「故郷」

【音風祐介より、念のため ――創作の常識を書くのは 大変恐縮なのですが、下記の作品は

全くの空想によって書かれたもので、作者個人とは無関係です。私は私小説というのは全く書きません。空想にまかせて書くのが好きなので。ついでに申しますと、これは数年前に書き、知人にご批評をうけたまわったものを最近になってほんの少し手直しした作品です 】

私の故郷は人生の謎が解き明かせる町だった。それにもかかわらず、私は故郷を離れ、長いこと銀行という所をあてどなく、さ迷った。外見から見れば、名のある銀行の町の支店長になって満足といいたいところだが、私の心は砂漠の様でオアシスを求めて、様々の哲学や宗教や文学の本を読み漁っていた。それは単なる趣味などをはるかに越えて、私自身の生き方を問うものであり、私は自分の故郷の町を捨てたことを後悔していた。
確かに、私の故郷は 外見的な華やかさはない。しかし、そこは公園が沢山あり、自然の丘陵や林がまだ残っていた。それに、しょうしゃな店もいくつもあった。暮らすのに何不自由なく暮らせる所だったのだ。車が入ることがひどく規制されている珍しい町でもあったので、私は 不便な町と思っていたが今はそう思ったことを後悔している。鉄道もバスもタクシーもあるし、自転車で一日かかればすべて見てしまうことが出来るし、それになによりも私にはこの町には深い思い出があったのだ。
まぶたに浮かぶは 五月の黄昏。西から南の空に何ともいいようのないやさしさと深さをいちめんにたたえた美しい空色が広がる。私は若菜と一緒にこの夕闇のせまる土手の上を歩いていた。土手の下を流れる曲線美の川のたわむれは清流のつくる芸術だった。風のざわめき、緑の梢のゆらぎ。どれもこれも、聖者の聞くという静かな音楽をこの一服の風景画に流しているようだつた。私はその土手を若菜と一緒に歩いていた。

周囲にはゆるやかな山が緑をたたえて聳える信州の小さな駅の改札口
(中肉中背の男が、五月のやわらかい日差しの中に他の乗客と一緒に吐き出されてくる。
西森秀和――三十二歳。彼は、ブルーの背広にえんじ色のネクタイをきちんと締めている。彼は、新聞売りの目の前で、まるで彫像のように立ち、軽い微笑をして五月の駅前風景を見る。暇そうにしている新聞売りのおばさんが彼を眩しそうに見る。)
N(西森秀和のナレーション)一私は、この駅に降りた時、いよいよ新しい人生が出発するのだというときめきを覚えた。私は銀行を辞めて中堅の電気会社に勤めることにした。というのは大学の先輩のつてで、電気会社の研修所で一人インターネットの哲学を教えることの出来る人材を探していることを耳にしたからだ。ここのパソコン・メーカーは本社が長野にあり、工場は信州のいくつかに分散している急成長の準大手である。ここの会社には死んだ父が重役までのぼりつめ、今 経営にたずさわっている人達の中にはその部下もいる。私を紹介した先輩も私の父の世話になったというわけである。そういうわけで、わたしの銀行での実績と哲学の素養が評価されて、中途採用されたのである。私の心は今、新しい未知の世界への情熱に満ちている。思えば銀行の支店長を辞めたのは、我ながら勇断だったと思っている。
2、哲村電気会社の研修所の正門前いちよう
(緑のきれいな銀杏並木。春の淡い陽光に照らされた掲示板の前を、OL風の若い女達がカラフルな服装で行き交う。秀和は受付で所長室の方角を聞く。)
―――私はこの研修所で、出来れば自分の哲学を深めたいと思っている。私の基礎にある哲学からインターネットがどういう方向に向かうかというビジョンを示す。インターネットやプログラムの基礎論としての哲学というのが私に与えられた仕事内容だ。その理論をきわめたいために、私は銀行を辞めたのだ。私は少年時代から人生に悩み、一時は自殺を考えたこともある。そして今は、一つの結論を得た。歴史上の多くの哲学は、他の人と違った表現形式に専念することが多かったようだ。そのために世界にある様々の思想や宗教は、その相遠点が強調され、時には互いに争った。しかし、今や時代は、あらゆる偉大な思想の共通点こそ強調され、その中から現代人が指針とするような真理を見い出す必要性がある。そして、私は自分なりにその真理を見たと思っている。
所長室
(柔らかい日差しが部屋の半ば近くまで照らしている。豪華な応接室風。部屋の隅のガラスケースには、いくつかの優勝カップや様々の調度品が飾られている。赤い絨毯の上に深々としたソファー。そこで秀和と所長が対面している。近くのルームから若い女の笑い声が静かに響いてくる。)
所長―――西森さん。よく来てくれました。お手紙は拝見しました。なにしろ、お宅のお父様には、私が若い頃 御指導していただいた恩義があります。それにお宅のお父様はわが哲村電気のパソコン製造の基礎を築いた方としても、我が社では恩人として記憶されています。わが研修所のインターネット哲学コーチとして本社からの採用通知も届いております。
しかし、なんでまた、銀行をお辞めになったのですかな。大銀行の支店長までなられてエリートを約束されたあなたが、そこを辞めるとは余程 我が社にほれましたかな。
秀和―――僕は学生時代から哲学とか文学とか人文系の学習に熱心だったんですよ。それが就職の時に、父の勧めもあってなんとなく銀行に行ってしまったのです。良い経験にはなりましたけれど、バブル崩壊後の銀行は厳しかったですし、一生の仕事と思うとやはり父の歩んだ電気会社の方が創造性に富んで性に合っているという感じがするんです。
所長―――そうですか。それはともかく、金融の知識と経験を持たれている方はわが社としても貴重です。こちらの仕事は新入社員の指導が主なんですよ。特にあなたの担当は高卒の子になっています。高卒ですから、若干女子の方が多いですよ。高校出たばかりのフレシュな子が多いのはいいんですが、電気やパソコンの知識はないわ、はては最近の子は礼儀作法まで教えなければいけないんです。お客様に失礼のないように電話のかけ方まで。
秀和―――私がまさか電話のかけ方まで教えるわけではないですよね。
所長―――それはベテランの女子社員がやります。西森さんはもう少し高度なお話をなさってください。
哲学をやりたいのでしょ。私の知る限りでは 電気会社のパソコン部門で基礎論として哲学が必要だと考えてそういうカリキュラムを研修に組むところは我が社くらいだと思いますよ。
これからは普通のプログラムにも哲学が必要ですし、コンピューター・グラフィックとかも哲学のガイダンスが必要なのです。これこそ、わが社が飛躍的に伸びてきた秘密の話ですよ。ハハハハ。
N―――私は銀行を辞めてから、ふいにまぶたに見る思い出の風景をその時も思い浮かべた。あたりは静寂で、聖なる夕暮れの趣があった。七色の虹の上を憂愁にひたった青白い妖精が漂うという風だ。やがては七色の虹は薄れ妖精はこの神秘的な風景画の中でおもいきり舞踏を始めるにちがいない。
「ここは永遠の生命の世界ですわ」と若菜は言った。
「確かにこの美しさは神秘的だ」と私は答えた。
私は若菜を見た。星の深さを持った瞳を持った彼女は悲しげでした。時に海の深さを持った瞳でした。そして森の深さを持った瞳でした。理知と知性に輝き、母の優しさを秘めていました。
「こうした愛は長続きしませんわ」
私が驚いてその理由をたずねると「それはあなたが人間だからですわ」と若菜はいう。
おれは必死な気持ちで「あなたは永遠の生命の世界の人 」と言いかけてある不可解な感情におそわれました。
かって、私が存在していた世界は 今こうして若菜と一緒に夕焼けの空を眺めながら語り合っているこの世界と違っているというような謎めいた感情でした。
若菜の瞳は春風の吹く美しい夜、輝く満月が 森に囲まれた青色の湖に映ったかのようでした。
「どうして、僕らの愛が長続きしないのでしょう」
「あなたは永遠の生命の世界をすぐにお忘れになってしまう。物質の世界は永遠の生命の世界と一枚なのですけどね、普通の人は直ぐに物質の世界に戻ってしまう」

