カラスの演説[童話」 

ある晩おそく、カラスがマンションの五階の窓から入ってきました。夏の蒸し暑かった時なので、窓があいていたのです。利口そうな顔つきをしたカラスは目を輝かせて、静かに部屋の中を見回しました。月の光が居間を照らし、台所には豆電球がついていました。そうした淡い光のおかげで、部屋の中の調度品がくっきりと輪郭をあらわにしていました。

時計の音がするだけで、全てが静まりかえっていました。 別の部屋に家人は寝ているのでしょう。そこはテレビだの本棚があり、大きなテ−ブルが中央にありました。テ−ブルには茶碗だのコップだの、食事をする際に必要な物が置いてありました。

 カラスはしばらくテ−ブルの上にいて、茶碗の横にある時計を見ていました。そして、急にくちばしで時計のガラスの表面をコンコンとたたきました。

「君は誰ですか?」と時計は驚いた様に声をあげました。

時計はこの蒸し暑いのに緑のマントを着ていました。そして、滅多に見たこともない黒い鳥の出現に、不愉快そうな顔をしました。 「見れば分かると思う。カラスさ」

「何の用ですか? 今は真夜中です」

「君に用があるのさ。時計君は、何で休みをとらないのさ?」とカラスが言いました。

「余計なお世話です」 

「君は休まないで仕事ばかりしている。毎日、毎時間、時を知らせるのも大変だと 僕は思うよ。いいかげんに君も休みをとったら、どうだい?人間だって、夜は寝るし、夏休みもとる」

「人間に時間を知らせるのが僕の仕事なんです。これが僕の生き甲斐です。僕が休んだら、時計が時計でなくなると思いませんか。カラスさん。あっちへ行って下さい。君と話していると、時間を間違えそうになってしまう」

