逆とみなされる う〜〜ん、私たちの教会でも、似たようなことがありますね。牧師は神様から選ばれた人がやっているんだから、その人の言うことは神様が言うことと同じ。だから牧師の言うことを信頼しなさい。反対したり批判するのはクリスチャンとして良くないことです。神様を信頼しないことになります。−−−というようなことを言われてます。これってもしかして、カルト傾向あり?みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。 他の教会との交わりが許されない う〜〜〜ん、私たちの教会でも似たようなことはありますね。自分たちの教会以外は、救われていない、みな生温い、基準の低い、妥協した教会と言っていましたから。特に禁止はされていないと思いますけど、そういう教会のクリスチャンと積極的に交わろうという雰囲気はなかったですね。他の教会がうちの教会のクリスチャンと交わりを持ってくれないというのもあるかもしれません。自分たちのことを見下している教会のクリスチャンと交わろうなんて普通は思わないでしょうからね。これってもしかして、カルト傾向ありあり?みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。 情報のコントロールが行われている(秘密の部分がある) う〜〜〜〜ん、私たちの教会でも似たようなことがありますね。年に一度の総会で収支報告はされますが、細かい部分に関しては知らされていませんでした。指導者の集まりでは豪華ホテルに滞在したりとか、お手盛りで巨額の報酬を得ていたりとか、献金が無駄遣いされているということが、最近、信者からの内部告発により明らかにされました。教会の指導部はそういうことがあったと認めましたが、いつからどういうふうにとか具体的な金額とかは、いまだに明かしていないです。本人の同意なしで給料を公開することは法律で禁じられているからとかって言ってましたね。これってもしかして、カルト傾向かなりあり?坊主丸儲けならぬ、牧師丸儲け?心からささげてきた献金が、こんなふうに使われていたなんて。みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。 教会を去った者に汚名を着せる う〜〜〜〜〜ん、私たちの教会でも似たようなことがありますね。「私たちの教会にしか救いはない」と言っていましたし、教会に来なくなったり他の教会に行くようになった人のことを「神様から離れた」と言っていましたから。これってもしかして、カルト傾向かなりありあり?みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。 自分の考えを正当化するような説教になっている う〜〜〜〜〜〜ん、私たちの教会でも似たようなことがありますね。主題説教ばかりで、講解説教はあまり聞いたことがありませんでした。これってもしかして、カルト傾向かなりありあり?みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。 律法主義的傾向が強い う〜〜〜〜〜〜ん、私たちの教会でも似たようなことがありますね。はっきりと「〜しなければならない」とは言っていなくても、伝わってくる雰囲気はまさに「〜しなければならない」。福音を宣べ伝えなければならない。友達を教会に連れてこなければならない。聖書を勉強してバプテスマを授けなければならない、等々。前回の主題説教も、このために組み立てられていることが殆どですね。これらができていない人はクリスチャンとして十分でなく、神様の栄光を現していないとされていますから。もうできないからと、教会に来なくなった人も少なくないですし。これってもしかして、カルト傾向かなりありあり?みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。 福音に付属品が付いている う〜〜〜〜〜〜〜ん、私たちの教会では「恵みの福音」よりも「行い」のほうが強調されている感がありますが、「個人的な預言」「新しい啓示」「霊的体験」等はないですから、この点に於いては何とか大丈夫なのかな。あ〜、良かった。みなさんのところはどうでしょう。確かめてみて下さいね。
教会がカルト化するとき―聖...21世紀ブックレット ...こちらから購入できます。 |
|トップ|