そして若菜は不思議な詩を朗読しました。

「わたしは永遠の生命のままで長いこと無意識に活動してきたが、ある時、目覚め森羅万象の美しさを見た。山も海も川も森もそこに生きる生き物の生活を見て満足した。私は不生不滅の身ではあるけれど、時々死の世界に戻るが、やはりこの生の世界が懐かしくなり又舞い戻ってくる。こうして死の世界と生の世界を往復して永遠に近い時がたった。生の世界についていつも気になることは人間が色々な災いや悩みに悩まされて、自分達の生活の土台になっている物質と一枚になっている永遠の生命のことをしばしば忘れて、物質と肉の欲望に執着して苦しんでいるのをみてなんとかせねばと思うのである。しかし、わたしがやきもきしても、人間がわたしの方を振り向いてくれないとわたしの永遠性と崇高な美を見失ってしまうのだ。わが永遠の生命の世界は「空」であるから、空からは桜の花よりもさらに華麗な美しさに富んだ花がちらちらと降ってきて、どこからともなく、モーツアルトやバッハに匹敵する不可思議な心を揺さぶる美しい音楽が鳴り響いてくる。わが永遠の生命の大地はかくも永遠で美しいのに、それと一枚になった物質の世界は地震や雷や津波や台風といった災害ばかりでなく、火事や戦争といった人災にもおびやかされいている。