カラスはあざ笑う様な顔をして、そっぽを向きました。そして、今度はテレビの所まで行き、ブラウン管の表面をくちばしでつつきました。

「痛いな」とテレビは言いました。そして、珍しいものでも見るように、しげしげとカラスを見ました。

「じろじろ見ないでくれ。俺の顔に、何かついているかい?」

「いや、そうじゃない。ブラウン管にカラスが映ったことは何度もある。でも、こうして目の前に本物のカラスを見るのは久しぶりのような気がして」

「本物はやっぱり立派だろ」

「そうは思わない。第一、真夜中に人の家に黙って入ってくるなんて、失礼じゃないか」

「失礼だって。冗談じゃないよ。ここの家の主人はひどい奴だ」

「そんなことはないぜ。普通のサラリ−マンさ」

「しかし、そいつが俺のところの巣をぶちこわしたんだ」

「いつさ」

「この間の日曜日、子供と一緒にセミを取りに来ていたらしいが、公園の樹木の上のカラスの巣をみつけて、面白半分にこわしやがったんだ」        

「しかし、ここの家の主人が犯人という証拠はないだろ」

「証拠。随分、人間くさいこと言うじゃないか」

「そりゃそうだ。僕はいつもニュ−スを報道していて、証拠がない場合は疑わしくても罰することは出来ないということを知っているからね」

「証拠は俺の記憶力よ」

「カラスの記憶なんてあてにならないだろう」

「カラスが利口だって、ことを知らないのかい。人類が滅びた後は多分神様はカラスの帝国をつくるおつもりだと聞いたことがある」

「そんな変なことを言う神様なんて僕は信じないよ」

「内の長老がカラスの神から直接、啓示されたことらしいから間違いないと思う」

「馬鹿馬鹿しい。誰もそんなことを信じないよ」

「君たち人工の物は人間の奴隷だからな」

「奴隷だって。もう君とは話したくない」

テレビはそう言って、沈黙して眠っているような感じになりました。

カラスは部屋のテ−ブルの上を歩きながら、コップだの茶碗だのに向かってこんな風に話かけてみましたが、最後はたいてい相手を怒らしてしまいました。

それでも、小瓶と話した時は小瓶はいいことを教えてくれました。

「ここの家の物に言うことをきかしたかったら、親分のパソコンさんを説得することだよ」

黒い色をした小型のパソコンが机の上にのっかっていました。箱の様な感じがしたので、今までそんな所にこの部屋の親分がいるとはさすがのカラスは気がつきませんでした。

カラスはこんこんとくちばしでつつきました。

パソコンはおおきなあくびをして蓋をあけました。そこにテレビの画面の様なデイスプレイが顔を出したので、カラスはどきりとしました。

「パソコンさん。寝ている所を大変 申し訳ないけど。僕の話を聞いてくれないか」とカラスは親分に敬意をはらって丁寧に言いました。

「なんだい。カラス君」とパソコンはもうすっかり生き生きして目になって答えてくれました。  

「君はここの親分だそうですね」

パソコンはにやりと笑いました。

「人間いがいの物の中では頭が一番いいからね」

「それは素晴らしい。それなら僕の悩みを理解してくれるだろ」

そしてカラスは日曜日に起きたカラスの巣の悲惨な出来事を話しました。黙って、聞いて時々あいずちを打ち、適切な同情の言葉をなげかけてくれるところなど、まるでカラスのカウンセラ−の様でした。

「それで、君はこの家の物にけしかけて、この家の人間に反乱をしかけようというわけかい」

「ああ、そこまで、カラスの心をよんでくれるとはカラスの神様でも中々 できることではない」とカラスは感嘆して言いました。

「気持ちは分かるけど、君はあまり利口ではないね」

「なぜですか。鳥の中でも有数の知恵の持ち主といわれるカラスをそんな風に言われるとは残念です」

「人工の物というのは人間に奉仕するようにつくられているのだよ。その物が人間に反抗するなんて、それは君。世の中の価値観がすべてひっくりかえるほどの大変革を起こそうということだよ。そんなだいそれたことを君の家の事情でおこすわけにはいかないのだよ」

「でも、人間の社会には昔から仇討とか、戦争とかあって、つらい思いをしたら、それ相応の行動をとるのが習わしとか」

「ああ、それは昔のことだよ。今は民主主義の時代なんだ。そして、国会で決められた法律に基づいて悪いことをする人間を罰するようになっているんだ」

「それではカラスの巣を壊した者は監獄に入るという法律はあるのでしょうね」

「そんなもの、あるわけないでしょう。君は学問というものを知らない。生ゴミばかりあさっていないで、少しは勉強をしたらどうだい」

「勉強」と言ってカラスはきょとんとしました。

「そうさ。本を読むことだ」とパソコンは言って、本箱を指さしました。本棚には沢山の難しそうな 本が並んでいました。

「もっともカラス君は字が読めないから勉強は無理かな」

さすがのカラスもそう言われてむっとしました。  

「僕たち種族はみんな耳学問が得意なんですよ。この程度の本の知識なら本君たちと対話することによって、夏だけでマスタ−出来ますよ。でも、今までしなかったのは本なんて読んだって無駄だと思ったからです」

「それは違うよ。本を読まなければ、君はカラスのことしか知らないし、カラスの習慣がすべてだと思い込むことになる。本を読むことによりもっと広い世界があることを知るわけさ」

カラスはこうしてパソコンに言い負かされたのが悔しくて、それから毎日 この部屋に通い、本棚の本と対話して色々なm識を学習することにしました。

幸い、夏の暑さとマンションが五階というせいでいつも居間に通じる窓が開いていました。

こうしてカラスが毎晩 本と対話していると、中にいじわるな本もあって、こんな風に言うのもいました。その本は本といよりは雑誌でやたらに裸の人間の写真がのっているので、カラスがいぶかしく

思ったものです。カラスは心の中で思いました。カラスはいつも黒い礼服を着て、結婚式に出るような立派な服をきているのに、この人間の裸はどうも見られたものではないと。こんな本が学問だとしたら、人間の文化はたいしたことはないと。

「カラスさん。そんなに巣がやられたのがくやしければ自分でこの家の主人の顔でも、足の裏でもつついてやれば」

カラスはそういう本には憤然とした調子で反論しました。

「カラスにはカラス道というのがあって、人間の騎士道と同じ位、あるいはそれな以上の崇高な態度というのが要求されているのだ。

君の言うようなことは卑怯ということだな。卑怯はカラス道が一番嫌うことなんだ。君という本は人間の騎士道を知らないのかい」

「それなら、昼間戦えば。君の様に夜中に人の家に入ってくる方が騎士道に反するのでは」とその雑誌も反論しました。

「君は悪い本だな。本には悪い本と優れた本があると聞いていたが、君は悪い本だ。僕はここの主人に反省をしてもらいたいだけなのだ。それに、ここの主人は柔道三段の大男で、僕が昼間戦ったとしても追い払われるだけさ。それよりも知恵を使うことだ。カラスの学習能力は高いのだから、こうして人間の学問を研究して、あの大男に反省してもらう方法を考え出すことなんだ」

