新幹線の中で

 K氏は朝の新幹線の中で、新聞のある記事を熱心に読み終えると、満足そうな顔をしてから、前に座っている優雅氏を見た。

彼は生化学を専攻して、今はある民間の研究所に勤めていた。

「世の中には素晴らしい見識を持っている人がいるね」とK氏は新聞のある箇所を彼の方向からでも見えるようにしてたたんで、そう言った。

「そうですか」と優雅氏は言いながら、難しそうな数字の入った本からK氏の方に目を向けて微笑した。

「君の本を読んだよ」とK氏は言った。それは優雅氏が始めて世に出した生命に関する一般向けの薄い本だった。

「うん」優雅氏は好人物らしくそうおとなしく答えて、読みかけの本をひざに置いた。

「確かに面白い本で、説明も分かりやすいし良い本を出したなという印象を持つのだが、君の文章の中で気になった所があった。生命は物理化学的な法則で全て説明が出来る日がいつか来るという君の主張には大いに反対したいね。

はっきり言って、ああいう考えは昔からあったんだ。間違いだと思うがね」とK氏は言って、優雅氏の顔を見た。彼はちょつと微笑して「そうですか」と答えた。

K氏は彼の反応があんまり緩慢なのでちょつと物足りなかった。

「最近は娑婆寂光という言葉に心酔している」とK氏は話を飛躍させた。

「ほお、仏教ですか」

新幹線はわりかしすいていた。車窓には春めいた青空と田園風景が流れていた。

「この世界は本当は天国みたいに美しく調和のとれた所なのに、人間がそれを破壊しているということですね」とK氏は言って、この考えにいたったK氏の書斎を思い浮かべた。

書斎は混沌とした程 沢山の本が並べられていた。

本には表紙がある。表紙には色がある。緑も青もあれば白も赤もありとあらゆる色が部屋にはあった。机は茶色だった。ステレオがあり、CDもけっこうある。

色と音が娑婆寂光に導く案内図だとK氏は思っていた。

色と音は脳で電磁波と空気の波を変換されるという仮説があるが、K氏はそれを信じなくなっていた。優雅氏の様な研究者や唯物論者ならそう信じるかもしれないし、K氏も以前そう思っていた時期もあった。しかし、もしもそうなら過去の偉大な僧や哲人が悟った世界とは錯覚ということになる。つまり、迷信ということになる。

「面白い考えですね」優雅氏はそう言った。

優雅氏は研究員としての仕事を持ちながら、趣味に油絵をやっていたこともあって、幅広い考えを持っているようにK氏には思われた。K氏はこの優雅氏の幅の広い感性が好きだった。それなのに、本にあんな風な生命観を書いたことが不満だった。

「本当にそう思うかい。しかし、生命を物理化学の法則で全て説明できるという君の本での主張は単なる君の信念にすぎないだろう。経済の予測が完璧に出来ないし、天気予報もそうだ。その程度の科学で、複雑きわまる奥の深い生命そのものにあの様な断定的なことを書くのは読者に間違った生命観を与えることになりはしないかね」

「ええ、でもあれは科学の本ですから。油絵なんかやっている時は又 違った感じで世界を見ることもありますよ。世界はどちらにしても美しいと思いますよ」

「でも、だからといって、この世界が本当は霊的な世界だなんて認めないでしょ」

「そうですね。そこには幻想的な飛躍がありますね。霊というのがよく分からないのです。理屈で分からないことを本には書けませんよ」

「しかし、生命が物理化学的な法則でいつの日か解決できるなんて、理屈で分かるんですか。それも君の希望的な感情に過ぎないではありませんか。生命の謎は今やDNAの解読が終着点に到着しても、ますます深まるばかりなのではないですか」

「ええ、それはなんともいえない」

「生命というのは物質ではありません。物質ではないから、死ぬということはない。形あるものはこわれます。しかし、生命は形をとることはあっても、形イコール生命ではない、つまり生命は形ではない、永遠に生きるのです。というよりは生命というのはただ、生きる。生きるとは何か。現に人間がこうして生きているということです。蝉の声が聞こえ、テーブルの上には書物の活字が目につき、蛍光燈からは光りが拡散し、多くの家具が現象している。意識がない時はどうか。寝ている時は呼吸をしています。夢を見ています。夢をみていないで熟睡している時もあるでしょう。