ああ、人よ。永遠の生命を思い出してくれ。そこが人の故郷なのだということを忘れないで欲しい」
4哲学ルーム
(カラフルな服装をした多くの若い女とまじめそうでおとなしそうな十人ぐらいの若い男のいるルーム。そこへ所長と西森秀和が現れる。みなざわめく。)
N――私は自分が長いこと暖めてきた哲学を若いユースに語ることが出来るのだという期待感で胸が高鳴っていた。
所長――ええー、静かに。今日は石田コーチの代わりにここのルームの哲学を新しく担当することになった西森秀和さんを紹介します。彼は大学を優秀な成績で卒業され、三十二歳の若さで銀行の支店長になった方なのですが、突然 プログラムの基礎理論としての哲学の方向に情熱をそそぎたいということで、わが電気会社の研修所に勤務することになりました。
秀和――ええ、今ご紹介にあずかりました西森秀和です。よろしく。私が銀行を辞めてこちらの世界に飛び込みたいと思った理由の第一は、バブル崩壊後の銀行に失望したということもありますが、本当は青年時代から熱中していたことを本気でやってみようというぜいたくな気持ちからなのです。これからのコンピューター・グラフィツクには哲学が必要です。プログラムにもその基礎論として哲学が必要です。インターネットにも哲学があると、将来に対するビジョンが生まれます。ゲームも目標は芸術でしようから、オリジナルなものを創造するには哲学が必要です。つまり、独創的なアイデアといいますか、イメージを頭に描くには哲学が必要だということです。ですから、私はここに来たのです。私は学生時代から、哲学と芸術に深い関心を抱いていましたけれど、偶然 銀行という実務の社会に入り、最近マスコミで報道されていますように、腐っている部分を発見しそのままそこにいて、この腐っている部分と戦ってみるのも大切かと思いましたけれど、そういう勇気ある人は私の世代にも他に沢山いますし、むしろこれを機会に私個人としましては昔の夢を実現できれば素晴らしいという思いで、幸いなことにこちらの所長さんの許可を得られましたので、銀行を辞めました。
殊に皆さんのような若いユースを前にしていますと、ときめきを感じます。自然とは何か。人生とは何か。人生は意味があるのか。神がいるのかいないのかというのは私の学生時代からの関心事で、銀行員をやっている間も暇があると哲学の本ばかり読みふけっていました。そこで今日は、ソクラテスの有名な言葉である「汝自身を知れ」というお話から、自己とは何かというお話をしたいと思います。そのお話をする前に皆さんのご意見をうかがいたい。はい、そこの二番目の方。ソクラテスの言葉についてどう思いますか?
紀美子――あたし?自已とは何か。随分難しい質問ですねえ。(多くのユースが笑う。)
紀美子――あたしは明るくてちょっ美人で頭も悪くないと思うし、とても自分が恵まれていると思います、これが私のすべてです。そして、将来はコンピューターを駆使した芸術家になろうと思っています。
秀和――そうですか。それはどうも。実に可愛いらしいお嬢さんですね。(多くのユースがわあっと歓声をあげる。)
秀和――皆さん。皆 可愛いらしいですよ。
哲夫―― おれ達も可愛いって、言いたいのか。
正広 ――まさか。ひげをはやしたお前の様な奴が可愛いわけないだろ。
秀和―― どうです。あなたは。その窓側の三番目の方。
美恵――あたしは自分のこと、素晴らしい存在だと思っています。でも時々自分が醜く見えたり美しく見えたり、とても揺れているんです。
秀和――そうですか。どうもありがとう。それでは僕の考えを述べましょう。自己の本当の姿を知る一番良い方法は、自分のエゴをなくすことです。出来るだけ自分というものを忘れるようにすることです。そうすると不思議なことに、本当の自分があらわになってきて本当の目己を知ることが出来るようになります、本当の自分というのは、この我々の肉体をとっぱらって宇宙と一体になったものなのです。
紀美子――肉体ですって。恥ずかしいわ。西森コーチ。(ユース達が笑う。)
秀和――え、何ですか。いや、そんな意味ではないんです。
つまり、その、自分の身体をこわしてしまうのです。
正弘――コーチ、その身体というのは洋服を着ているのですかそれとも裸の?(ユースが笑う。女性ユースが「わあ、嫌だ」と言う。)
秀和――洋服を着ていても裸でもどちらでも良いのです。つまり、自分というものをなくしてしまうことが大切なのです。そうすると真実の目分が見えてくるのです。その真実の自分というのは宇宙と一体になっていて、自己と一体になった宇宙は虚空というようなものなのです。何もないが、実はその中で様々の美しい物質が躍動しているという矛盾した状態といえるかもしれません。
紀美子――コーチ、よく分からないわ。何もなくて美しい物質がある、分かったような分からないような。(ユース達が笑う。)
秀和―― つまり、虚空というのは、それ自体が一つの巨大な生命なのです。ということは、虚空にはいのちがあり自らの中に生命の運動があるということです。難しいですか。
紀美子――難しいですね。(ユースが笑う。)
秀和――そうですね。じゃ、こういったら分かるかな。真空というのは分かりますよね。あの何もない空間を真空と呼ぶことになっていることは、皆さんご存じかと思います。あの真空こそ本当の物質だということが現代の物理学によって分かってきたのですね、そして我々の目の前で見ている机と椅子とか窓の外の風景とかいうものは海の中の波のようなもの、水の泡のようなものです。つまり、無の深淵の中で生まれては消え、そしてまた、生まれるという創造作用が行なわれているということです。
紀美子――あら、じゃ、あたし達人間も泡のようなものということですの、コーチ。
秀和―――ええ、まあ、そういうことになりますかな。
紀美子―――この美しい乙女が泡ですって。何という悲劇。人生ってやっぱり悲劇ですのね。
(ユ−ス達が笑う。)
秀和――そして、宇宙と一体になった自己は虚空のようなものですから、死というものはありません。この虚空としての自己という視点に立つと、お釈迦様の言った天上天下唯我独尊という言葉がよく分かります。(黒板に天上天下唯我独尊と書く。)
秀和――つまり、虚空としての自己が肉体を持ち、悩み多いこの自分をつくるのです。この虚空としての自己を神様とか仏様と呼んでもいいですし、宇宙そのもの自然そのものと考えても良いのです。ですから、こうも言えます。宇宙が自分をつくり生かしてくださっているという風に。ここまで分かるかしら。山田紀美子さん。いかがです?
紀美子――はい。なんとなく分かります。要するに私という人間の本質は虚空であり、それはまるで神様のようなものであるということでしょう?(すごいという他のユースの声)
秀和――その通りです。よく理解してくれました。
紀美子――あたしって、頭いいのね。
友子――調子にのらないで。そのくらいならあたしにだって言えるわ。
紀美子――あら、そう。(そのひょうきんな言い方にユース達笑う。)
秀和――この虚空としての自己は、山田紀美子さんのおっしゃる通りカミのようなものです。私達はカミなのです。ただ、私はこういう時に漢字の神を使わずに、カタカナの「カミ」を使います。理由は難しい話になるので、別の機会にお話したいと思います。仏教では、カタカナの「カミ」のことを、すべての人に仏性が存在しているという風に表現しています。
友子――人間が神だなんてちょっと話が飛躍してないかしら。神様もトイレに行くのかしら?
絵美――人間ってもっと醜いんじゃない?ねえ、友子さん。
秀和――その通りです。つまり、こういうことです。虚空としての自己は「カミ」のようなものであるけども、それがつくりあげた肉体を持つ自分というのは醜いものをたくさん持っているということです。
絵美―――コーチって、肉体という言葉、随分お好きね。
友子―――本当にね。
秀和―――そうですか。どうも失礼。虚空から真空に進化します。真空は物質です。つまりそこには何もないということではなく、むしろ無限のエネルギーと素粒子と情報が混沌としてあるということです。ですけど、それを外から人間が観察しますと何もないように見えるのです。混沌としている物質がやがて秩序ある物質を創造していくというのは何という不思議でしょう。
紀美子――西森コーチ、一人で感激している。
秀和―― 分かるでしょう。
紀美子――分かりますわ。
秀和――虚空は物質ではありません。無我を経験したあとの究極の自己とでもいうものです。他人も自分と同じ虚空の表現なのです。インドでは われはブラウマンなり汝もブラウマンなり。ということが言われるそうですけど、このブラウマンを今まで説明してきた虚空とほぼ同じという風に理解しますと、すべての人間はブラウマンとしての虚空の表現となりますから、宇宙にあるのは自分一人です。他人というのはありません。他人も自分なのです。分かるかな?
紀美子――難しいけどおもしろいわ。
友子――そうするとコーチ、あたしと絵美は一心同体ということになるのかしら。
秀和―― そうですね。
絵美―― ということは、コーチとあたし達も一心同体になるわ。
友子―― わあ、すけべ。
絵美―― だって理屈通りに考えればそうなるわよ。
秀和――いいですか、一番最初に戻って今、僕達が考えているのはソクラテスの「汝自身を知れ」という言葉の内容ですよね。つまり目己とは何かということです。お釈迦様が天上天下唯我独尊と言われたように、この宇宙にはブラウマンとしての、あるいは虚空としての、あるいは真空としての自已しかないのです。これこそ、形なき永遠の生命そのもので、それが形をつくりあげる時に私達一人一人になるのです。
N―――私はこのようにして、ユース達と会話を進めながら輸廻の説明をし、人間が生まれては、死にまた生まれるという事実を説明しようと努力した。こうして私は最初にしては、淡い興奮と明朗な雰囲気のもとに話を進めることが出来、自信を得た。
そして、帰り道。またしてもあの美しい思い出がよみがえってきた。
ここは霊の世界
「そう、ここは霊の世界なんですよ」
私は若菜と一緒に土手をおり、迷路のようにくねくねとまがる細い道を歩き、広い道路に出るとそこから横道に入り、疲労を感じてきた頃 急にかなりの広場に出たのだった。
それはまるで天国が地上に舞いおりて来たかのように感じさせるほどの美しい光景だった。
広場の真ん中に、大きな柳が緑の枝もたわわにして、そのまわりに輪を描き手をつなぎあった、十人ほどの子供達を見おろしていた。
子供達は その柳のまわりをぐるぐるとゆっくりまわりながら、何か楽しそうに歌をうたっていた。おれはまぶしいものを見るようにその子供達の遊びをしばらくの間ながめていた。平凡な風景である筈なのに俺にはなぜか この光景が神秘的な感じとして心に焼き付いたのだった。俺はこの時 すべてのものに復活はあるというひらめきを感じた。
   
5喫茶店
(わりかし空いているため広く感じられる。夕日が窓のステンド・グラスに当たっている。石田コーチと西森秀和はコーヒーを飲みながら対面している。)
石田―――ところで、あなたはついこの間まで銀行の市店長だったそうですね。それにプログラムの基礎理論としての哲学をおつくりになったとか。凄いですね。だいたい普通の人はパソコンのプログラムと哲学を結びつけるなどということは考えませんよ。本にでもしたらいかがですか。
秀和―――本ということも考えていますけど、いずれ特許を取りたいという考えはあります。哲学を特許にするには理論にしなければなりませんし、プログラムという形にしなくては特許を取れないと思います。勿論、これは哲村電気の研究ということで、この研修所の仕事をしばらくやった後、研究所でやることになると思います。
石田―――そんな凄いプログラムなら、自分で特許になって独立した方が金になるのではないですか。
秀和―――いや、実を言うと、哲学の段階までは本に出来る程 頭の中はまとまっているのですけど、プログラムという形にするためには他のスタッフの応援も必要ですし、資金も多少いりますから、哲村電気で自由に研究やれといわれていますから、その方がのんびり創造的に仕事ができると思いまして。

