岩岸くんはお年頃♪

ぼたこ


 名探偵の岩岸くんは清潔好きで潔癖症。だから、汗臭いのが大嫌い。
 汗臭い体臭を嗅ぐのも嫌。汗臭い体育会系の筋肉むきむき男の汗でテカった額なんて、見るのも嫌。ましてや、自分が汗臭くなるなんてこれっぽっちも我慢できない。だから、岩岸くんは、みんなに秘密で清潔グッズを持ち歩いている。

 今は夏。日本の湿った夏。汗をだらだらかく嫌な夏。
 岩岸くんは、自分の臭いをくんくん嗅いで、そろそろ清潔グッズの時間かな、とカバンをごそごそした。その時だった、ある女の子の聞きなれた悲鳴が、岩岸くんに届いた。
「おっ。事件か?」
 岩岸くんは事件が大好き。三度の紅茶よりも、三つのショパンのエチュードよりも、三人のファンの女の子よりも、やっぱり事件が好き。だから岩岸くんは、事件も臭いで分かる。これは事件だ。


「きゃ〜。どろぼー! 返せー」
 今日も元気印の香澄ちゃん。サンダル脱ぎ捨てて片手に持ったまま、バタバタと走る香澄ちゃん。料理の真っ最中だったのか、長い髪を振り乱して、包丁片手に走るちょっと危ない香澄ちゃん。実は、香澄ちゃんは《名探偵岩岸正ファンクラブ》の一人で、イベント企画の担当。つまり、お祭り屋さんなのだ。だから、いつもにぎやか。

 どーん★〃

 犯人と思しき黒い影が、岩岸くんに体当たりした。岩岸くん、体力には自信がない。犯人の激しい頭突きをまともにくらって、岩岸くん、完全にグロッキー。犯人は、倒れた岩岸くんをそのまま土足で踏みつけにすると、更に逃走。
「きゃ〜。岩岸さん、大丈夫ですか?」
 目がバッテンになっていた岩岸くんは、香澄ちゃんに起こされて、やっと意識を回復した。そこで、自分の右手に、とあるシロモノを見た岩岸くん。

 ショックのあまり、鼻血出して、もう一回失神。

 ちょうどその時『香澄ちゃんがまた包丁持って暴れている』というご近所からの通報を受けて、玲子ちゃんと沙貴ちゃんが、岩岸くんの失神現場に到着した。
 ちなみに、玲子ちゃんは仕切り屋さんで《名探偵岩岸正ファンクラブ》の名実ともに会長。ファンクラブの活動から、岩岸くんに報告すべき事件の選別まで行っていて、全てにわたり、大ナタ振るって仕切っている。女の子にはモテモテで、実は玲子ちゃん宛ての女の子のファンレター、かなり数が多い。
 それに対して沙貴ちゃんは、クラスの男の子の一番人気。目も胸も大きい《ふんわり&ぽっちゃり》のアイドル系。本当は読書好きで頭がいいはずなのに、鈍い、とろい、ズレている、の三拍子揃い。そのせいで、本人は無自覚だけど、泣かせた男の子は数知れず。そのため《名探偵岩岸正ファンクラブ》では、ただのマスコットガール。第一、沙貴ちゃんに任せられる仕事なんて、最初から一つも無い。
「ちょっと、香澄、どうしたの?」
 まず、会長らしく玲子ちゃんが岩岸くんの状況を細かくチェックする。
「どうして、岩岸さんが、女の子の下着掴んだまま鼻血出して失神しているわけ?」
 そう、岩岸くんを失神させたモノ、つまり、岩岸くんが右手で掴んでいたモノ、それは女の子の可愛い下着だった。
 岩岸くんは、お年頃。
 そして、岩岸くんはうぶなのだ。
 下着を掴んだまま鼻血出して失神している岩岸くんを、呆然と見守っている玲子ちゃんと沙貴ちゃん。それを見た香澄ちゃんは、ロングヘアをさっと肩越しに振り払うと、いきなり仁王立ちをした。そして、手の甲を口に寄せると、突然の高笑い。
「お〜ほっほっほっほ。それ、私の買ったんばかりのおニューよ。玲子も沙貴ちゃんもこれでよ〜っく分かったでしょ。実は岩岸さん、私のことが一番好きだったのよ」
 白いリボンのポニーテールが目印の鈍い沙貴ちゃんが、珍しく目をぱちくりさせて口を挟んだ。
「うそ。岩岸さんが下着ドロボーするなんて信じられない」
 沙貴ちゃんは鋭い。とろいけれど、直感だけは冴えている。岩岸くんは本当に盗んではいなかった。岩岸くんは、ただ下着ドロボーが盗んだ下着をなぜか倒れたはずみに掴まされただけだったのだ。でも、沙貴ちゃんは、更にぼそっと一言。
「でも、もしそうなら、どうして私のを盗んでくれないのよ」
 沙貴ちゃん、本当にそれでいいのか。
 勝手に落ちこむ沙貴ちゃんを無視して、仕切り屋玲子ちゃんは、失神中の岩岸くんを更にチェックした。
「この岩岸さんを踏みつけた、人間離れした土足は何?」
 香澄ちゃん、一瞬返事に詰まる。
 玲子ちゃん、それを見て勝利の雄叫びをあげた。
「はは〜ん。なるほどね。分かった。この土足が本当の香澄の下着ドロボーの正体ね。で、岩岸さんはその下着ドロボーを懲らしめようと、下着ドロボーの前に危険を顧みず立ちはだかった。そして、自ら鼻血を出しながらの激闘の末、なんとか下着ドロボーから香澄の下着を取り返してくれた。でも、そこで、岩岸さんは力尽きた・・・ま、仕方ないわよね。岩岸さんは頭脳派だもん。頭脳では犯人に負けるわけ無いけど、体力では犯人にかなわないこともあるわよ」
 玲子ちゃん、香澄ちゃん、沙貴ちゃんの三人娘、失神したままの岩岸くんの健闘を称えて一斉に拍手。
 こうして、クラス委員長で岩岸ファンクラブの会長である頭脳明晰な玲子ちゃんのおかげで、香澄ちゃんの下着を掴んで仰向けにひっくりかえって失神しているという情けない格好でも、やっぱり岩岸くんは英雄になった。さすが、名探偵の岩岸くん。

