「混沌」という散文詩 音風祐介作

街路樹にカラスがとまり、道には車の群れ、空は確かに青空ではあるが花粉症のためか、鼻からずるずる白い液体が流れ、あわてて綺麗なハンカチを出す。スピノザという哲学者はこの風景を支えているのが神だと言い、天才的数学的手法で神を証明した。東洋の禅の坊さんはそうした証明では生身の神に触れたことにはならないし、言葉を滅した身体と心で感じる「空」こそ本物の神仏であり、頭で考えた神様は神の入り口に過ぎないと言った。

どこかの綺麗な赤い屋根のある庭に薔薇が咲いていた。新聞を広げるとあちこちで汚職だらけ、ナイフや環境汚染だらけ、道行く人もなんとなく緊張した目つき。

DNAが分かり、遺伝子治療が始まり、ク−ロン牛が生まれ、ロケットは火星探索に乗り出したけれど、おれ達は札束を数え、スピノザの神や禅の仏さんがオペラの歌手みたいに叫び歌っているのを、何かの悲しみに似た目で、建物だけは新品な寺院の壁を見る。

ああ、どこかで救急車が飛んでいる。ああ、どこかで泥棒が走っている。

ああ、どこかで人が狂っている。川は泥水で、空気は麻薬のようだ。ああ、おれ達はどこへ行くんだ。上からはミサイルが飛び、下からは地震。

悪という野獣は

インフルエンザの様に油断している心に進入する。狼、熊、ハイエナ、狡猾なサル、さそり、そうした精紳の嫌らしい臭いのする衣服を身にまとい、心の中にけがらわしい叫び,うなり、吠え声、が響き渡るのを、堅牢な防弾チョッキに身を包み、すべての悪を隠し、快楽だけはよだれをたらしながら盗み見する。

いのちの深い尊さの中に人生の最大の神秘があるはずなのに、その生命を破壊する騒音、ガス、汚い空気、汚れた水を科学技術と経済成長という大義名分のために、自然破壊を加速する。

世界は今、どこに来ているのか、オゾン層の破壊、海や川や森の破壊、交通事故の戦争なみの死者、そして酸性雨、ダイオキシン

それから政治に目を向ければ核の恐怖、生物化学兵器の恐怖。勿論、善意の人達の多くの努力によって、破局は回避される方向に進むように見える

 

思い出すんだ。おれ達の故郷を。その時のおれ達はアダムとイブの様な綺麗な身体を持っていた。何もシャワ−なんか浴びなくても、肌は光りに輝いていた。おれ達は世界の光明だったというのはただの夢か、錯覚か幻想か。

帰りたいものだ。あの田園の故郷に。そして、無一物の真人と酒を酌み交わす喜びに浸りたいものだ。あの美しい川には森のざわめき、鳥の鳴き声そして、耳をすませば哲学者の神でない、生命に輝く生きた神々の声が響いていた。

人は今 すべてに武装している。しかし、かって人は愛だった。知恵だつた。

それがなんということだ。おれ達は脳みそにピストルの弾でもうちこんでしまったのか。

歌を聴け。諸君。さめざめと泣くことの出来る歌を聴け。諸君。そこにこそ、かっての清流の音が聞こえ、青空と夏の日に飲む飲料水に負けぬ天国の風景が復活することだろう。

その時、しばし人生の神秘に目覚めるのだと心の中に響くやさしい竪琴に耳を傾けよ。目に涙があふれ深い感動がおそう時、人は生命の永遠性に目覚める。存在の車輪は回転し、西に沈む夕日も朝日となって東の空にのぼる様に、いのちは限りなく深い。永遠に渇くことのない水を飲む時に味わうその美しい水のごとく、いのちはとこしえに深く、慈悲と愛の存在でありがたく、輝く素晴らしい珠玉のようで、永遠の善の意思をもって、我らに手をさしのべる。

 

音風祐介

karonv@hi-ho.ne.jp