石田―――哲村電気のエリートとして採用されたということですな。だいたいここの高卒の指導をする研修所のコーチというのは 団塊の世代の窓際族のたまり場なんですよ。よく、あなたの様なエリート採用の方がきましたな。不思議です。
秀和―――ええ、ですから、今は哲学の基礎論をがっちりかためる段階なのでこういう所でお話したほうが頭が整理されると思いまして、私自ら希望したんです。それに会社もそういう人材が欲しいという要求があったようです。プログラムも真理という所から発想する時代に入ったということです。
石田―――そうですか。私には真理よりも金の方が魅力ありますな。その、あなたの真理というのは ひとことで言うとなんですか?
秀和―――そうですね。虚空創造という言葉を発明してみたんですけど、私の今、到達した真理はそれですね。
石田―――虚空創造。真空妙有とか、真空創造ぐらいならなんとか仏教用語として聞いたことがあるような気がしますが、虚空創造というのは初めてです。
秀和―――その三つとも同じ様な感じの言葉と受け取っていいのではないですか
石田 ―――なるほど。それでその虚空創造という言葉をもう少し具体的に説明していただけませんか。
秀和―――つまり、大自然の本質は虚空の様なもので、これが真空に進化します。この真空が大変ダィナミックな創造的運動をして、我々の目の前にあるような様々の現象を引き起こし、森羅万象が誕生するのではないでしょうか。
石田―――なんとなく分かります。おもしろい考えですね。ところで話を変えますが、あなたは うちの所長をどう思われます?
秀和―――そうですね。来たばかりでまだよく分かりませんが、ちょっと管理的なことがお好きなようで。人間は悪くないが中味がないのに、威張りたがるというタイプでは。そして金には弱い。
石田―――ははあ。全くご名答です。あなたは鋭い。うちの所長は金儲けのことしか考えていない人物ですよ。お宅のおっしゃる通り、管理が大変好きでね。
N―――私はこのようにして石田コーチと一時間ばかり、よも山話をした。ちょっと孤高な感じがする彼に、私は親しみを感じるようになっていた。
 
コーチ室
(時計は十時半を指している。広い部屋には数人のコーチしかいない。秀和の近くでは、パソコンの操作を担当しているコーチ福田が、コーヒーをのんでいる。)
秀和―――福田コーチ、休憩ですか。
福田―――ええ、休憩なんです。やはり、自由時間を大切にしないといけませんな。ゆっくりコーヒーでも飲んでそれからおもむろに仕事をする。やはりこうしたゆとりの中からこそ真の文化を考える時間が生まれるというものですよ。特に我が社はパソコンメーカーですから、創造性が要求される。つまり、
アイデアですな。そうしたゆとりの精神もユース達に教えないと。とかくパソコンに夢中になると、視野が狭くなることがある、それはいけませんな。
秀和―――その通りだと思います。ところで。山本香織さんのことなんですが、いつもあんな風に元気ないんですか。
福田―――ああ、あの子ね。家庭が複雑なんですよ。本当は彼女。大学に行きたかった。それが急に就職となって、我が社に入ってきたので元気がないんじゃないですか。中々の才能がある子なので、大学に行きたかったんでしょう。
秀和―――家庭に 何があったのですか。
福田 ―――ええ、彼女の父親が経営している会社が倒産してしまったのですよ。かなりの借金をかかえているとかで、自宅と土地を売却して借金を返したようですが、前は広大な家に住んでいたのに今は安アパートに変わったでしょう。それだけでも、かなりショックだと思いますよ。会社の再建に努力しているようですが、借金がまだ数千万円残っているとかで中々うまくいっていないようです。あのような状態になると厳しいですよ。
秀和―――それは気の毒ですね。
福田―――中々ね。大変なお嬢さん育ちの女の子だからそんな風になったらシヨックで、どんな風になるやら私の方もこわい感じですな。
秀和―――ふうむ。なんとかしてあげたいですね。
福田―――会社の再建のめどさえつけば ね。でも、そうなると、彼女は哲村電気をやめて、大学に行くことになりますよ。中々いい子なので、わが社としては置いておきたいですしね。
秀和―――私に彼女の父親と会わしてくれませんか、
福田―――会ってどうするのです?
秀和―――私は銀行にいましたから、少しは役に立つ知識もありますので。
福田―――それじゃ、彼女の家の住所と電話番号をお教えしましょう。それと私の方から父親に電話を入れておくとしましよう。
秀和―――どうもすみません。
福田―――しかし、西森コーチ。あまり熱をあげるとお金が大変ですよ。
秀和―――え、それはどういう意味ですか。
福田―――あなたは独身でしょ。分かりますよ。彼女は美人ですし、ちょっと神秘的雰囲気すら漂わせていますからね。心をひかれても無理はありませんな。私も妻子がいなくてもう少し若ければぞっこんほれこんでしまうかもしれませんよ。
秀和―――いや。今はそんな気持ではないのですが。つまり、ただ心配だけなのです。
福田―――そうですか。ま、お好きなように。
N―――私は山本香織の憂いに満ちた細面の白い顔がどこか死んだ若菜に似ていると思った。それはあまりにも美しく、私の心の奥深くに忘れることの出来ない乙女の肖像として焼きついてしまっているようである。
 