「あ。目が覚めた」
 岩岸くん、今度は失神しなかった。右手がからっぽになっていたからだ。拍手されている理由も知らないかった。それでも岩岸くんは、なんとなくいつもの静かな微笑みを浮かべて、にこやかに手を振って立ちあがった。そして、身体の埃を払った。
 岩岸くんは落ちついた様子で、とりあえず散乱したカバンの中身を拾い上げる。
 いろんな清潔グッズは、身も心も下着ドロボーに汚されてしまった。岩岸くん、今日はもう使えない。
「はっ。もしかして」
 でも、そのうちあることに気がついて、岩岸くんは固まった。一つ、大事な清潔グッズがなくなっていた。岩岸くん、大事なものを盗まれてしまった。岩岸くんは『盗まれたら取り返す。それができなければ名探偵の面目に関わる』と固く決心した。
「この足跡を追跡しなくては・・・」
 岩岸くんは、注意深く自分を踏みつけた人間離れした土足を検分した。犯人は、岩岸くんと違ってかなり汚いらしく、泥の足跡がしっかり残っている。
「この人間離れした足跡は・・・恐らく牛・・・そして、犯人は牛に乗って逃走したものを思われる・・・」
 犯人は闘牛士でスペイン人か。
 足跡をつけることにした岩岸くんは、じっくりと道路の付着物を調べて少しずつ進んでいった。
 こうして岩岸くんは、自分が盗まれたモノを取り返すために、もう一度立ち上がったのだ。
 しばらく岩岸くんの様子を見つめていた、岩岸ファンクラブの三人、玲子ちゃんと香澄ちゃんと沙貴ちゃん。
「もしかして、香澄の下着ドロボーを逮捕しないことには、この事件は解決しないと考えて、危険を顧みず凶暴な犯人のアジトを探し当てるべく捜査を開始したの?」
 状況から、岩岸くんの行動を好意的に分析する玲子ちゃん。
「そっか〜、やっぱり私のこと、心配してくれたのね〜。私の下着を盗んだ不届き者を逮捕しないことには、岩岸さん、私のことが心配で心配で、食事も喉を通らず夜も眠れないのね」
 何でも自分を中心に据えて『自分こそ岩岸さんに愛されている』と都合よく解釈する香澄ちゃん。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 そして、幸せそうな顔をして実は何も考えてない沙貴ちゃん。
 岩岸ファンクラブの三人娘は、岩岸くんが面白そうな捜査を開始したので、それぞれの思惑と野次馬根性で、ついていくことに決めたのだ。

