空華のための序曲

{ 音風祐介 作

1 壮麗なビルの中の一室

{一切は空でありながら、その「空」といういのちの中から森羅万象が現象してくる。最初の舞台になる、ある会社の重役室も、そうした「空」から飛び出てきた物といえよう。これを空華という。重役室のテ−ブルには 見事なバラの花が咲いている。これも空華である。 それからソファ−や椅子や書類やファックスやパソコンが整然と存在し、壁には絵がある。ヴェニスの運河に浮かぶゴンドラとその周囲の建物が描かれ、中心の東の空に太陽が沈まんとしている風景画だ。こうした物から、全ての名前を取り去った時に、それらの物がすべて空華であることが分かる。空華にはいのちがある。いのちがあるからこそ、創造の働きが生まれ、物が物として現象する。今、一輪の花も、一本の鉛筆も「空」といういのちの海から、生まれ存在を始めるのだ。そして、一つの物語も「空華」から始まる。

さて、今この重役室にまだ三十にはならないと思われる若く背の高い男が、中年の小柄な男と立ち話をしている。若い男は浅黒く俊敏そうな顔付きをしているが、その目の動きはどこか神経質そうである。石木文彦といい、この会社の大株主でもあり、次期社長をねらっている人物。中年の男は真面目な技術者風で柔和な表情をしている。彼は西山和夫といい、労働組合のリーダーであるが、文彦と親しい。)

文彦――― 何?この間の株主総会に変な坊主が現われたと?何だ、その坊主は。

西山――― それが実に変な男でして。出て来るなり、自分は坐禅をしてついに釈迦に近い悟りを得た

など と言い、それから、落ち着いた態度で、宇宙の真理である「永遠の世界」について手短に

説明する と、今度は会社の業務内容と法律理論をとうとうとしゃべりまくる。気ちがいか

と疑っても、話に論理性があり、頭脳の明晰さを感じますので、これは新手の総会屋なの

かと思ってみたりします。そして、暗に今の社長の秘密を知っているということを匂わせ

るのです。テレパシ−によって知ったなどと言っております。総務部長が金を握らせよう

かと悩んだようですが、商法で厳しく禁じられていますので、思いとどまったようです。

それに、彼の言動にはひどく清貧に甘んずるような所があり、ポーズだけかもしれません

が、金銭にはあまり執着しない態度をとっているようです。とすると、何が目的で、あの

怪僧はわが社の株式を集め、株主総会 に乗り込んで来るのか分からなくなります。

文彦――― 永遠の世界とは何だ。よく分からん。

西山 ――― 私もそういう方面はうといのですが、彼の言葉によると般若心経にある色即是空空即是色

と殆 ど 同じ意味なのだそうです。

文彦――― なるほどそういう意味なら分かる。それにしても、社長の秘密を知っているとは、どうい

うことなのだろう。妙なことを言う坊主だ。現社長は才能のある実務家だが、芸術を理解す

る男で はない。それがおれの気に入らない所だ。彼は実務家としては有能だが、未来を夢みる

アイデア が乏しい。おれはああいった連中からは、夢想家といわれて馬鹿にされることもあ

るが、おれが社長になるのが筋だったのではないか。先ごろ亡くなった父が、わが社の株の

三分の一を所有していたのだし、父が社長として示した経営手腕は優れたものだった。

その息子のおれが社長 になれなかったのはただ年が若すぎるという埋由だけだ。

そのことを除けば、おれのように芸術を愛する人間が、この会社のトップに立つことがむし

ろ望ましいのではないか。わが社のようにエレクトロニクスの準大手の会社では、この夢と

アイデアを持つ人物が社長になる必要があるのだ。

西山――― 本当にそう思います。

文彦――― 西山さん。その坊主に会わせてくれないか

西山――― お会いになるのは簡単ですが。決して好ましい人物のようにも思われませんので、あまり

お勧め出きません。頭は切れるが、どこか人をごまかすような所がある人物と見受けます。

文彦――― 分かった。そういう人物と思って会うことにしよう。ともかく、彼の言う「永遠の世界」

というの を彼の口から聞きたい。その坊主の所に明日、是が非でも連れて行ってくれ。

テレパシーを使うというのも興味がある。

西山 ――― 私はテレパシーなどというものは、まやかしという風に思っております。それが証拠に、

一流の科学者は 誰もこれを承認していないのです。

文彦 ―――いや、おれはそうは思わん。今の科学はまだ幼稚だ。もっと科学が発達すればテレパシー

も案外重要な自然現象だと分かるようになるかもしれない。ともかく、わが社の秘密を知っ

ている人物とあれば放っておくわけにはいくまい。会えるように手はずを整えてくれたまえ。

西山 ――― 承知しました。

2 永遠の世界を説く僧のいる寺院

{石木文彦と西山和夫が、いぶかしげに寺と教会が混在したような奇妙な建築物を眺めている。}

文彦―――なんだこれは?

