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映画鑑賞1 雨の朝パリに死す
監督 リチャ−ド・ブルックス
原作 F・スコット・フィッツジェラルド
出演 エリザベス・テイラ− / ヴァン・ジョンソン
女が「戦いはうんざり」と言ったあとの次のセリフはなんともいえないくらいに味わい深いものだった。
「楽しみたいの。毎日が最後の日のように」
「最後の日だけの人生ね」
「真の最後の日は永遠なの」
淀川長治さんは一番 最初にデガダンスの時代の荒れた人生という解説をなさっていたけれど、僕はこの時の女のセリフだけに限っていえば、人生の深い真実に触れている言葉のような気がしてならなかった。確かに、毎日が最後の日の様にという 言葉はデガダンスと紙一重である。キリストの言葉にも確かこういうのがあった。
「明日は死ぬのだから、いざ飲み食いせん」その次にキリストは言う「されど、我は汝等に告ぐ」と。この前者の言葉は当時の民衆が宴会などで時々 使ったのか もしれないが、確かにこれはデガダンスの生き方であろう。しかし、映画の女主人公は真の最後の日は永遠なのと言っている。永遠という言葉は意味深長である。その日が永遠であるというのは一日が永遠の深みを持っているということであるから、死はここでは完全に切り離されている。その日の一日に愛する男女は永遠の生命を味わうということであろうか。死を切り離すのは確かに我々の生きる現実に反しているとも一般的には考えられる。しかし、よく考えてみれば、人は自分の死を見ることはないし、死があると思うのは他者の肉体が消え去ることをもって、 いずれ自分もそうなるだろうと想像しているに過ぎない。
さすが、名画。名セリフがあるなと思ったしだいである。
ただ、この映画は最初から偶然が多すぎる。原作の小説がそうなのかもしれない。
いずれ原作を読んでみたいと思っているが、小説としたらあんな風に最初から偶然の積み重ねを書くとしたら、不自然な感じがして作家はちょっと気恥ずかしくなるのではなかろうかと私は想像してみた。いかにパリ解放の凱旋門前の大群衆の熱狂の中とはいえ、いきなりキスした女の姉妹とその直後にカフェみたいな所で出会い、そのまま彼女達の父のパ−ティ に行き、大群衆の中でキスした美女とめぐりあい恋愛関係に入るというのは話がうまくできすぎている。しかし、映像はそうした話の欠点を感じさせない、そこが映像の小説とは違ったすごいところだと思う。ともかく楽しめる映画だ。
私自身、この凱旋門に行ったこともあり、パリ解放の時の実写を何かの機会に見 たことも何回かあるが、私の好きな歴史的な瞬間だ。
それから、私はこの映画の題名を見た時、男の方の主人公が死ぬのだ思っていたのだが、女が死んだので驚いた。毎日が最後の日の様なデカダンスの生活をしたせいだろうが、私としたら作家志望である男の方が失意の内にパリで死ぬように話しを持っていった方が迫力が出るような感じがしたが思い過ごしかもしれぬ。
音風祐介