「足跡はここで途絶えている」
 岩岸くんと三人娘がたどり着いたのは、ある野原だった。それも、いかにもアジトがありそうな草茫々の野っ原である。
「足跡がここで突然消えているなんて、犯人はここでいったい何を・・・」
 そう呟きながら、岩岸くんは足跡の先に一歩踏み出した。

 どーん★〃

 岩岸くんが突然消えた。
 いや、正確には、落ちた。

「これって、犯人が掘った穴?」
 三人娘は、岩岸くんを吸いこんだ穴を覗きこんだ。暗いて底が見えない。それほど深い落とし穴だった。
「もしかして岩岸さん、犯人の罠にはまっちゃったの? そして、とうとう落とし穴に落ちたの。岩岸さん、私のためにこんな大変なことに巻きこまれちゃったなんて、ああ、私ってなんて罪深い女」
 香澄ちゃんは、岩岸くんを心配そうに見守りつつ、やっぱり自分に酔っている。
「違うわよ。岩岸さんは『犯人のアジトはこの穴の中にある』という事実を付きとめたのよ。そして、危険を顧みず、単身自らこのアジトに潜入したのよ」
 玲子ちゃんは、岩岸くんの行動が全て事件解決への糸口に繋がると、かたくなに信じている。
「アジトって、こんな野原じゃなくって、川辺や湖にあるものじゃなかったっけ?」
 沙貴ちゃん、それはアジロ(=網代)

 三人娘は、ここで岩岸くん一人を凶悪犯対決の危険にさらすのは、ファンクラブの面目に関わるとばかり、落とし穴に落ちることを決意した。

 どーん★〃
 どーん★〃
 どーん★〃

 ぐえっ。

 三人娘は、落とし穴の中に落ちたまま失神している岩岸くんの真上に、次々と加速度Gで垂直落下。
「何だか、ついさっきまで死んだおばあ様に会っていたような気がする・・・」
 それが、落とし穴で目覚めた岩岸くんの第一声だった。

 穴の中をずんずん進む岩岸くんと三人娘。本当にアジトだったのか、落とし穴から下方に階段状の道が続いていた。
 この穴は恐ろしく広い、そして、臭い。
 岩岸くんは、早く犯人からあの清潔グッズを取り返して、この穴から出たかった。三人娘もいよいよ犯人のアジト襲撃を体験するのだと、わくわくしながら岩岸くんの後をついていった。すると、あっけないほど簡単に、開けた明るい広間に出た。

 んも〜〜〜〜〜〜〜〜。

 結局、犯人のアジトは思ったより狭かった。そして、犯人はそこで逃げも隠れもしていなかった。たどり着いた大きな広間には、やっぱり牛がいた。臭い原因はやっぱり牛だった。そして、岩岸くんの予想通り、犯人は牛に乗って逃走できる人だった。いや、正確には、牛飼いだった。
「え? この七夕の飾りと変ちくりんな衣装・・・」
 犯人は平安朝か中国の唐王朝かというような時代がかった古い貴公子の服を着ていた上、信じられないほど真っ白な顔をしていた。岩岸くんは、恐る恐る聞いた。
「まさかと思うけど、もしかして、キミは空の彼方からやって来た彦星くん?」
 牛に乗っていた下着ドロボーが神妙に肯いた。岩岸くんが見つけた犯人は、異星人だった。

