義経街道を歩く

河内町には昔、奥州へと続く道がたくさんあったそうです。 今でも新幹線、国道4号線、東北本線など多くの道がありますが鬼怒川を渡る大切な地域であることは今も昔も変わりません。 古道のひとつ義経が鎌倉へ上ったとされる「義経街道」を歩いてみました。 多くの場所は造成されていて変わり果てていますが歩いてみるとしっかりと昔の路跡をたどることができました。 ノンビリと町の歴史に触れてみました。

最初に訪れたのは高尾神社古墳です。裏側に古道があります。
この古墳前を明治時代には東北本線が走っていたそうですが鬼怒川の鉄橋が何度も流され現在の線路に変更したのだそうです。
こんな街道を義経は歩いたと思われます。 昔は湧き水が街道の傍にいくつもあったそうです。

街道の傍にはあやめなど春の野花が咲いていました。
ここは大塚新田古墳跡、ミジメに土木工事されていましたが出土された馬具の埋蔵物は上野国立博物館に収蔵されているそうです。
こんな林の中にも道がありました。義経の時代は殆どがこんな道だったんでしょうネ。 馬と馬車が往くだけですから、広い道はいらなかったんです。

ここは義経が一晩宿泊したといわれる了善寺跡です。
上は瀞精丸棒といわれる子孫繁栄、夫婦円満のアノ形をした木材製のお守り。
左は彫刻屋台、日光東照宮の伝統を引き継いだ立派な彫刻がすごい。

今回はここが終点でした。