ダイヤモンドルーム
(隅々まで清潔な感じ。部屋の中央に楕円形の大きなテーブルがあり、ユース達はその周りの椅子に座っている。テーブルの真ん中には大きな花瓶があり、そこには色々と華麗な花が見事に統一された形でいけられている。壁の下のカウンターには哲村電気製品のパソコンがずらりと並んでいる。秀和が入ってくると、多くの視線が秀和に集中するが、おしゃべりに夢中になっているユースもいる
秀和―――この部屋は名前も凄いが、綺麗な部屋ですね。ねえ、山本香織さん。
(秀和は 会社の研修内容の書いてある分厚い冊子をテーブルの上に置き、ぺージをパラパラめくる。沙織は秀和の指先を眺めている。)
沙織――― ええ、そうですね。コーチのネクタイも素敵ですね。
秀和――― ありがとう。ところで山本さん。
(ダイヤモンドルーム全体を見回す。彼は思わず微笑する。)
秀和―――さて、今日は歴史哲学か。歴史の中に不思議な現象があることをぜひ話しておきたい。人間の歴史にはルネサンスのようにたくさんの天才が続出する時期というものがあって、ある一時期と国に集中するのだ。十四世紀から十五世紀にかけてのイタリアには、ダンテやレオナルド・ダビンチそれからミケランジェロというような天才が出ている。他にも多数の天才を輩出している。日本では平安時代の中期に紫式部や清少納言のような女の天才が続出する時期があるね。最近では十九世紀のロシアに、プーシキンやトルストイそれにドストェフスキーとチェーホフというように、天才的な文豪がたくさん出ている。十八世紀のドイツではゲーテやべートーベン。こんな風にある国のある特定の時期に、たくさんの天才が続出するというのは不思議な現象なんだ。ルネサンスを学んで思うことは やはり、優れた文化を生み出すには、それなりの優れた社会の雰囲気が必要なのではないかということだ。優れた文化を生み出すという創造の営みは、天才一人で行なうわけではない。一人の天才が創造的行為を行なう時、その時代のあらゆる人々が手を貸すのだ。たとえばダンテが詩を書く時、裸で詩を書くわけではないよね。やはり、パンツもはいているだろうし洋服も着ている。
ユース達―――わあ。すけべ。
貴子―――コーチ。ダンテはメガネをかけていましたか。
秀和―――いや、よく知らないけど、ダンテはメガネをかけていなかったと思うよ。
貴子―――西森コーチのメガネは なんで鼻の下にずり落ちてくるのですか。
秀和―――おい、おい。村山さん。話のテーマと関係のない方向に話を持っていくなよ。まあ、それでね。一人の天才が洋服を着る時、これは当たり前の話なんだけど、洋服をつくってくれた多くの人々の助けを借りているのさ。それに、食べないで詩を書くことは出来ないから、ちゃんと食事もしたはずだ。となると当時のお百姓さんが、一生懸命に大地を耕して得た農作物が、加工されて彼の口の中に入っていったのだろう。詩を書くにもノートとペンが必要でしょう。
幸子―――机も必要だと思います。
秀和―――おお、そうだな。机も必要だよね。
貴子―――あら、椅子だって必要じゃないの。
秀和―――おお、そうだ。椅子も必要だよな。このようにして一人の天才詩人ダンテが『神曲』という素晴らしい詩をイタリア語で書いた時に、当時の多くの人々のお世話を受けている。まあ、こういうことなんだ。確かに、ダンテが『神曲』を書いた動機は色々ある。しかし、結局はその当時の文化的土壌というものがあってそれが彼にペンをとらせるのだ。彼が自分の生涯を振り返りながらペンを進める時、それまでに経験した様々の情報を巧みに役立てるだろう。創造作用は、まるでミキサーがいろんな野菜をくだいてしまうように、彼の経験した多くの情報を撹乱し、くだき、詩を書く際の栄養としてしまうのさ。そしてダンテは、この栄養を一つの方向に持っていく。美と哲学が、彼の頭に壮大な芸術的建築物をうちたてるのだ。それが詩となり『神曲』に結実する。とするならば、様々の惰報をダンテの頭につぎこんだものは、当時の社会ということになる。もう少し掘り下げてダンテという天才の創造作用について考えてみると、現在の物理学の知識を借りるならば、ダンテは真空から出来ているということになる。宗教哲学的に言うと、ダンテは虚空から出来ている。虚空と真空は微妙に違う。虚空はまさに虚空としかいいようがなく、物質ではない。真空は物質である。ちょっと難しいから解説すると、すべての物質は、原子から出来ているというのは皆さん、ご承知の通り。しかし、この原子たるや、原子核と電子で出来ているが、ほとんど空っぽの世界なのだそうだ。つまり、我々人間は原子で出来ているわけだから、ほとんど空っぽであり、大海に波が立つように、その波の部分が我々の目に見えるこの現象の世界なのだ。とするならば、ダンテは真空の中で揺れ動く波の部分で、詩を書いているということになる。つまり、ダンテが詩を書いているのではなくて、深い真空というか空そのものが詩を書いている。すべての宇宙の力は、ダンテのペンに集合し、美しい詩の世界があらわになる。これだけだと、ダンテは真空という物質の表現ということになってしまう。しかし、真空を創造しているのは 虚空という物質とは違うものである。
虚空には形とか大きさとか質量とか、一切の物質の要素はない。虚空はカミか仏の様なものです。
もう一度、復習すると、虚空が物質としての真空、それも最初は無に近いゆらぎとして現われ、それが得体の知れない深みの万能のエネルギーと、あらゆる法則と、情報の宝庫を創造する。そして、地球を生み、人間ダンテを生む。この様に、皆さんのような可愛らしい人も、私のようなハンサムな男も、結局、虚空の現れなのだ。
貴子―――自分のことハンサムだって。それにしても難しいわ。
秀和――― うん。なに。ちょっと話に酔ってしまったな。
貴子―――嫌だ。西森コーチ。昼間からお酒を飲んできたのじゃないでしよ。
秀和―――いや、そうじゃない。つまり、話に夢中になって話が難し過ぎる方向に向かってしまったということなんだ。話を易しくしよう。
それでダンテという天才は 形なき永遠の生命の海の波、それも巨大な波ということになる。その巨大な波はダンテの死後、現代に至っても我々現代人の中に押し寄せてきている。光が波と粒子の性質を持っているというのが現代科学の常識なのだが、人間も虚空の波であると同時に、肉体という粒子性を持っている。それ故にこそ、この肉体が滅びても波として歴史上の人物の行為は我々の生きる現代に押し寄せてくる。
8コーチ室
(一日の研修日程を終えて。狭い部屋に二人のコーチ)
石田――― 西森コーチ。噂で聞きましたけど、所長があなたのルームに突然入って来て、何か注意めいたことを言ったというのは本当ですか。
秀和――― ええ。本当です。なにしろ話が分かりにくかったから、しょうがないでしょ。
石田―――嫌な所長ですな。皆、やられているのですよ。私の所にはめったに来ませんがね。私がうるさいものでね。
(林コーチが気難しそうな顔をして入ってくる。)
石田―――しいっ! 所長の回し者が入ってきましたから、用心。用心。
―――最近の若者は、だらしないですな。ダイヤモンドルームにこんな週刊誌をおいていった奴がいる。誰だが分かりませんが、新入社員であることは間違いない。これを見てごらんなさい。
石田―――中身がひどいのでしょう。性と暴力、それがテーマなんでしょ。