 彦星は牛に乗ったまま、涙ながらに謝った。
「ごめんなさい。もうすぐ一年ぶりで、彼女に会えるのに、ボク、大事にしていた彼女へのプレゼントを、燃料補給で立ち寄ったこの星で無くしてしまったんです。それで途方に暮れていたら、ちょうど彼女の喜びそうなものがあったので、ちょっと拝借しちゃおうかな、ともらっちゃったんです」
「ちょっと、それじゃまるで私が快くあげたみたいじゃない。冗談じゃないわよ。私はあげるなんて一言も言ってないわよ」
 『もらっちゃった』という言葉を聞いて、香澄ちゃんはちょっと反抗した。
「す・・・すみません。でも、そのうち、そちらの男性が彼女のプレゼントになりそうなもっといいモノを持っていたのを見つけました。それで、その男性にこっそりお返しして、別のモノを頂いちゃったんです。でも、こちらも『頂戴』って言わずに勝手にもらっちゃいました。すみません。やっぱりお返しします」
 申し訳なさそうに頭を下げた彦星は、牛から飛び下りると、背負わせた麻袋から盗んだ岩岸くんの清潔グッズを返そうとした。
 それを見た岩岸くんは、珍しく慌てた。
「いや、もういいですよ。彦星さん。どうぞもらってください。そういう事情でしたら、そして、お役に立てるのでしたら、喜んで差し上げます」
 それを聞いた彦星は、心から喜んだ顔をして、何度も岩岸くんと三人娘に頭を下げた。
「本当にいいんですか? ありがとうございます。こちらの品は、きっと彼女が気に入ってくれると思うんです。彼女はきっと大事にしてくれると思います」
 こうしてお礼を言った彦星は『お礼がしたいので』と言い残すと突然、その穴から消えた。どうやら、別の時空に飛び立っていったらしい。なんとその穴は、別の時空に通じている異星人の中継ステーションになっていたのだ。
 やがて戻ってきた彦星は、岩岸くんの清潔グッズのプレゼントのお礼として、天の羽衣をプレゼントしてくれた。
 でも、三人娘はその使い方を知らなかった。

 彦星に穴から出してもらった三人娘と岩岸くんは、空を見上げて、彦星が天の川に飛んでいくのを、仲良く手を振って見送った。そして、岩岸くんと三人娘は、そこでお別れした。
 三人娘は、夕暮れの道をとぼとぼと疲れた足取りで帰っていく。
「いいことしたよね、私達も。彦星とその彼女、今夜は幸せいっぱいかな」
 と香澄ちゃん。でも、香澄ちゃんが彦星に対してしたことといえば、包丁持って追い駆け回したというはた迷惑な行為だけだった。
「でも、岩岸さんってすごいわ。人間以外の犯人まで見つけちゃうんだもん。正真正銘の名探偵よね。世の中のどの名探偵だって、宇宙人の犯人を見つけたことはないわ。岩岸さんにしか見つけられなかったはずよ。それにその犯人に情けをかけて、盗まれたモノをそのままプレゼントしちゃうなんて、岩岸さんってほんと心が広い〜」
 玲子ちゃんは、岩岸くんが事件を解決できさえすれば、犯人は人間だろうが異星人だろうが地底人だろうが、全然構わないらしい。
「岩岸さん、どうせなら、私にプレゼントしてくれればいいのに」
 沙貴ちゃん、岩岸くんのモノなら何が何でも欲しいのか。

 三人娘と別れて一人家に帰った岩岸くんは、お風呂に入ってひたすら身体を洗った。三百回以上もこすって入念に洗った。汗臭いのが大嫌いな岩岸くんは、今日は清潔グッズを汚されて、一日中汗臭かった。それが、とても辛かった。
 しかも、牛に土足で踏まれた。しかも、ただの土だと思ったのは、全部牛糞だった。この汚れは岩岸くんにとっては耐えがたいものだった。だから岩岸くんは、全身血まみれになりながら、身体が擦り切れるまで綺麗に洗った。着ているもの、持っていたものも全て念入りに洗って、できるものは全て化学薬品を調合して特別に殺菌した。その結果、殺菌したモノはことごとく泡を出して変色した。
 お風呂を済ませ、すっかり清潔で爽やかな身体に戻った岩岸くんは、家にそのまま残していた清潔な下着を手に取ると、しばらく感慨にふけっていた。
「織姫が、どうして男物の下着なんて、欲しがるんだろう。やっぱり星柄だったからなのだろうか?」
 そう、岩岸くんが持ち歩いていた清潔グッズの一つは、自分の洗いたての着替え用の下着だったのだ。
 汗を掻いたら下着まで着替えられるように、毎日入念に準備して持ち歩いていた岩岸くん。
 自分が洗いたての下着を持ち歩く癖があるのを三人娘に知られたくなかった岩岸くん。
 三人娘に、可愛い星柄がいっぱいな自分の下着を見せたくなかった岩岸くん。
 下着ドロボーに下着を盗まれたという恥ずかしい事実を三人娘に知られたくなかった岩岸くん。

 ブラボー、岩岸くん!
 名探偵岩岸くんの面目は、こうして今日も、無事に守られた。

−お・わ・り−

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