空華の言葉の意味

  一般的には まぼろしの華という意味に受け取られ、かすんだ目で空中を仰ぐと、ちらちらと花があるように見えるが実際はないのであって、煩悩によって起こる妄想からそうしたまぼろしが見えるのだと解釈されるようだ。

しかし、言葉の本当の意味はもっと深いのである。そしてこのホームページで使っている「空華」という意味も深い意味で使われている。空に浮かぶ雲、美しい夕焼け空の様に一陣の風やわずかの時間で消え去るものばかりが「空華」ではない。山や川それに海、鉄筋コンクリートで出来た巨大なビルも実を言うと「空華」である。ここのところは 有名な般若心経に書かれている「色即是空」に符号する。つまり、あらゆる物は 実体がないのである。

と同時に「空華」というのが永遠の生命そのものであり、そこからあらゆる華が咲くのである。梅や桜や百合の花などありとあらゆる花が咲くばかりでなく、この「空華」から星も誕生し、地球も人類もありとあらゆるものが創造されてきたのだということを知らねばならない。

これが般若心経でいう「空即是色」の意味であろう。

もうすこし砕いていうと、我々人間が住んでいる世界は全て 実体がなく 夢幻のようであり、全てが移り変わる無常の世界であるが、ここで全てが空しいと考えては「空華」の意味の半分しか理解したことにしかならない。すべてのものは永遠の生命が変身したものであると考えると、地球も家も人間も植物も石も、はかない存在であると同時に本物の美しい花のようにそれ自体 生命を持ち なにものにもかえがたい尊厳を持っていることがわかる。この永遠の生命とは何か。まさにこのホームページで取り上げている「空華」

のことなのであるが、これを理屈で説明するよりも、我々は頭と身体全身で直感する方法を考えた方が良いのではなかろうか。これこそ、東洋で行われてきた座禅であり、西欧では瞑想といわれてきた方法である。

音風祐介