林―――研修中にこんなものを読むなんて、度胸があるというか、あきれるというか。どちらにしてもコンピューター・グラフィックのプロになるにはあんな低俗な週刊誌を読んでいては駄目ですな。哲学すら取りいれているわが社の研修にこんなものを持ってくるとはなさけない。
石田――― しかし、この程度の週刊誌は害にはなりませんよ。彼等ももう二十才ですから、そのくらいの分別はありますよ。リラックスするのに読んでいるだけでしょうから。
林―――いや、それがいけない。そうした暖味な態度で、ユースに接していると、哲村電気の伝統ある高雅な雰囲気はどんどん崩れていきますよ。まず、コーチがしっかりしてもらわなくちゃ。
石田―――その辺は見解の相違ですな。
林――― 西森コーチ、いかがです? ルールを乱す見解をコーチが持つということは許されるのですかね。
秀和―――はあ、私はまだ新米でよく分からない点も多いのですが、ただ世の中には筋というか、正しい論理というものがあるかとも思います。
―――そう、そうだよね。正しい筋がある。
秀和―――はあ。私はこう思うのです。週刊誌を研修所に持ってこないというのは、何のためにそのようなルールがあるのかということから考えていかないといけないということです。そうすると、これは当然、芸術やグラフィックをマスターするのに邪魔になるからということでしょう。しかし、どの程度のものが邪魔になるのか、色々 意見の相違があるのが当然で、それを一本の見解で押しつけるのは民主的ではないと思うのです。やはり、ユースとコーチが話し合いをして、お互いに納得してルールを決めていくということが民主的なのでは。
石田 ―――その通りですよ。これは全く見解の相違でどちらかの意見が正しいと人に押しつける性質のものではない。
林―――しかし所長の経営方針、ひいては哲村電気の大枠としての研修方針が示されているでしょ。我々はその方針にそって仕事をするのではないですかな。
石田―――それは違いますなあ。
(ドアをたたく音)
石田―――誰だろ。どうぞ開けて下さい。
香織―――西森コーチがお呼びだということで来たのですけど。
秀和―――どこで話すかな。
石田―――相談室よりその横にある会議室の方がいいんじゃないですか。
秀和―――相談室は良くないですか?
石田―――ええ、あまりね。
林―――西森コーチ。所長の指示で、ユースと込み入った話をする時はコーチ室か相談室を使うことになっていることをご存じでしょうね。
秀和―――そういえば、先月の会議でそのようなことを言っていましたね。
林―――ええ。相談室は会議室の横に五つありますので、たいていどれか空いているはずですから、そこを使うようにした方がいいですよ。
(石田が西森の耳に口を近づけて小さな声で言った。)
石田―――あそこは気をっけた方がいいですよ。盗聴マィクがつけられていますから。でも今日は所長が二人そろって、午後から出張だから大丈夫かも。
(西森秀和はちょっとびっくりした表情をする。)
秀和―――分かりました。さて、香織さん。行きましょう。
(秀和と香織の二人は廊下に出る。)
香織―――お話って何ですの?
秀和―――うん。今、話すから。ところで君のうちは二人姉妹なのかね。
香織―――ええ。上に姉がいます。
秀和―――うん。沙織さんね。一度 会社の正門に来たのを偶然 僕が応対したものだから、君によく似ているね。男の兄弟はいないの。
香織―――ええ、おりません。父が随分ほしがったようですけど。
秀和―――その姉さんから聞いたんだけど、君は随分、読書好きなんだってね。今、トルストイを読んでいるとか。
香織―――ええ、アンナ・カレーニナを読み終わりました。研修を終えたら、戦争と平和を読みたいと思っていますの。
秀和―――あれは長いぞ。僕も昔読んだことがあるからね。ナポレオンがモスクワに攻めてくる時のロシアの雰囲気が生き生きと書かれているね。えーと、この廊下の向こうだったね。相談室は。
香織―――ええ、そうです。
秀和―――あ、これね。随分、立派な医務室だね。相談室もドアがしゃれている。中が見えるな。中も立派だ。どこも空いているようだが、右端のとするか。(医務室のドアをたたく)
岡崎―――はい、どうぞ。
秀和―――あの。相談室の鍵がほしいのですが。
岡崎――― 何号室のですか。
秀和―――ええと右端ですから五号室ですかな。
岡崎 ―――はい。どうぞ。(秀和は鍵を受け取る。)
秀和 ―――まるで立派な医院みたいですな。
岡崎 ―――ここは初めてですか。
秀和 ―――ええ。なにしろ大きなビルですから。コーチ室とルームの三箇所を行き来しているだけなので。
岡崎 ―――疲れた時はこのベッドでお休みになっても結構ですよ。もっともコーチ休憩室もありますから。でも、あそこはベッドがないのです。ソファーとステレオがあってちょっとした休憩にはなりますけど。
秀和 ―――どうも。
(秀和と香織は二人で相談室に入る。)
香織―――西森コーチ、この部屋は監視されているのよ。ご存じ?
秀和―――うん、向うの医務室からも見えるね。
香織―――そうじゃないの。相談室は盗聴マイクと監視カメラが据えつけられていて、ここでの出来事はすべて所長室に通じているの。
秀和 ―――え。随分と用心深いんだね。
香織 ―――コーチ室にもついているんですって。
秀和―――へえ。それは驚いた。休憩室もかい。
香織―――休憩室だけ、石田コーチの強力な反対でつけてないんですって。
秀和―――しかし、どうしてそんなことを君が知っているのかい?
香織―――うわさよ。姉から聞いたんです。姉は一度 この会社に勤めたことがあるんです。三年勤めて、やめましたけど。
秀和―――ふうむ。なるほどね。研修所の中のファシズムという感じがするね。今日は所長も出張でいないはずだけど、まあ一応 会話には気をつけて本論に入りましょう。
ところで、香織さん。君の家は、今色々と大変なんだって?
香織 ―――ええ、父の会社が倒産して。
秀和 ―――それで。お父さん。会社を再建するつもりかね。
香織――― ええ。あまり詳しいことはよく分からないのですけど、そのように努力しているようです。
秀和―――実はお父さんに会いたいのだが。福田コーチの方からお父さんに電話が入って、僕が会いたがっているという話は伝わっていると思うのだが。僕としては、君にもお願いしたいのだ。君の方から僕という人間がこんな男で、君のお父さんの会社再建になにかしらの援助をしたいと思っている旨を伝えてほしいのだ。
香織―――はい。色々、ご心配おかけします。
秀和――― 僕にそんなこと出来るかと思うかもしれないが、僕はついこの間まで銀行の支店長をやっていた男だ。法律知識の面などで何かの手助けが出来るかもしれない。それに少しは財産もある。場合によっては資金援助も考えている。
香織―――ええ。でも、どうしてそれほどまで親切にしてくださるのですか。
秀和 ―――君。そんな風に言われると困るのだが、君のことが心配なのさ。つまり、君の父親の経営する会社が倒産して借金だらけになり、君も君の姉も、才能があるのに、嫌な立場に追い込まれていると聞いたら放っておくわけにはいかんじゃないか。僕は人の困窮を黙って見ていることが出来ないたちでね。分かったかい。お父さんに伝えてくれたまえ。
香織 ―――はい。分かりました。そういうことでしたら父も大変喜ぶと思います。
一私は確かに彼女が好きであった。しかし、これは単なる同情なのか異性としての愛なのか自分でも判断に迷った。ともかくも、私は急に多額の金がほしくなったのである。私の脳裏に財産家の兄の顔が浮かんだ。
 
