ドンキホ−テとハムレットが現代の妄想を語る

人間にはこの二つの性格があるとドイツの大詩人ハイネが言ったことがあると聞いたことがあります。禅の立場から言えば、両方とも妄想型です。要するに、小説とは人間がいかに妄想するかということを巧みにかき分ければ面白いものができるのではないでしょうか。人間というのは この妄想を取り払えば 人間 無一物になって、仏になると禅では教えていると思われます。

 {妄想するなかれ―――禅の言葉です}

ドン: 今の日本は何だ。わしの頃は馬ロシナンテにまたがって、正義の旗印の下に諸国漫遊の武者修業に出たものだ。それが、近頃はあの変に臭いガスを出す乗り物にのって時速八十キロとか信じられぬ速度で走って地球温暖化などの公害問題をひきおこしていると聞く。そこで年間一万人の死者が出て、負傷者にいたっては百万人に近いという。この間の新聞の八月五日の朝の朝刊を見てみたまえ。涙なしで読めぬぞ。

ハムレット: お宅は奇妙なことをおつしゃる。朝の朝刊とは奇妙ないいぐさだ。わしは夜の朝刊がみたい。それはどんなに幻想的な美に満ちていることか。

ドン: 貴公は王子だな。王子よ。幻想なんかに生きてはいけない。まさに玄宗皇帝があのなよなよとした楊貴妃におぼれたように、その末路は哀れなものになる。王子よ、まず正義の元に生きよ。新聞の記事によれば ある大学教授の心やさしい娘が車にひかれて死んだとある。そして、ひいた方は無罪放免だそうだ。

ハムレット それは悲しいことだが、車は人類の英知が生んだ最高のものだ。わしは科学を重んじる。理性を重んじる。しかし、近頃 幽霊を見るのでこの理性というものも科学というものも、ある限界の中ではたいしたものだが、その限界の外では幽霊もUFOも臨死体験も霊界日記もみな真実かもしれぬという気になる。又、一方で わしの理性の力が増す時はそんなものはでたらめなんだという空耳が聞こえる。どちらが本当か、誰か教えてくれぬか。宇宙の底の底でささえているものは神なのかそれとも単なる物質なのか。どうだね。ドン君。分かるかね。

ドン: わしはついに悟りを得た。この宇宙の究極の神秘をこの身体で体得したのだ。貴公みたいに、妙な哲学をふりまわして結局 どちらが本当なんだか分からないなどと閑人の考えるような妄想にはとらわれぬ。わしはただ、正義のために行動する。

今の日本は何だ。わしは怒りに燃える。愛馬ロシナンテよ。よく聞け。年間一万人も死者が出て、負傷者が百万人近いとは。これではまるで戦争ではないか。

ハムレット: そうだ。だから、交通戦争というのだ。科学は常に諸刃の刃なのじゃ。飛行機も落ちれば沢山の人が死ぬ。ゴミも燃やせば恐ろしい猛毒ダイオキシンが出る。人間は原罪にのろわれているのだ。わしはキリスト教徒ではないから、原罪など分からぬ。仏教徒でもないから、煩悩のはてが地獄行きなのかどうかも分からぬ。

ドン: 人間は生まれた時はきよらかなものだった。キリストも神の国を見るにはどうしたら良いのかという質問に、赤ん坊を抱いて、この幼子のごとく汝ら大人達が素直な気持ちにならなければ神の国を見ることは出来ないと言っている。

ハムレット: 神がいるかいないかそれが問題だ。おれはいない方に賭ける。しかし、迷いは残る。そこが俺の悪いところだ。科学と理性を信用しながら、この世はそうした合理的な精神では分からぬ世界があるかもしれぬと、いつも後ろ髪を引っ張られる思いで、繊細の精神で幽霊さえ見えてしまう。あれは幻覚なのかそれとも本当の亡霊なのか。

ドン: わしは神がいるかどうかよりはまず、人間の正義を信じ、この世の不正を許さない。

ハムレット: 許さないといっても、あなたに何が出来る。

ドン: 馬鹿になさるな。わしには愛馬ロシナンテがいる。そして、この胸には燃えるような愛がある。それにわしの伝家の宝刀 竹刀がござる。これさえあればこの世にこわいものなどない。ありとあらゆる不正を正すために、さて遍歴の旅にでも出ようとするか。

ハムレット: さてさて、貴公はこの暑さのために少し頭をやられたのではないのか。

日本には警察も政府もある。貴公など出馬しなくても、泥棒が出れば警察が取り締まるし、

この未曾有の経済不況も政府がなんとか舵とることだろう。舵取れなければ政権が交替する。そうした民主的なル−ルというものがある。

ドン: ああ、この場にわが愛する 姫がおられればその様な冷たい物言いはせず、きっとわしをはげましてくれる。わしが遍歴の旅に出れば、経済不況はぴたりとやみ、村や町ではどこからともなくこの不況を追っ払った祭りの太鼓や笛の音が聞こえてくるにちがいない。や、もしかしたら、新宿や東京駅には あのベ−ト−ベンの第九の歓喜の歌がなり響くかもしれぬ。