西山―――キリスト教の十字架が屋根のてっぺんにあるかと思えば、仏教寺院のつくりでもある。私の

直感では宗教を商売にしているのでしょう。この庭と建物から判断すると、主なものは仏教で

すが、それも禅宗から浄土真宗、真言密教それに日蓮宗とあるだけでなく、キリスト教、

ヒンズー教と日本人には分かりにくいものまで取り入れられている。つまり、宗教のごった煮

ですよ。

文彦―――仏教はどうも禅宗が中心らしいな。玄関の前にある彫刻は、曹洞宗の開祖道元を彫ったもの

のようだ。

西山―――道元ですか。

文彦―――ほら、坐禅だけしていれば悟りが得られると、実に簡単なことを一方で言いながら、

正法眼蔵という難解な本を書いた鎌倉時代の坊さんだ。

西山―――私の勉強不足でしょうが、そうした教えはどうも神秘主義的な匂いがしてつい警戒してしま

います。食わず嫌いかもしれません。

文彦―――君の唯物論は、もう少し発展させればおもしろくなるのだがね。

西山―――はあ。

文彦―――まあ、ともかく。呼び鈴を鳴らしてみよう。

(呼び鈴の音が寺院の内外に響く。しばらくして戸が開けられ、僧が現われる。白場茂雄。年の頃六十歳前後。いが粟頭に鋭い目付きをしている。)

白場―――ようこそいらっしやいました。西山さん。お待ちしておりました。こちらのお若い方が石木

文彦さんですな。いつぞや写真で見たことがありますので分かります。初めまして。拙僧が

白場という永遠の世界を説く妙ちきりんな坊主ですわ。ハハハ。この間はお宅の株主総会に

乗り込んで行き、ちょっとどぎついことを申しまして御心配かけました。それというのも、

文彦さんのような聡明で感性の豊かな方が、社長になるチャンスを会社が逃したことが大変

残念でなりませんでしたので、ついお節介なことをしてしまいました。まあ、ともかく、

中へどうぞお入り下さい。

(広い応接室に通される。)

文彦―――永遠の世界とはどういう内容のものなのですか

白場―――つまりですな。世界にある偉大な宗教の本質はみな同じなのですわ。永遠のいのちの世界が

あるということです。フランスの詩人ランボーが詩にしていますよね。「見つかった! 何が?

永遠が。海と溶け合う太陽が」ってね。この時、ランボーは永遠のいのちを見つけたのですよ。

これが私の言う永遠の世界です。生半可に科学を知っている現代人は、この永遠のいのち

などというものは幻想に過ぎないと思っている人が多いのですけど、こういう世界がある

のですよ。私はね。現代物理学だって永遠のいのちの世界、つまり永遠の世界を見つけつつ

あると思っているのです。つまり、素粒子というのは、真空の中の場の振動状態だなんて何

かの本に書いてありましたけどね。おそらく、あの素粒子を生み出す場というのは、永遠の

いのちなんだと思いますよ。こんなこと言っている科学者も哲学者もおりませんけどね。私

は直感的に、場こそいのちだという風に信じているんですよ。もう少していねいに言います

と、無と無限を含む真空というのが永遠のいのち、つまり仏性であって、場はものを生み出

すエネルギーと情報の泉であるという風に考えているのです。人のすべての行為は、この場

という情報のテープの中にしまいこまれ、機会を見てDNAという形で飛び出してくるので

す。これを輪廻というのでしょう。私はここで情報理論と場の量子論を結びつければ、とて

つもなく素晴らしい科学が誕生すると思っているのです。どうです。分かりますか?