9古い木造アパートの一室
(秀和、兄に電話中。兄は豪邸に住んでいる。)
秀和―――兄さん、ちょっとお金を貸してほしいのだけど。
西森―――なんだい。お前には税金をとられても二千万円の金が残っていると思ったがね。
秀和―――うん、そうなんだが。今度、こちらの会社に勤めたので、長野に土地を買って、今は金は零なんですよ。ともかく、なるべく早い時機に一千万円ぐらい必要なんだ。
西森―――何に使うんだい?
秀和―――知り合いの女の子の親父が会社を倒産させてしまったんだ。借金が多くて会社の再建が難しいらしい。家と土地を売って、なんとか借金を返しているのだが、まだ返しきれないでかなりの額の借金が残っているのだそうだ。
西森―――そんな話、知るか。おれは慈善事業なんかに手を貸さんぞ。もともとすべてお前が勝手に選んだ道だ。銀行を辞める時も、おれはあれほど反対した。それなのにお前は耳を貸さずに辞めてしまった。金のことだって、おれはなるべく平等にと思っていた。それなのにお前はなにかとおれにたて突き、金なんかいらないと、ぬかしやがった。今さら何だ。
秀和―――分かったよ。兄さんには頼まない。
西森―――おい、そんなことでお母さんや佐和子の所に電話するなよ。心配するだろうからな。
秀和―――分かった。じゃ、切るよ。
西森―――ちょっと待った。お前はこの頃、変な趣味に凝っているようだな。
秀和―――変な趣味?どういうことですか。
西森―――この間、お前のことが気になって哲村電気の所長の所に電話して様子を聞いてみたのだよ。そしたら所長が言っていたぞ。やたらに難しい哲学めいたことを言うので、若い人が混乱しているとよ。虚空だとか真空だとか空だとか、やたらにこの三つの言葉を乱発しては、稻々としゃべるものだから、まるで牧師の説教みたいだってさ。やはり、パソコンのプログラムと関係づけた形で話するとか、インターネット哲学という形で話しすることを期待していたのにということで、少々不安になっているとか言っていたぞ。まあ、お前の信念をしゃべるのもいいけど、ほどほどにしないとな。お前の信念が大銀行のエリートの道を捨てさせたのだ。そうした信念には敬服するよ。しかし、これはちょっとした皮肉を込めているのだ。お前の信念が根本的に間違っているということもあるからな。虚空だとか真空だとか空だとか、そんなことは別にお前が得意になってしゃべらなくたって、すでに歴史上の偉人といわれる坊さん連中が説いてきたことだろう。しかし、そんなものはもう博物館行きだぜ。おれはそう思っている。まあ、どちらにしても、おれはお前の信念に干渉する気はないよ。しかし、その信念があるなら、今さら金がほしいなどと言わないでほしいな。
秀和―――兄さんは何も分かっていない。僕はプログラムの基礎論としてその序論という形で真理について、話しているわけです。宇宙にはただ一つの真理が存在している。世界にある優れた宗教や哲学はみかけは相当 違っていても、真理の核は同じである。人間はその真理を知り、その真理のために生きなくてはならないのだということを兄さんは知るべきです。
西森―――分かったよ。しかし、おれは後悔しない。人はパンのみにて生きるにあらず。しかし、パンも重要だぜ。ひょっとしたら一番重要なのはパンなのではないかな。パンと恋だな。お前も独身ばかり続けているから変てこな信念に突っ走るのだよ。嫁を真剣に探すというのならおれが探すぞ。いくらだっているさ。そう、そう、思い出した。いい娘がいる。年は二十六歳だ。保母さんをしているといっていたよ。中々可愛い娘だぞ。美人といってもいいくらいだ。性格も良いと思う。、
秀和――― いや、その話は当分のらないことにしているんです。
西森―――馬鹿なことを言うなよ。もう三十二歳だろ。三十二歳が独身としての限界だよ。そろそろ諦めて嫁さん探せよ。
秀和―――ハハハ。分かりました。いずれ結婚しますよ。じゃ、電話切りますね。
一私の心は兄に対する失望感でいっぱいだった。真理に対する熱情のない人間に絶望すら感じた。
 