ハムレット: ああ なんというおめでたい奴だ。わしはこの間の真夜中 死んだ父の亡霊から聞いたのだ。今の不況は 銀行などの持つ不良債権の問題があるが、やはり消費者の購買力が低下していることが大きな問題だ。これに対する処方せんは消費者の懐を豊かにしてあげることに限る。学者からも財界からも庶民サイドからも色々な意見が既に出ている。消費者の懐を豊かにし、それによって生産意欲が上昇する妙案が書かれた金庫を父上からいただいたのだが、これをあけるには妄想をなくし、無念無想の清らかな心にならなければその金庫をあける暗号が解読されぬことになっている。わしには信仰がない。妄想ばかりだ。わしだけではない。エリ−ト官僚も政治家も財界人も心を清らかにして私心をなくし、自分の懐をこやすことなど考えぬ清廉潔白な紳士のみの集まりになれば、自然に暗号は解ける。

ドン: ハハハ 王子よ。貴公は 変なことをおっしゃる。人間というものは妄想の固まりなのじゃ。 妄想の固まりならまだ良い。欲望に翻弄されるとどうしようもなくなる。わしの定義によれば 妄想だけなら人間は良い部類に入る。欲望に翻弄されると人間は悪くなる。

わしは自分が正義という妄想にとりつかれていることを知っている。だから、遍歴の旅に出て、悪をこらしめるのじゃ。

ハムレット お宅には水戸黄門様のような印篭もない。金もない、社会的地位もない。そのないないづくしでは何も出来ぬではないか。それに妄想は人間らしいなどとおかしなことをおっしゃるが、妄想にもスト−カ−などのように妄想の虜になり、人に迷惑をかけるものもある。

ドン: それは異なことをおっしゃ。ないないづくしこそ、人間の本来の姿。人間 無一物。

なんでも、印篭にたよるようでは封建意識を脱出できたとはいえぬ。西部劇は正義感を持つ射撃の名人が沢山の悪と戦う。この正義の男は西部劇ではたいてい、名もない金もない、ただの無頼の男である場合が多い。そこがわしと似ている。

水戸黄門は悪をこらしめるという点では素晴らしく楽しめるが、天下の副将軍というブランドがついている。

ハムレット: ブランドがつくから人は安心できるのではないかな。わしも王子じゃ。そうしたプライドがあるから、この様な変な価値観が横行する日本になっても、じいっと庶民が自らの力で人類を明るい方向に持っていくようになることを信頼してじいっと見守っている。

ドン: 要するにお宅は今はやりのお宅族じゃよ。高遠な哲学書を読んで、世を憂えても、外には何も語りかけずに嘆いてばかりいる。だから、亡霊なんか見ることになるんだ。遍歴の旅に出る方がより高貴な行動だということが、お宅のようなお宅族には分からぬ。

ハムレット: 何という侮辱を言う男だ。本来なら、手打ちにするところだ。わしは単純なお宅ではないぞ。インタ−ネットの世界で、素晴らしいホ−ムペ−ジをつくり、世界に発信している。アクセス数もこの間、ついに一万件を超えた。わしは君とは違う行動をしているのだぞ。

ドン: わしはパソコンというのは苦手でのう。ところでのう。ハムレット。お宅は価値観が今へんてこになっていると申した。その点はわしは同意できるぞ。金銭万能の世の中。

学校では偏差値。わしの言う正義がなくなった。

ハムレット: 正義も大切だが、わしは真理が知りたい。神がいるのかいないのかという様な意味での最高の真理だ。いつぞや、わが親友ホレイショから聞いた。彼は東洋の知恵にも詳しい。彼の話によれば東洋の禅には 真理を空華と把握するのだそうだ。

ドン: そうそうそのことをわしは今言おうと思っていた。くう。つまり食べる。これこそいのちの根元だ。腹が減っては戦が出来ぬと申すではないか。

ハムレット: くうというのは食べることではない。漢字でそらと書き、くうと読ませているので、食べることと関係はない。むしろ真空に近い言葉だそうだ。何もない筈の空にはいのちが活動していてそこから花が咲く。その時、宇宙の森羅万象が生まれるという話だ。

ドン: その空から正義という花も咲くのだろう。それはよく分かる。わしの心も身体も真空みたいなものだ。いつも空っぽ。だから、いつも愛という花が咲き、正義という花が咲き、悪をやっつけるわが鉄の腕が咲き、知恵も咲く。わしは花だらけだ。まさに満開の花。これこそドン・キホ−テが生きておるということじゃ。

ハムレット: なるほど、おかしなことばかり言うと思ったら、少しはまともなことを言う。みなおした。それで君は遍歴の旅に出て、具体的に何をするのですかな。

ドン: わしはこの頃、歩くときに息苦しいことがあるのだ。

ハムレット: 病気ではないのかな。それじゃ、遍歴の旅どころじゃない。医者にでも行って寝ているのが一番じゃ。

ドン: そうではない。空気が汚れているのじゃ。そのためか、最近は花粉症やアレルギ−性鼻炎に悩まされている。

ハムレット: 空気の汚れは認めるが、君の病気と因果関係はあるのかな。

ドン: あるある。因果関係はありますぞ。ともかく、空気は汚れている。空気が汚れているということは生きているものにとつて、生命をおびやかされていることじゃ。そこでわしは遍歴の旅に出る時に、わしが発明した空気清浄器を我が愛馬ロシナンテにのせて、世界中の空気を綺麗にしようと思っているわけだ。

ハムレット: やはり、君は騎士道物語の読みすぎで、晩年のニ−チェみたいになったという噂は本当のようだな。

ドン: その通り。わしの鋭い頭脳はついにあの優秀で深遠な哲学者ニ−チエの頭脳の高みにまで達してしまった。わしはこの地球を正常にするありとあらゆるものを発明したので、これを武器にして遍歴の旅に出る。

ハムレット: ドン・キホ−テが発明の才能があるなどとは初耳だ。

{ つづく } 音風祐介 作

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