文彦――― おもしろいね。まあなんか分かったような分からないような感じだけど。真空の中の場が、

永遠のいのちにつながるなんて解説は、突飛で実におもしろい。どうだい?西山君。君の

哲学では、こうした考えは観念論という風に分類してしまうのかね。

西山――― 私には分かりかねますな。やっぱり永遠のいのちというのは、信仰の対象であってあまり

科学的ではないと思いますがね。

白場――― 西山さんは組合のリ−ダ−というから、多少 唯物論に影響されているのでしょう。

西山――― ええ、少しはね。真空の中の場が素粒子を創造するというのは、現代物理学で言われてい

ることで、そのことは知っています。しかし、場が情報の泉であるというのは初耳です。

そして、人の死によりその人の生前の行為が場に録画され、輪廻という形で次のDNAと

いう遣伝子を待つというのは話としてはおもしろいが、科学としては飛躍があるのでは。

白場―――そのアィデアは、大乗起信論というお経を読んでいる時に生まれたのですよ。つまり、

阿頼耶識という生滅の世界と永遠のいのちである如来蔵がある。そして、この阿頼耶識に

すべての人の行為は蓄えられていくという教えなのです。

文彦―――なるほど。お経か。その阿頼耶識の話は何かの本で読んだことがあるよ。しかし、それは

西山君のような立場から見ると、幻想のように思えるのではないかね。私個人としては、

おもしろいと思うが。

西山―――幻想というより、単なる物語として間いてしまいますね。

白場―――私の説では、科学は宇宙の大真理の公案なのですよ。単純な話で言うと、太陽は夕方 西に

沈むがやがて翌日東から昇るというのは人の死についても無言の教えがあるのです。我々は

それを読みとらねばならないのです。永遠の世界だって、我々が毎日生きていく平凡な事実

の中で発見できることなんです。

文彦―――しかし、私の今までの知識では永遠のいのちというのは目に見えないのではないですか。

白場―――その通りです。形もなく、どちらかというと無に近い。

西山――― 無などというものを議論するのは観念論者がよくやることだと思いますがね。

白場―――それがね。無の問題というのは東洋では当たり前の概念なんだが、西洋ではそんなに簡単ではない。しかし、最近 科学でも無の間題に挑戦するようになってきたのですよ。物質の本質が真空だというのは、現在では科学の常識になりつつあるんです。こういったことや宇宙の始まりがピッグバンによること、そしてそれは、無に由来するという説が提出されている昨今のことを考えてみて下さい。私は現代科学が発見した無を中心に、あらゆる宗教を統一出来ると考えているのです。で、私は、この無を単純なものではないと考えて、「永遠の世界」と呼ぷことにしているのです。この永遠は実質は無であっても、爛漫と咲く大輪の美しい花の様なものです。なぜなら、この無は生きているのです。生命があるのです。人間の目から見ると、とらえどころがなくいかなる科学的計器や数字に計量できるものではない形のないもの ですから、仮にこれを無と呼ぶだけです。そして、そこに幻の様に大きな花が咲くのです。生命が変身した姿ですから、花はあらゆるものになるんです。人間にも動物にも植物にも建物にも家具にも変身するのです。

道元はこの永遠のいのちを鏡にたとえましたが、これはまことに素晴らしい イメージです。宇宙は森羅万象が空無という鏡に映ることによって現象しているのです。この様にして現れた世界を永遠というのです。

文彦―――なるほどね。それでは永遠の世界とは「現象」という意味に似ていますな。ただ、気をつけて下さい。宗教のごった煮と誤解を受けますよ。

白場―――大分、口が悪いですな。ごった煮は、ひどいですよ。真理は一つなんです。ですから、当然あらゆる宗教も科学も統一されて、不思議はないのです。

文彦―――どうだい?西山さん。

西山―――おもしろいと思いますね。でもやはり永遠のいのちというのはよく分からないです。

文彦―――おれは永遠のいのちというのは分かるような気がするが、どうもそれが科学と結ぴつく所がぴんとこないな。まあ、いいや。白場さんの永遠の世界、勉強してみる価値は認めますわ。ところで、お宅はこの間、わが社の株主総会に乗り込んでこられた。その時の言動が少々気になりましてね。なにしろ、今お話なされた宗教哲学とこの言動がどうも結びつかない。納得するように説明して下さいな。

白場―――私の寺院にはなにしろ資金がない。寺の考えを知ってもらう雑誌も創刊号はかなり立派なものを発行したのだが今の所、第二号を出す資力がないのですわ。そこで、有力なパトロンが必要というわけです。