10ゴッホを模写した油絵のある喫茶店
秀和―――ゴッホはいつ見てもいいですね。
石田―――そうですね。中々良い絵ですね。私は絵のことはよく分からないのですが、これはいいと思いますね。
秀和―――ゴッホの絵を見ていると随分発達したようにみえる科学も色あせて見えますよ。
石田―――そうですかねえ。ところで、この間の件はどうなりました?
秀和―――香織さんのことでしょう。
石田―――ええ。
秀和―――二千万円、無利子で貸しましたよ。返済期限はないも同然ですから、僕もようやくわずかの貯金を残して無一文になりました。これが僕の以前からの願いでした。僕はこれまで貧乏というものを知らなかった。何しろ、親父の財産は凄かった。全部合わせると七十億円にも達するという財産ですからね。僕は財産家の息子として、何不目由のない生活だった。しかし、僕は大学に入ってから、いつも真理とは何かということに悩まされつづけてきたのです。親父の強力な勧めもあって銀行員になったけど、僕の理想と現実は無茶苦茶な違いだった。僕は真理を知りたくて暇があると哲学書を読みふけり、なんらかの真理をつかめたと思ったのです。しかし、銀行でのエリートへの道と真理は矛盾する存在だった。僕は辞めたいと思ったけど、親父が生きている間は中々それは難しかった。そして親父が死に、わずかの財産をもらい、ここのコーチになることが僕にとって真理を実現する道だと思ったのです。そして、最後に残った金もユースのために使った。僕はこうして、天下晴れての無一文になった。貧乏になった。生まれて初めての貧乏。僕はこれで真理を体験出来ると思うと、うれしさでいっぱいなんですよ。
石田―――僕には全く理解出来ないな。貧乏になってうれしいなんて。君は貧乏の味を本当に知らないから、そんなのんきなことを言うのだよ。僕はずうっと貧乏だった。君の憧れている、その貧乏という恐ろしい病気に、僕は子供の頃からとりつかれていた。僕は子供の頃よく、ひもじい思いをしたし、満足な栄養もとれなかった。好きな本も買えなかった。みんな町の図書館で済ました。皆がピカピカの新しい自転車に乗っている時、僕はいつも中古の自転車しか手に入らなかった。そして今、十年にわたる月日を毎日、一生懸命働いても、給与はすべて家族に消えていくという次第。なにしろ住宅口ーンがあるからね。ともかくいつも金に追われている僕さ。君のような心境は全く分からないな。
秀和―――その貧乏のおかげで、あなたは真理に近付くことが出来た。
石田―――僕が?真理に。ははあ、何を指しているのかな。僕の信念については、まだ具体的に何も話していなかったと思うけど。
秀和―――いえ。あなたの言動を見ていて、あなたが真理に一番近い所で仕事をなさっているということが分かる。一番真理に近い所にいるから、あなたは孤高だ。他のコーチは所長の言いなりですからね。
石田―――真理ねえ。
秀和―――私が最近 考えている真理は「一顆明珠」です。
このことを考えていると、我々現代人の物の考え方にいかにニュートンの絶対時間とか絶対空間とか、デカルトの様に主観と客観という様な二元論そうした感覚に慣れてしまっているかということが分かります。例えば、海の向こうに大きなくじらが見えたとします。そのそばに船が小さく見えます。だが、我々は当然のこととして、くじらは巨大な生き物。そのそばの船もそばでみれば大きな物。こういう見方に慣れ、これはこれで一つの真理でもあるわけですが、宇宙の真理はこれだけではない、砂浜から見えるこうした風景と自己が一体になって、それが一つの珠の様な宇宙で、それは大きくもなく小さくもなく、そうした物質的な次元のものでなく、あえていえば霊的な一つの珠の様に美しい生命体というイメージです。こうした風景の見方もあるということですよ。この見方を「一顆明珠」というんです。。
たとえば 花を見る。その時 主観{自分}と客観{ }の対立はない。主客が分離していない状態で「花」が現れている。つまりこれが一顆明珠なんです。西洋哲学では直ぐに、主観{自分}と客観{ 花}の分離があって、主観が花を見ている。花は現象するがその花の本質は理性では分からない。西洋哲学では真理に近づくことはあっても、真理そのもの中に入り、味わうことは出来ないんです。
石田―――要するに、禅の考えでしょ。
秀和―――その通りです。
石田―――面白い考えとは思うが、全部 聞かないとまだまるで納得 できない。それとプログラムがどう関係するかということになると、皆目 見当がつかない。
秀和―――簡単な冊子にすることも考えています。
別の表現で言いますと、こういうことです。虚空を永遠の生命の本質としますと、生命は華を創造することがその本質なんです。華には秩序があり、美があります。一方、宇宙は 無秩序に向かう法則がある。例えば、机の上を放りっぱなしにしておけば、いずれ埃がたまり乱雑になっていく、整理整頓をしなければ仕事が不可能になるほど、時間のたつにつれ無秩序は進む。これに対して、生命は秩序をつくる知恵と創造エネルギ−がある。その結果、生命は自然界に華を咲かす。その最高傑作が人間でしょう。人間が外界から呼吸を取り入れ、酸素を取り入れエネルギ−とするのはそうした生命の本質によるのです。
それから自然界にはいわゆる沢山の花があり、昆虫が飛び回り、多くの動植物が生きて森羅万象が成り立っていることは周知の事実ですね。このように、生命は物ではなく、宇宙の法と意思と永遠性を備えたエネルギ−のごときものです。そのために、昔の人は生命に何か聖なる力を感じ、神とか仏とかいう最高の名称で呼んだのではないかと思われます。
だからこそ、西欧では「野の百合はいかにして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。されど我は言う、栄華を極めたるソロモン王だに、この花の一つほどにも着飾ることなかりき」と花の生命の結晶としての美をたたえているのではないでしょうか。                                           
 石田―――なるほど。                         
 秀和―――生命の本質は虚空です。物理学の用語を使えば、真空と言って良いものです。仏教的に言えば空とも言えるものです。私はこれを万物を創造する虚空と名づけております。この「虚空」が発展して、「真空」という科学が探求している最終の物質にまず進化するのです。しかし、これは顕微鏡でも望遠鏡でも観測することは出来ません。ただ理論上、この真空から何が飛び出てくるか、何を創造することが出来るかは、予測することは出来ます。また、実験的にこの真空から物質を取り出すことも出来ます。素粒子の海と呼ばれているこの真空こそ、物質の本質なのです。つまり、生命としての虚空は対象化して知ることは出来ない宗教的なものです。それに対して、冷静に虚空を見詰め、虚空とは何かという気持で対象化して眺めた時に、名づけられる科学的なものが「真空」です。どうです? 僕の説明で何か分かりにくい所でも。
石田―――虚空ですか。私は科学を信じるものだから、そういう宗教じみた話にはちょっとついていけない所があるのです。
秀和―――真空こそ本当の物質なんで、普通 物質と言われているようなものは真空の波、あるいは真空の仮の姿であって現象といわれるのです。
石田―――そうですか。おもしろい理屈ですね。真空こそ本当の物質だというわけですね。
まさにニューサイエンスですな。現代物理学と東洋哲学が大変よく似ているというので、その中で精神的安定をはかろうという、アメリカあたりで、はやりだした流行的な思想だと聞いていますがね。私はあまり賛成出来ない。そんな所で精神的安定をはかって自己満足しても、それほど意味があることなのか疑問に思われるのです。
秀和―――それは違う。老荘の教えにも道を知ることの大切さが説かれていますよね。万物を生み、万物を養っている無としかいいようのない道を知り、その不滅のエネルギーを持つ混沌未分の道と一体化することにより、人間は本当の自由を回復するのだと説いている。ニューサイエンスでいっている東洋哲学と物理学の類似性について語ることは、それなりの意味があると僕は思います。博物館行きと思われていた埃だらけの仏教や老荘の思想が現代物理学の光に当てられた時、一層その真理性を人々の目の前にあらわしたということは素晴らしいことです。如来ともいわれるこの虚空の永遠不滅の生命が宇宙を創造し、美しい地球をつくり、動物や植物を生み、やがて人間が誕生する。とするならば、公害や核戦争におびえる地球は病気になっているということです。この病気を治すことが今、切に求められているのです。
石田―――全く、公害と核戦争の脅威は現代文明の癌細胞ですな。放っておけば、どんどん増殖するばかり。反核運動や反公害運動はもっと盛り上がってもらいたいものです。
秀和一その通りです。私は銀行にいた頃からエントロピーの法則に興味をもって勉強し、そうした観点から会議などで随分発言したものですが、潮笑的な雰囲気になるのがいい所で、誰も耳を傾けようという者はおりませんでした。
石田―――エントロピーですか。随分難しい理屈でしょう。
秀和―――エントロピーというのは、でたらめさとか無秩序さの尺度と言われています。つまり、エントロピー増大の法則というのがこの宇宙の物質を動かしているというわけなのですが、つまり秩序ある物質は、無秩序なものに必ず変化していくというわけです。その中で生命とか機械とか文明というのは秩序をつくる。これはエントロピーを減少しようという働きなのですが、この働きの中で生命は汚物を、機械は廃棄物を、文明は消耗したエネルギーを、それぞれ周囲に吐き出していくというエントロピー処理をやっているわけです。このエントロピ−処理を無視すると今日のような公害間題が顕在化してくるというわけです。
石田―――なるほど。そのエントロピー増大の法則というのはいわゆる公害を含めて現代の欄熟した社会のすべての病的な現象にあてはまるようですな。
秀和―――そうです。ですから、私はエントロピー権という権利を確立して、このエントロピー増大について市民が行政に文句を言うことが出来、時には損害賠償を請求出来るという風にしたいのです。
石田―――それは賛成です。どうやら我々は何をなすべきか、行動の指針が見っかったようですな。
N一私は石田コーチと話しながら私の考えの中核が何であるか、頭の中で整理出来たような気がした。
要するに、宇宙にエントロピー増大の法則があるように、自然には秩序を創造する知恵がある。これを法といい、般若の知恵ともいうことがあるが、やはり現代風に言えば不滅の生命そのものが我々自然や人間それに動植物の秩序を維持し、不断の創造的な生命活動をおこなっているということですよ。これがプログラムの基礎論にくるというわけだ。
ところで、香織さんの家に二千万円を無利子で無期限に貸したことには全く後悔がなかった。そのことは石田コーチと話すことにより一層確かなものとなり、私はすがすがしい気持になっていたのである。{つづく
  音風祐介

karonv@hi-ho.ne.jp

【後書き―読み直して文章が粗削りなのに驚いた。このまま、ホームページに出すのは 読者に失礼かなとも思ったが、残念ながら 推敲する時間がない。色々な時間に追われ、最近はホームページに書く文章が少なくなっている。そんなあせりの中で掲載することにした。くどい文章や荒い文章はそんな訳でお許し願いたい】