ここに書いてあるのは私の独り言です。ここにはいろいろな事、私の今思っていることが書いてあります。
人や団体を非難するような意図は全く無く、思っていることを素直に書いただけです。
もし気分を害する様なことが記述されているようでしたらメールを下さい。もちろん感想等を聞かせてくれるのも大歓迎です。
私は三度の飯より釣りが好きだ。こうなったのは遡ること20年近くになる。
最初に釣りに出かけたのは、はっきりしないが小学校のときに多分父に連れていってもらったのだと思う。
その時分はやはり釣りブームによって各地で盛んに釣りが行われていて、小学校の私たちにとっては格好の遊びになった
友達数人と竹やぶで竿に出来そうな竹を切り出しては自慢の竿を創作し、少ない小遣いで糸や針を買い、フナやら口ぼそ等の
近所の川にいくらでもいる魚を釣りに行った。小学校高学年の頃、ブラックバスと言う魚が知名度を上げ、近くの池や沼で
釣れるという報告を聞くようになる。当然ルアーでの釣りは私たち少年には強烈なインパクトを与え、即座にはまったのは
小人数ではなかった。しかし、餌釣り以上に道具に金がかかるルアーフィッシングは、私たちの小遣いでは本格的な釣りを
することを許してくれなかった。そしてブラックバスを一匹釣るまでに、数年の試練を与え、その釣りの奥の深さやバスの
生態を体に染付けてくれた。
中学生時代は部活や勉強がそれなりに忙しくて、以前のように毎週釣りに出かける事は出来なくなった。小遣いも多少は増えたが
釣具よりも、腹に入るものを買うことが多くなってしまったのもあって、道具は一向に向上しなかった。
高校生になると釣りどころではない。部活もそうであったがほかの遊びに出かけていたら、高校時代は数えるほどしか釣りには
いかなかったと思う。
そして卒業。大学には行かずに就職した私は再び釣りに目覚める。就職先が京浜運河に程近く、シーバスフィッシングが盛んに
行われていた頃であったのも重なっていたし、給料は少ないながらも自分の為に使える額は学生時代の比では無かったので、よく
プロショップに出かけては言われるがままにルアーや竿を買いまくった。シーバスだけではなくバスも実家に帰れば印旛沼が絶頂の
時代で、日曜日ともなれば早めにボート屋に行かないとボートが無い日もあるほどだった。そんな中で少年時代の経験は、体に残っていて
その日のその時、どんな場所にバスがいるのかを直感で予測できたので他の人たちよりの多くの魚を手にすることが出来た。
私の釣りは進化した。以前は父に連れていってもらった海で釣った魚を食べるのが嬉しくてしょうがなかった。今でもそのなごりで
渓流で釣ったものも含めて、その日食べる分位の魚は持ち帰っている。しかし、現代の釣りは私の進化よりも早く、ゲームフィッシング
として完成の域に達したと考えられる。もともとバスフィッシングで釣ったバスを持ち帰り、食べる人はほぼ皆無であった。私もその一人
であった。
今ではシーバスや岩魚、ヤマメもゲームフィッシングの対象とされキャッチアンドリリースはもはや常識であるし、ルールとも
言える。私もそれを理解し、必要とも思う。しかし太古の昔、人類が釣りを初めてしたときのそれは生きる為の漁であった。その喜びは
今もって人類の、釣り人のDNAに残っているはずだ。少なくとも私には残っていると思う。釣った魚を食べる、以前は当たり前の行為が
いまではルール違反。現代の釣りもやはり進化した。
では今なぜその当たり前がそうでなくなったのか、それは人間自身が築き上げてきた文化が、自然の中では毒となり、魚の絶対数を減らした
為だ。魚の絶対数がへれば自然の生態系が崩れてその崩れを自然の反作用で直す力が必ず働く。しかし人間の開発や干拓はその自然の根源
をも壊してしまう。だから自然の反作用が効かないのだ。
例えばシーバスが極端にその絶対数を減らしたとする。すると捕食対象の小魚が捕食から逃れて数を増やす。すると残り少ないシーバスが
その多くなった小魚を苦労せずに捕食できるようになり、再びその数を伸ばすことが出来るのだ。他にもいろいろな作用が働くが簡単に言えば
そんなところだろう。しかし人間の鰯などの大量捕獲で小魚が数を増やせなかったら?環境破壊でプランクトンだけが異常発生したら?