文彦―――ふふう。なるほど。それでわが社に目をつけたわけか。株主総会に乗り込んで会社の不正をあばくことをちらつかせてパトロンになってくれと。

白場―――そうです。なにも総会屋のようなことをやろうというのではない。もっとも、今度の商法改正でそれは出来ないはず。我々の主宰する雑誌にそちらの広告を載せていただきたいというわけです。

文彦―――なるほど。しかし、莫大な広告料をとるのでしょう。

白場―――莫大とはおおげさな。そちらのような大会社から見ればすずめの涙のような金ですよ。

文彦―――どんな雑誌なんだい。

白場―――お見せしましょう

(プルーの表紙がしてある、かなり厚手の雑誌を見せる。石木文彦はそれに目を通す。)

文彦―――ふうん。これは詩ですか。散文詩のような感じになっているが。

白場―――ええ、まあ現代詩といっても良いのですが私はこの寺院の新しい経典にしたいと思っているのです。

西山――― 経典ですか。これはおかしい。

白場――― そうでしょうな。あなたの感覚では、そうとられるのも無埋はない。しかし、私は

大真面目なんですよ。

文彦―――しかし、分からないな。なにもわが社がパトロンとして選ばれる理由が見当たらないのだが、

他の会社でも良いのでは。

白場――― それはそうです。それは色々理由があるのですが、私の息子で弁埋士をやっているのが、

一度お宅の会社から仕事をもらったこともあって、お宅の会社の内部事情を知ったというこ

ともあるのですよ。つまり、あなた方が知らない会社の秘密をちょっとしたことからつかん

だんですね。

文彦――― 秘密というとあまり世間に知られては困るような不正な事実ということでしょうかね。

白場――― その通りです。もう少しはっきり言いますと、お宅の会社の社長の不正ですよ。

西山――― 刑法にふれるようなものなのですな。

白場――― もちろんですよ。私は法律には疎いのですが、息子の話では特別背任というやつらしいですよ。

文彦――― 特別背任の内容をもう少し詳しく教えてほしい。

白場――― つまり、競争相手の会社に技術の重要な情報をもらしたということですよ。

文彦―――技術情報をもらしている。そんな馬鹿なことをするわけはないでしょう。

白場―――それがするんですよ。犯罪の影に女あり。女と金。この両方でお宅の会社の社長はつられたのですよ。この女をちょっとしたことで、私は知っているんですがね。中々の美人で頭も良い。年は二十八歳。名門の医大を出て英語とドイッ語はぺらぺら。そして科学にも強いときている。大乗電気専属の女医だ。こういう女を使って大乗電気はお宅の会社の社長の心を奪い、骨抜きにした上、技術情報をしゃべらせてしまう。この手口。このうまさ。この村川美樹という女医は中々の女ですよ。

文彦―――なんでそんな所に女医が出てくるのかね。

白場―――単純な女ではありませんからね。

文彦―――ふうむ、わからん。

白場―――ところで、石木文彦さん。この有力な情報は、あなたが社長になるのに大変プラスになるはず。わが息子である弁理士の白場和夫にぜひ会っていただき 彼に仕事を与えてやって下さい。和夫はSFを書き、知的所有権法を専門としています。役に立つ男ですよ。まだ独身で二十九歳。石木さんの良い相談相手になるのでは。

文彦―――なるほど。いずれお宅の息子さんに会いましょう。弁理士といえば、西山さんが研究している太陽電池、いずれ完成したら特許をとらねばなりませんから、息子さんが実力のある方であると思えば特許申請をお頼みすることになるかもしれません

白場―――それはありがたい。太陽電池ですか。変換効率の高いものなんですね。

西山―――そうです。その点では画期的なものです。石木文彦さんと共同研究しております。

文彦―――僕はほとんどタッチしていないのですよ。西山さんが五、六人の部下を使ってやっていることを僕が時々見物しているだけなんです。僕はむしろ、コンピュータアニメの方に興味を 持っているのでね。

西山―――石木文彦さんには太陽電池についても色々有益な助言をくださっているので、やはり石木さんとの共同研究という色彩が強いのですよ。

白場―――なるほど。ウィスキーの水割りでも、一杯飲みませんか?

