京都市交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、広島交響楽団等で客演を重ね、'91年に大阪シンフォニカー交響楽団指揮者に就任。協奏曲のエキスパートとして定評が高く、園田高弘賞ピアノコンクールの本選会でも審査委員諸氏から多大な信頼を得た。
オペラ指揮者として全国的に活躍、'94年にはアメリカのソルグオペラハウス、ホワイトウォーターオペラで指揮。大阪シンフォニカーで、自らの企画・構成による演奏会形式のオペラ上演にも情熱を注ぎ、'99年2月「蝶々夫人」のミラノ初演版を関西で初演、翌年11月に改訂再演し大阪文化祭賞本賞を受賞。'94年から'99年、大阪音大カレッジ・オペラハウスの専任合唱指揮者として、「金閣寺」をはじめとする数々の公演をサポート。現在、新国立劇場、二期会をはじめ、全国のオペラ団体と関係を持つ。