こうしたことの中に生命の核がある筈だ。道元のいう「一顆明珠」というのは形がない生命そのものを珠と表現した。その中に分別意識を持ち込めば、地球があり、星があり、地球には島があり海があり、島には町があり人々が住み、人々は家に住み、家には沢山の家具があるということになる。そして、そこには色と音の感覚世界がある。感覚世界はこの「一顆明珠」という真珠の様に美しい形なきいのちの世界の窓といえよう。一顆明珠は永遠に輝くいのちの珠といえよう。まさに永遠に生きる仏の世界といえよう。

昔から「色即是空」と言われる。

「色」というものを現象と考えてきたのはそれなりに正しい。しかし、それ以上の深い意味がある。色とはまさに色であって、色という感覚の世界である。その感覚の世界そのままが、空つまり仏つまり永遠の生命の世界なのである。これが一顆明珠となる。美しい輝く真珠の様ないのちに満ちた珠である」

優雅氏はただ黙って微笑していた。

そして突然の様に言った。「私は生命を物理化学的な法則で全て説明できると信じているのです」

K氏はその時 パスカルの言葉を思い出した。

『 幾何学者で繊細な精神になれない人がいる。彼らは明白でおおまかな原理に慣れているせいか、繊細なものの前では途方にくれてしまう。  繊細なものはまず感じられるもであつて、幾何学的に扱うことは出来ないことに彼らは気がつかない 』という様な文句であったか、K氏はそんな風に記憶している言葉を思い出した。

そして、静かにK氏は優雅氏に先程 読んだ新聞の記事を読むようにすすめた。

 

読売新聞の記事[ サイバートーク]

ソニー上席常務 デジタル クリーチヤーズラボラトリー所長  土井利忠氏

「アイボ」が、まるで生きているかのように挙動するのを見ると、ロボットの将来に過大な期待を抱く人が多くなってきた。本文ではロボットの技術的限界について述べたい。

従来の工業用ロボットが担っていたような単純な繰り返し作業、あるいは、人間にとってきつい作業、危険な仕事などには今後 ますますロボットが活用されるだろう。正確さや耐久性では 人間をはるかに凌ぐからだ。しかしながら、高度な知性が要求される仕事は おのずから限界がある。

 それは人間の脳とコンピューターとでは根本的な違いがあるからだ。高名な物理学者のロージャ・ペンローズは 「総合的な状況を瞬時に判断する能力」を、また意識の研究で有名なジェリー。フオダーは「ひらめき」を挙げているが、その他にも数え上げれば根本的な違いはいくらでもある。

私は これは人間だけでなく 動物の脳にもあてはまると思う。

つまり、生物にはまだ科学では解明の糸口さえもつかめておらず、いまのところ「神の創造物」としか表現しようがない、奥の深い不可思議な能力が多々 秘められているのだが ロボットは人間がプログラムした通りにしか動かない。

両者の間にはどうしても越えられない深い深い溝があり、これは今後 コンピューターの性能が百億倍向上したとしても縮まらないだろう。

ロボットの開発は この溝の存在をよく認識した上で 方向性を決めなければならない。

 以下に例を挙げる。

A 「アイボ」発売以来、盲導犬、聴導犬を開発してくれ、という要望が多くよせられた。犬の総合的な判断能力に近い人工知能は 現在の技術では全く無理。未来永劫に不可能である可能性も否定できない。

 この様な、判断ミスが直接的に人間への危害につながる仕事は ロボットにさせるべきではないだろう。

B 「アイボ」と遊んでいる老人の具合が悪くなると、救急センターに通報する機能。これは比較的近未来に実現できるだろう。

もちろん具合が悪くもないのに通報したり、本当に具合が悪くなつても通報しない、といった判断ミスが直接的に人間の危害につながらず、少なくとも「いないよりはまし」という意味あいで 商品価値は出てくる。

AとBの差は ほんのわずかのように見えるかもしれないが、実は決定的に違う。

ロボットの開発者は 単に人間や動物を模倣するのではなく、「ロボットならではの楽しみ」

「ロボットならではの役立ち方」を追求しなければならない。

 「こういう素晴らしい文章は教科書などにも掲載して、多くの人が読んで欲しいね。新聞だけだと、うっかり読み落とした人には

目に触れないということになってしまう。もったいない話だ。確かに科学技術の発達は新幹線から車、飛行機、ロケットと昔の人が見たら魔法の様なことをやっているわけだから、科学の将来に過大な期待を抱き、過去の伝統にある優れた哲学を迷信として切り捨ててしまう人が多く出てくるのも分からないわけではないが、それは間違いなのさ。君の様な優れた研究者が、あんなとんでもない間違った自己の感情を書物の中で吐露するわけだから」とK氏は言った。                

 

                    音風祐介

               karonv@hi-ho.ne.jp