文彦―――ええ、少し。

白場―――西山さんは?

西山―――ええ、少しなら。

(白場、ちょっと席をはずず。)

文彦―――来て良かった。中々おもしろい男だ。

西山―――そうですね。総会屋くずれかと思いましたら違うようですな。中々の哲学者です。最初は、

宗教を商売にしているいんちき教祖かと思いましたが。それにうちの社長の不正事実をつかめたというのは収穫ですな。

文彦―――そうだ。社長は確かに実務家としては有能な人物だろうが、芸術と哲学を理解出来ない男だ。あくまでも彼は実務家だ。しかし、わが社のトッブとしてはそれだけでは物足りない。優れた感性を持っていなければ、良いアィデアも生まれまい。ことにわが社は、エレクトロニクスを中核にした 準大手の電気会社。コンピュータに進出してソフトの重要性がさけばれている昨今は、頭の柔軟性と深い哲学に裏付けされた経営が求められているのだ。それがあの社長にはない。

西山―――石木さんが社長になるべきなのです。

(白場、ウイスキーとつまみをお盆にのせてやって来る。)

白場―――すまない。あいにく女手が一人もいない。それに息子も仕事で出ている。それでこんなものしかないけど。まあ、好きにやって下さい。

文彦―――ところで、先程の雑誌、いただいてもよろしいですかな。

白場―――どうぞ。どうぞ。

文彦―――発想がおもしろい。科学と法華経とか維摩経という様なお経の共通点を探ろうということなんでしょう。

白場―――その通りです。宗教を中核として科学知識をフルに活用して新しい詩を創造し、現代人に生きる力と指針を与えようという気持なのです。

西山――― ニューサイェンスと似ていますな。

白場―――ええ、まあね。

文彦―――あのアメリカあたりで流行しているやつか。東洋哲学と現代科学の最先端が到達した理論が、大変よく似ているとか言っていたな。

西山―――そうです。私はちょっと荒っぼい考えかと思いますがね。

文彦―――そうかね。僕はおもしろいと思うよ。

西山―――ええ、おもしろいことはおもしろいですけど、考えに厳密性が欠けるような気がします。つまり、現代物理学というのは最高の数学を使って、二千年来のピラミッド型の、みごとな学問の殿堂があるわけでしょう。それと、ただ直感的な言葉の羅列であるお経というのを同列視するのは、ちょっと行き過ぎなのではないかなと思うこともあるんです。でも本当を言ってよく分からないです。案外、ニューサイェンスの考えが的を射ているのかもしれませんから。そのへんはまだ勉強不足です。

文彦―――太陽電池の勉強し過ぎですよ。ところで白場さん、雑誌の内容は、あなた一人で今後もつくっていく予定なのですか?

白場―――いえ、そんな気持はありません。私ももう六十三歳ですからね。ですからこそ、多くの人の賛同を得、永遠の世界を育てていこうという方に集まっていただこうと思っているのです。

文彦―――なるほど、なるほど。私は文芸の才能はないけど金はありそうだというわけですな。

白場―――いえ。中々芸術の才能がおありだと聞いております。おまけに大会社の大株主であって、重役という要職も引き受けておられる。多分、お金の方も少しぐらいは工面していただけるかもしれないと、虫の良いことを考えるのは煩悩深い几夫の浅ましさというとこでしょうかな。そのへんはお許し願うとして、資金がほしいのは本当のことです。乾杯といきましょう。

3石木電気の社長室

(大柄な社長と小柄な専務が机をはさんで対談している。社長はゆったりしたソファー風の回転椅子に座り、専務は立っている。}

社長―――思えば、先代の石木社長が死んで、いまだその記憶は生々しい。二代目の社長として優れた手腕を発揮し、会社をこのような大企業に育ててきた立派な人だった。しかし、その息子の文彦さんはまだお若い。そうすればナンバー2として今まで実務上の指揮をとっていた私が、社長として采配をとるのはごく自然のことだと思う。そして君が専務だ。しっかり、やってくれたまえo

専務―――大乗電気との競争は厳しくなってきましたな。今回の音声が入力できるワーブロでは完全に先手を打たれました。しかし、わが社は幅が広い。ワープロだけでなく、今開発を急いでいる、かなり高度のアニメをつくることの出来るパソコン、それからロボット、そしてさらに、コンピュータ付き自動菜園と多角的です。大乗電気に負けるはずはありません。それにしても解せぬのは音声ワーブロの技術です。これもわが社がリードしていたはず。それが今回は決定的にやられた。一部には情報が大乗電気に流れたという噂もあります。

