蒲郡の古墳  俊成卿と蒲郡  清田の大クスの木


蒲郡の古墳

 東三河地方には約1200基の古墳があります。
 古墳は西暦3世紀末期近畿地方に出現し次第に各地に広まりました。
 東三河地方の大多数の古墳は古墳時代後期(6〜7世紀)に築造された円墳で
 十数基かたまって所在する群集墳の形式をとっています。蒲郡にも数多くの古
 墳があり,多くは古墳時代の後期につくられました。その一部を紹介します。

1800年前の遺跡発見蒲郡では初の確認

   蒲郡の古代史の宝庫
        赤日子(あかひこ)遺跡


 蒲郡市神ノ郷(かみのごう)町の赤日子(あかひこ)神社
 前での発掘調査で弥生時代後期(1800年前)の遺構
 の一部と土器片十数点が発見された。
 市の教育委員会では「蒲郡市で弥生時代の遺跡が確
 認されたのは初めて、大規模な集落が存在していた可
 能性が強く貴重である」とコメントしている。
               (平成11年8月28日中日新聞)
上の写真は新聞発表された1週間後に撮影したものだが、残念ながら埋め戻されていた。こ
の地区は赤日子神社(創立年代不詳)をはじめ地元の豪族鵜殿氏の神ノ郷城跡、またミカン
畑の開墾が始まった昭和30年代に弥生時代の土器が多数出土しているなど周辺は蒲郡の
古代史の宝庫となっている。

 権現山(ごんげんやま)古墳

 蒲郡市清田町の五井山の南斜面
 の三河湾が一望できる見晴らしの
 よいところに作られている。
  (6世紀末)
 市内最古の横穴式石室。正確に
 は「竪穴系横口式石室」。石室が
 竪穴式から横穴式に移行する過
 渡期の構造で県内でも数少ない
 貴重な円墳 
 出土品は「鉄地銀象眼円頭太刀」

  三月田(さんがつでん)第2・3号墳

 蒲郡市大塚町の山ふところ御堂山の南斜面に作られ
 た円墳。
 2号墳と3号墳が並んでいる。両古墳はこの地域の権
 力者の墓で7世紀の中頃作られたと思われる。
 両古墳は平成8年3月に発掘調査され土器、須恵器
 などが出土している。

   馬乗(まのり)2号墳

 この古墳は、三河湾が展望できる
 みらしのよい現在の愛知技術短
 期大学のある山にあったが、愛知
 技術短大を作ったときに蒲郡市博
 物館に移築された。
 作られた時期は7世紀初め 
       (古墳時代後期の方墳)
  蒲郡市博物館に移築された馬乗2号墳(左 )とその内部(右) 昭和61年に蒲郡市博物館
  に移築、県下でも珍しい方墳(四角形の古墳)で石室の内部が見学できる。
  出土品は須恵器、太刀、金銅製空玉、銀環など。 
  
以前は蒲郡市蒲郡町荒子の木船幼稚園のある天桂院のもう少し南、現在の新幹線の線路
の下あたりにあったのですが、新幹線の工事により中央公園の今の場所に移築されました。
天桂院(てんけいいん)山5号墳

(写真左)
中央公園にある移築された古墳
(6世紀前期の円墳)


         天桂院(写真右)

俊成卿と蒲郡 


俊成祭は毎年4月29日(祝)に竹島園地を中心に俊成行列や俳句大会、郷土芸能、
アサリ汁の無料配布などが行われ、たくさんの人が訪れます。是非来てくださいネ。
平成12年から俊成行列は中止となりました。残念!
費用(約400万円)の割には効果が少ないそうです。
  藤原俊成(ふじわらしゅんぜい)平安時代の歌人

 藤原俊成は1145年〜1149年の間三河国司に任ぜられた。
 この間に現在の蒲郡、当時の竹谷、蒲形の荘園が開発されたと
 推定されるが、俊成がこの地へ赴任したという記録はなく遙任
 (ようにん)であったと思われる。
   〔蒲郡市博物館の記録より〕

 平安時代の32歳〜36歳の間、三河の国司としてクスの木などが
 群生していた
地の開発等を進め、蒲郡の礎を築く。
           〔蒲郡俊成祭実行委員会発行パンフレットより〕

俊成祭実行委員会のパンフレットでは俊成さんが蒲郡に来て荒
地を開発したとも受け取られる記述をしている。博物館の記録と
微妙に違いが見られおもしろい

清田の大クス  

     中部地方第一の樟の大木
   国指定天然記念物 (昭和4年12月指定)    
   根回り13.6m 樹高22m

蒲郡市清田町に樹齢1000年の大クスの老木があり
ます。清田というところは古い集落で、古墳時代の遺
跡も多くあったが、現在はほとんど残されていない。
また明治初期までこの清田一帯はクスの樹海でおお
われクスの大木が数多く生い茂っていたといわれる。
その後、農地や宅地開発などで次々に伐採され現在
はこの一本だけになってしまった。
場所は蒲郡市の北部、蒲郡北部小学校の北のみかん畑の中にある。北部小より徒歩5分

(参考)

那智の樟(クス)

和歌山県指定天然記念物(昭和33年4月指定)
樹齢約800年 根回り8.3m 樹高27m

 熊野三山造営の勅使として参った
平重盛手植えの樟と伝えられています

熊野那智大社境内

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