「そんな方法があるわけないだろ」

「僕は人間とカラスが共存する道があるという信念を持っている」

「勝手にしたまえ」

カラスはそれからは読む前に良い本か悪い本かを表紙や目次で判断して、良い本だけを選び、その本とだけ対話することにしました。そのために、能率は今まで以上にあがりました。

ただ、部屋にいる家具や調度品はカラスの行動をひややかに見ていました。中にはあからさまに、あざけり笑うものもいましたが、カラは一向に気にかけませんでした。    

ある晩のこと。台風が過ぎ去った九月間近の頃でした。その晩は涼しくて、窓がしめられているとのではないかと心配しながらやってきました。窓が開いているのを見た時はカラスはほっとして胸をなでおろしたものです。なにしろ昨晩は嵐で来れなかったし、このまま涼しくなったら計画は駄目になるとカラスは思いました。まだ、チャンスはあるにしても早くしないというあせりもありました。そこでカラスは部屋にいつものは通り、入るとしばらく周囲を見渡しました。時計もテ−ブルの上の瓶も机の上のパソコンもカラスの方を見ました。みんな今日のカラスは違った感じだと思いました。

カラスは心の中で演説をする決心を固めていました。そこで、親分のパソコンの所に行くと、協力を要請しました。親分は居間にある沢山の家具にテ−ブルの方に移動するように、言いました。

中には親分の命令をきかない図体のでかい冷蔵庫もいました。

「僕はここで聞くよ」と象の様な声をあげて、自分の存在を誇示しました。

カラスはテ−ブルが狭いので、それぞれの持ち場で耳をすましてくれればいいと言いました。

カラスは「皆さん」と演説を始めるために、よびかけました。

「私はこの夏中、人間の学問を吸収しました」

「それで少しは利口になったかい」とポットは言いました。ポットはいつも熱い湯を入れて、お茶を飲む時などに利用されていましたが夏は家人がみな冷蔵庫の方に行ってしまうので、用無しとなり少々くさっていました。本当は心根のやさしいポットなのに、いらいらしていて、ついカラスに意地悪な言葉をいくつもいって言ってしまいました。

カラスはボットをなだめるようにして見ました。カラスとしては最大の寛容の精神を見せたのです。

「ポット君。君は向日葵の様に、あたたかい心の持ち主だったね。そんな風にカラスに言うものではないよ。夏休み、休める君は時計君のように毎日毎時間休めない物から見たら、幸せなんだよ」

「幸せなんかじゃないぜ」とポットは言いました。

「僕のことをそんな風に言わないでくれ」と時計は言いました。

「まあ、僕の言うことを聞いてくれ」とカラスが言いました。親分のパソコンが「みんなカラスの演説を聞いてやろうぜ」と声をかけました。パソコンの声に皆、静かに耳を傾ける気持ちになりました。「僕はここの主人に巣をあらされて、この大男にうらみの心を持っていました。そして、皆ここにいる人工の物を説得して主人の言うことを聞かないようにしてしまえば、さぞ主人は困るだろうと考えて、夜このようにやって来たのです。しかし、僕は学問をして考えが変わりました。

「僕というカラスと君たち物とは兄弟だったのです。これが結論です。人間も兄弟です。君たち物がいなければ、人間は生活ができません。カラスがいなくても、人間は困らないでしょうけど、人間はカラスという知恵ある鳥を永久に知らないことになるのです。人間の前にカラスが現れるということ。カラスの前に人間が現れるということ。これは奇跡です。これは君たち人工の物だって、同じことです。瓶もポットも親分のパソコンさんも、象の様な冷蔵庫家もテレビもみんな、月の光に照らされてこうして闇の中から忽然と姿を現わしています。全てが兄弟なんです」

「確かに良い話だが、現れることが奇跡だという意味が分からない」と誰かがつぶやきました。

カラスはにっこり笑いました。

「その疑問はもっともです。皆、こうして生きていたり、君たちみたいに物として存在していることなんて、当たり前のことだからね。しかし、この当たり前の中に宇宙の秘密があるんだ。もしもだよ、全てがが暗闇で何も存在しないとしたら、どうだい。こう考えると僕達が生きていることが奇跡だということが分かるんだ」

「僕には一向に分からない。カラスさんは何の本を読んでいたんだろ」と金の腕時計はパソコンに小声で言いました。

「それは決まっているだろ。哲学の本さ。なにしろ、ここの家のご主人は哲学の先生で、本棚はそんな本で埋まっているからね」

             音風祐介            [了]