社長 ―――そういう噂は根も葉もないくだらないものだ。やはり、わが社のような大企業は堂々と勝負をすることが世間の信用となる。たまには新興の大乗電気に負けることも必要かもしれん。負けることによって向こうの戦略もよく分かる。

専務―――しかし、どうも腑に落ちません。今回のように、もともとわが社が秘かに開発していた技術とそっくりの技術で、大乗電気が特許をとってしまうとは。

社長―――君はつまらぬことに拘泥する。そういう神経質も時には必要だ。しかし、今は結局、害となる。ともかくも次の競争だ。特に、高度のアニメを描くことの出来る安価なパソコンの開発は、映像革命をもたらす重要なものだ。この点では誰にも負けはせんだろうな。

専務―――それはもう。

社長―――いつ待許をとるのだ。

専務―――はい。ニカ月後の五月でございます。

社長―――ところで、君は文彦さんをどう思うかね。

専務―――どう思うかと申しますと。

社長―――文彦さんは、西山君のやっている太陽電池にひどく関心を持っている。それならまだ良いのだが、時期尚早にも特許をとろうとしている。そして、この太陽電池の部門の担当重役を希望なさっているという話を聞いてはいないかい?

専務―――ええ、聞いておりません。公害法という本を出したから、てっきりそちらの方面ばかり勉強なさっているのかと思っていましたから。

社長―――彼は大変移り気なのだ。多方面に関心をお持ちなのは良いのだが、どうも焦点が定まらない。ま、それはそれとして太陽電池担当重役希望の件はどう思うかね。

専務―――まだお若いし、あの部門はわが社の今後の発展の鍵にもなる所ですから、もう少し経験の豊富な人の方が良いと思いますね。

社長―――君もそう思うかね。

専務―――はい。

社長―――ところで、今ここに文彦さんが来るよ。

専務―――何の用件でしょう。

社長―――僕が呼んだのだ。少々無断欠勤が多いので注意しておく必要があると思ってね。君も同席してくれたまえ。

専務―――確かに無断欠勤が多いですね。それに出勤する時間も十時とか十一時という風にまちまちですし、これは社員の士気にもかかわります。

社長―――その通りだ。うわさをすれば影とやら。来たようだ。

(ドアをノックする音。)

社長―――どうぞ。

ドアを開け中に入ってくる文彦。ちょっと陰うつな顔をしながら前に進む。そして専務の横の椅子にどさりと座る。)

文彦―――社長。何の用事ですかな。

社長―――文彦さん。あなたはかりにも重役。最近、無断欠勤が多いようですね。遅刻も多いそうだ。重役がそんな風では社員全体の士気にかかわるので慎んでいただきたいと思いましてね。

文彦―――また、小言か。

社長―――私は大切な会社を預かる身。文彦さんにも申し上げておきたいことを言うのは私の義務。あなたはそれにここの大株主でいらっしやる。

文彦―――それがどうした。おれは資本家でいることにもう飽きているのだ。おれは今に持っている株をすべて売り飛ぱしてやるさ。

社長―――お売りになるなら私に売ってほしい。

文彦―――あなたに?あなたはそんな金を持っているのかね。サラリーマン社長のあなたに何百億という金があるのかね?とても信じられんことだよ。たとえあなたにそれだけの金があったとしてもおれはあなたに売りたくないね。

社長―――しかし、そんなに大量のわが社の株を勝手に売られてしまうとわが社としても大変困る。それならいっそのこと売らないで、今まで通りわが社の大株主でいて下さい。その方がいい。

文彦―――あなたは私に社長を譲る気持はないのだね。

社長―――必要とあれば、いつでもお譲りしますがなにしろ文彦さんはまだお若い。これだけの大企業を運営するには、まだあと十年修業していただき、お任せ出来るという声が内外に強くなった時にお譲りするのが筋かと存じますが。

文彦―――分かった。わが社の診療所には女医はおかないのかね。大乗電気はおいているというではないか。

社長―――わが社には立派な小林先生がいらっしゃるではありませんか。

文彦―――大乗電気には年配の男の医者と若い女医の二人がいるでしょう。社員の精神的ストレス解消には、村川美樹という中々美人の女医が担当になっているらしい。わが社にもあんな爺さんだけでなく可愛いい女の子を雇ったらどうだい?