その反作用はまったく機能しないのだ。
機能しない自然の反作用の中で生き残っていくためには、その環境に適応した絶対数で新しい生態系のバランスを整えなくてはならなくなり
結果的にその数は激減、又は絶滅する。今、印旛沼のバスが激減していると聞く。それは人間が仕掛けた網にかかり殺されたものも居る
だろうが、それだけではなく長い自然サイクルの中で一気にその数を増やしすぎたため、自然の反作用が働いているのかもしれない。
おそらくバスが減ったために、捕食対象であった小魚やエビ等の小動物の数が一次的に増えていく可能性が高いと思われるし、その報告も
最近聞くようになった。もともと外来魚であるバスが突然発生したために起こった自然の反作用はこんなに身近なところで起きている。
しかも数十年という自然のサイクルとしては短い期間で。
人間の開発等の自然破壊活動はそのサイクルよりもダントツで早い。自然は追いつけないのでやむなく生態系の調整をした結果、絶対数の
削減を選ばざるを得ない。
釣り人達は釣れる魚が減ってしまった為に、自分たちの「釣欲」の為に「食欲」を押さえて一度釣った魚を水に戻す。再び出会うために。
いつしか釣り人の頭から「食欲」は薄れて「釣欲」が増す様になった。そこで生まれた言葉が「スポーツフィッシング」や
「ゲームフィッシング」なのだと思う。確かにルアーフィッシングやフライフィッシングは魚を疑似餌でだまして釣ることから、ゲーム性
が高い。特にフライの場合は自分で作った(巻いた)フライを魚に餌と思わせて釣るので、釣ったときの満足感は言葉には変え難い程だ。
そんな満足感を持続させるにはある程度のゲーム対象魚量が必要だ。
そこに昨今の釣りブーム、釣り場を持つ自治体や漁協が観光対象として多くの釣り客を呼び寄せるための手段、それが放流だ。
放流はバスのように釣り人自らが違法、ゲリラ的に放流するもの、漁協等の団体が漁獲量拡大を狙うもの、観光目的、そして自然保護に
対して行われる物に大別出来る。バスの放流は各地で問題になっているので皆知っているであろう、海のヒラメ等に見られる稚魚を海に放す
放流も、茨城や千葉で知られている。私たちフライマンに最も興味があるのは渓流のイワナ、ヤマメ、アマゴ等の渓漁放流である。
渓流での放流方法は稚魚の放流、成魚の放流、卵放流に分けられ、人間がある程度の大きさに育てて、稚魚の状態で放流するのが稚魚放流、
15〜20cm程、又は30cm以上に育てた大物を放流するのが成魚放流、人間が人工授精した渓漁の卵を川に放すのが卵放流である。
成魚放流の場合は、最初から大きな魚が釣れるので観光目的で放流される場合が多いが、その成魚が産卵期まで釣れ残れば産卵する可能性も
含んでいる。稚魚放流は予算的な問題で成魚まで育てられない場合に早めに川に入れると思われがちだが、実はこの方法が最もベストな成魚を
川が育んでくれる放流だと思っている。卵放流の場合はふ化する時から川の自然にさらされているので生存確率が悪いが、ほぼ天然魚と
同じ条件で成魚までの道のりを歩む。
確かに放流によってゲーム対象魚の数は増えるが、川が豊かになったかと言うとそうではない。いきなり大きな魚が入るわけだから、それまでの
生態系バランスはやはり壊される。私が成魚放流魚を持ち帰る傾向に有るのはこの為だ(言い訳かもしれないが)稚魚放流の場合はあたかもその川で
生まれた魚が育つように川に馴染んでいくと思う。放流された初期は餌の確保にとまどうだろう、そして上手く補食できない個体は淘汰される。
上手く補食出来る個体は成長して、大きく育っていく。更に釣り人の脅威を免れた頭のいい個体は産卵をしてその遺伝子を川に残す事を許される。
更に運のいい卵は受精してふ化できる。そして最も優れた個体達が私たち釣り人の頭を悩ませてくれるのだ。
私が勝手に思っているだけの事を今まで述べてきたが、更に勝手な事を言わせてもらえば、川に放す成魚にしても稚魚にしても、本来その川で
生まれ育った天然魚の子孫を放流するのがベストだと思う。
太古の昔からその川で順応してきた遺伝子を保持するのが第一の目的、自然保護と言う言葉の通りの放流は本来そうあるべきだが、自然抱卵した
個体を確保する問題、受精させ、稚魚、又は成魚までの課程まででやはり人工飼育された個体とは病気に対する免疫力の問題等が考えられるので
そう簡単には行かないだろう。一部の人たちは個人的な設備や知識で実践されているが、やはり簡単にはいっていないようだ。
第二の目的はこれまで進化してきたその遺伝子をこれからも進化させる目的。人間が壊し続けた自然の中で、力強く生き残った個体の遺伝子は
きっとこれからも壊されるであろう自然にも順応してくれる、と言う期待を込めた目的だ。
もし、こんな難しい事を実践している川があったら教えてほしい。私はその川へは釣行しても持ち帰らない事を誓う。
これからも私たちの釣りも文化も進化を続ける。これに伴って自然はさらなる驚異にさらされるであろう。その中で我々釣り人がこの釣りを
続けていくためにはどうすれば良いのだろうか?やはり魚を、自然を次世代まで、いや未来永劫まで存続させることを考えなくてはいけないと思う。
ではその方法は?誰が?・・・とても難しい問題である。しかしこれだけは言える、今、一釣りファンとして出来ることを確実に実践すること
それはキャッチアンドリリースであるし、釣り場の環境確保、ゴミを捨てないことは当然である。更に大事なことは各自治体、漁協がなぜ
入漁料を徴収しているのかを理解し、確実に釣りをする川にお金を払うことだ。そのお金が川を救うと私は思っている。入漁料を徴収した
団体はそのお金を元に放流や周辺の環境美化を行っている。自然保護もタダではないのであると考えたい。その川で釣りをしたければこれだけは
守りたい。
時代は早くも2000年を迎え大きな区切りをつける。これを機に我々釣り人も今までの意識に区切りをつけ、新たな時代に、新たな
釣りの時代にしたいと思う。私達の子供にも感動する自然の営みを見せられるように。
もしよかったら、感想などお聞かせ下さい。
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