最近の報道から感じること

ハンセン病についての報道を聞くにつれ、こんな差別と異常な隔離が今の日本にあつたのかと驚きを禁じえない。まず、この病気の治療方法が既に確立され、伝染力も弱く隔離する必要など全くないのに、最初に出来たままの法律を放置していたがために沢山の患者が何十年も差別と隔離に苦しまなければならなかった事実は報道されている通りであろうが、驚きを通り越して今の日本が色々な苦難にぶっかっているのはこういう所にも原因があるのではないかと思ってしまう。水俣病などの公害病も工場の海への水銀投与が原因とされ、患者に対して社会的な救済の手が差し伸べられるのに何十年もの月日がかかった。

日本人はあまり差別などしない国民だなどと言う声もあったが、過去のこういう大きな事例を見てくると、どうも怪しくなる。例えば、黒人が日本に来た場合などアメリカ人と思っている時はとても態度がいいが、アフリカ人と聞くと態度ががらりと変わる人が多いというのもたまに聞く話である。

それから、ハンセン病の患者を放置していたという不作為の罪という様なのはけっこう今の日本にも沢山あるのではないか。

例えば 子供の遊び場所がなく、親は家の中でテレビに夢中になっている子に対して「外は天気が良くて気持いい日なんだから、遊びに行っておいで」と言えないことである。車が多くて、いのちの危険性にさらされるからである。十才以下の子供を持っていて、こういう危険を感じない親がいるとしたら、その人は余程恵まれた場所に住んでいるか、あるいは余程のどかな田園地帯に住んでいるか、あるいは鈍感な人であると思う。この頃、親の幼児虐待が話題になっている。動物の世界を見ると、親は自分のいのちをかけて子供を守る。この間 見た映像では皇帝ペンギンがマイナス五十度の所でいかにして夫婦が協力して子供を育てるかという話で感動した。雌のペンギンが卵を産むと、直ぐに雄のペンギンの厚い皮に保護されて、雄は大切に卵を育てる。その間 雌は仲間と一緒に、離れた冷たい海にまで歩いて行き、海の中で魚などのえさを探し、それを雛のために胃の中に蓄える。そしてかなりの日数がたってから、雄の元に戻ると、雄はひなに与えるえさがなくなっているので胃壁の栄養物をあげてやせて待っているので、雌を見るとその喜びよう。そこで雌と選手交代という話で、最近の人間様の社会に起きている幼児虐待の話とはまるで違い、そういうことをする大人達に見てもらいたいテレビ番組だった。

勿論、幼児虐待も社会現象と言われる程なので、個人の問題もあろうが、大きく見ると社会の中の何か大きなひずみが人間の母親あるいは父親を心理的に追い込むのかもしれない。しかし、「子は宝」という万葉集の歌にもあつた時代から今まで、日本人の多くがそう思ってきた筈なのに、戦後のどのあたりからか知らないがともかく最近の現象は文明の危機とも言っても過言ではなかろう。

それに犯罪の多いこと。驚くばかり。少し前までは日本は世界一安全な国と言われていたのに。犯罪だけでなく、社会のリーダーとして活躍している人達の中に、まだ一部と思いたいが確かにモラルが退廃しているのも事実。

裁判官が破廉恥な罪で逮捕されて、首相が思わず「大人が悪い」と国会で答弁していたそうだが、ハンセン病の件にしても、多くの公害病にしても、不作為、無視、差別ということが長く続いたことを思えば、日本人の哲学・モラルを総点検して新しい哲学・モラルを早急に確立する様にせまられているのではないか。

まあ、あせるのはよくないが、良い動きもあちこちに芽生えているのは希望を抱かせる、今回のハンセン病の控訴断念もその一つの良い動きであろう。しかし、まだ良い動きに対する抵抗勢力は大きいことも事実である。アメリカで、銃がなくなれば犯罪は激減すると多くの人は分かっていても、大統領から民間人まで多くの人の努力があっても抵抗勢力が力強く、銃をしめだせないのと似ているのではないでしょうか。

人類は英知を持っている筈です。二度の大戦は人間の愚かさも証明しました。人間の英知とはまず、愚かさを知ることからその脱却を始めなければならないと思います。丁度、病人を健康に戻すには医者が的確に病状を把握して、その病気にあった薬を処方することが必要であるように。

人間の歴史を見てみればその英知が働いているのが分かる。江戸時代の身分制度は明治になって、市民平等になり、全ての人が教育を受ける機会を与えられるようになり、鳥の様に飛ぶ飛行機は今や何百人と乗せて地球狭しと飛びまわる。

しかし、一方で地球環境が破壊され、幼児虐待や犯罪が増加していくというのは理性の使い方に間違いがあるのではないか。つまり、人間には英知があるのだが、その英知を間違いに追いやる何かが、そんな風にしているのではないか。

価値観の上で、金銭至上主義をやめようではないか。昔の武士の生き方がいいとは思わないが、この点にかぎって言えば彼らは「武士は食わなど、高楊子」という今の日本人と別の価値観を持っていたことは確か。金銭至上主義というのは江戸時代で言えば商人の価値観だと思う。勿論、商人の重要性は学生時代に商法を学んだものとして大いに分かる。しかし、今はその価値観が日本中に蔓延してしまったということではないか。バブルの時はことにひどかった。

今や価値観を転換すべき時である。国会でも討論されたそうだが、日本を文化国家にすることが大切ではないだろうか。日本の歴史の中には世界に誇る文化遺産が沢山ある。その過去の伝統の中から新しい文化を創造していこうではないか。そのことによって、世界の人が日本に行ってみたい、日本で仕事をしてみたい、という魅力的な日本になる。この様に世界から信頼を受けるようになれば、それが又 平和につながるのではないか。太平洋戦争中 アメリカが京都・奈良を爆撃しなかつたことや、大戦の終わり近く、ヒットラーがパリを燃やせと命令したが、命令にそむいてパリを守ったドイツ軍司令官がいたという。この様な例でも、文化を愛する人達が色々な所にいるというのが分かると思う。

これからの日本は文化国家となるべきであろう。インターネットはその素晴らしい道具と思われるが、ごく一部の人の犯罪に至るまでの使い方を見ると、猫に小判と言われてしまうぞといわれても仕方がない使い方をしている人がいる一方、この文化と文化のつながりを大切にしている人達も大変多いということに希望が持てるではないか。

我々人間は神の似姿という西洋の詩人の言葉もあるし、お釈迦様の「すべてのものに仏性がある」という言葉に示されるようにその仏性を自覚できる人間の素晴らしさを今ここに認識して平和と愛と文化に向かって二十一世紀をより良き日本にしていこうではないか。

こういう呼びかけに返事をくれると嬉しいな。でも、多分独り言になるかもしれないな。

残念。

              音風祐介

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