社長―――経費の無駄遣いです。

文彦―――私は村川美樹のような女医に珍てもらいたい。

社長―――どこかお悪いのですか。

文彦―――肉体は健康だがね。しがし、ストレスにやられている。

社長―――暴飲暴食では。

4会社のロビー

(石木文彦と西山和夫が立ち話している。)

文彦―――今、社長に呼ばれて無断欠勤が多いから注意してくれなんて小言を言われたよ。

西山―――それでどう御返事なさったんですか。

文彦―――はやく社長を譲れと言ってやったよ。

西山―――驚いた顔したでしょう

文彦―――おれに向かってあと十年修業しろと言いやがった。

西山―――そうですか。文彦さんもあまり無茶なことを言うと社長が警戒するから気を付けて下さい。それにちょっと顔色が悪いですよ。

文彦―――最近ちょっと疲れやすくてね。

西山―――それはよくありません。一度、医者に診ていただいては。

文彦―――村川美樹がいいな。

西山―――あの大乗電気の女医さんですか。確かに美人ですな。しかし、ああいう女は危ないですぞ。男をだますのがうまい。真面目そうでいて男を手玉に取る。肉体は美しい。しかし、精神はどうですかな。女医がいいというのであれば、何も村川美樹でなくても専務の娘で田島京子という女医が、銀座で旦那と一緒に医院を経営していますよ。彼女ならすぐ来てくれるでしょう。

文彦―――専務の娘は医者なのか。

西山―――ええ。すぐ来てくれる若い女医さんとなると、彼女が一番では。専務は経営者の中では抜群に性格の良い人ですから、その娘とあれば文彦さんの身体のことを親身になって診察してくれると思いますよ。

文彦―――しかし、彼は最近、社長にべったりだぞ。

西山―――気が弱いんですよ。ですから社長には表面的に調子を合わせるのです。時には追従も言う。しかし、彼は人が良過ぎるし、統率力がないから社長にはなれないでしょう。社長になろうという野心がないから、現社長に味方するようなふりをしていても内心はもっと別なことを考えていますよ。

文彦―――そうかね。その田島京子という女医は美人か。

西山―――若くて美人ですよ。ただし、もう旦那がいるのが、少々残念ですがね。旦那はアメリカで研修してきた医学博士だそうです。

文彦―――彼女の専門は内科なのかね。

西山―――ええ、そうだと思います。

文彦―――それでは君の方で彼女に連絡をつけてくれるかい。

西山―――よろしいでしょう。

文彦―――しかし、おれの家に来てくれというようなわがまま、聞き入れてくれるかな。

西山―――大丈夫ですよ。文彦さんは大会社の重役。それにハンサムで切れ者。若くして本を出し、金もあるともなれば来るんじやないですか。

文彦―――皮肉か。

西山―――半分はそのつもりです

文彦―――まいるな、君には。

西山―――私は理想主義者ですがら、あなたのようなドンキホーテ的人物が好きなのです。

文彦――― 俺は金なんか捨ててしまいたいんだ。

西山―――そういう、もったいないことは言わないで組合の資金にでも回して下さいよ。

文彦―――ハハハ

西山―――ところで弁理士の白場和夫さんにはいつお会いになるつもりで?

文彦―――早い方がいいだろう。

西山―――社長の特別背任の事実、何か証拠でも握っているのでしょうかね。

文彦―――社長が大乗電気に技術情報を流したのはおそらく口頭だろう。だから証拠なんかないと思うね。村川美樹は頭がいいようだから、口頭でも高度の技術の内容を理解しスパイの役割を果たしたのだろう。

西山――― そうかもしれませんね。しかし、証拠がないにしても、やはり白場和夫さんから直接、話を聞けば、もう少し詳しいことが分かるかもしれませんね。

文彦―――そうだな。一緒に行ってみるか。

西山―――ええ

{つづく}

{参考に}この物語で永遠を説く僧は「空華」の立場から言えば抽象的な概念にしがみついてい

るように思われます。悟りには遠いのに悟ったという間違いをおかしている可能性が

あるようです。そこで、真実に「空華」を説く人物の登場が待たれるわけです。

音風祐介