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平成12年10月20日号通算94号 |
の日本酒を飲む会 ニュース |
本会会員栗原信平さんは6月1日、54才の若さで亡くなられた。
今月の例会は、栗原さんが作った実験的なお店「庫裏」で開きます。実はこの会は、慶弔行事にはかかわらないという運営をやってきたので、今回も「庫裏」を会場にして例会を開くということであって、決して栗原さんの逝去を悼んでというわけではないことをお断りしておきます。
彼(と呼ばせてください)との出会いは、例会が神楽坂の「集」のころからである。昭和52年か53年のころだと思う。
当時の会はまったく無名で、さまざまな文化活動を展開していた「集」の会員が、「ダサイ真っ盛りのの日本酒を飲むヤツの顔を見たいので参加してきた」というふうであった。
そこへ、「集」の会員でもないおとなしい男がはまってきた。この会は今でも一切身元を聞かない主義だから、私は静かな男がいるぐらいの感じで見ていた。彼が参加した3回目ぐらいか、「私、酒屋です」という。われわれ仲間には専門家はいなかったので「酒屋なら瓶の開け方、きき猪口の並べ方ぐらいはできるんだろう」と早速手伝わせた。それが彼だったのである。
いまでもそうだが、酒を商売としている人たちはこの会には一部を除いては興味はないらしい。そして興味をもった人たちは、酒販業不毛の中で繁栄しているから不思議だ。
口数の少ない彼の話の断片をつなぎ合わせると次のようないきさつらしい。
「集」にはいろんな勉強会があった。そのどれかが、「缶詰の置き売り」という業態を研究しようとしたらしい。置き売りとは富山の薬売り方式である。それを日経で見てやってきたら、壁の催事一覧に幻の日本酒を飲む会がある。そこで様子を見に来たのだろう。だが同業の権威者もだれもいない。酒はうまい。そして3回目におずおずと名乗りをあげたというわけだ。缶詰の餌に釣られて吟醸酒に出会ったのであった。
それからはいそいそと手伝ってくれる。プロだから扱いがうまい。
54年11月、集は西新橋に移り、会は月例となる。集客力もつき、マスコミの力もあって少しは有名になった。そのころ彼はこう申し出た。「全国各県の本醸造酒を集めて会をやりたい」と。
私はアマ、彼はプロ。私がOKを出したので、集を会場に「幻の日本酒を探す会」をスタートさせた。出てみたらテーブル一杯に瓶が林立している。集まったのは数人。彼は飲み残しを新たに開いた町田市の店に持ち帰り、そこでも会を開いた。幻の日本酒を飲む会にとっては初めての子供の会であった。
だが、ご苦労の割に、どれほどの酒を無駄にしたか。奥さんの伊津子さんは「道楽のない人だからまぁいいでしょう」といっていたが・・・。
その道楽は実る。彼の熱意と努力は、「さかや栗原」という酒販店を日本トップクラスの有名店に持ち上げた。地酒酒販店は数多いが、希少地酒ブランドをプレミアムなしで売ったのは珍しい。それは幻の日本酒を飲む会の趣旨に沿ったものである。
平成6年、私が学会表彰の副賞を基金に作った「吟功績賞」の第一回受賞者に選んだ。業界にずいぶん貢献したらしい。そちらでも各種表彰の常連受賞者ではなかったか。
さて、もう彼はいない。そして酒販業界では囲み込み戦争が激しく、普通酒に万単位のプレミアムが付いているらしい。情報はブラックボックスの中で、消費者はどのボタンを押したらいいのかわからないらしい。
彼が元気なころ、私はこういってやった。「客、老い易く、酒、なりがたし」と。彼はいま、この言葉をどう思っているだろうか。
7月と8月例会で「グラスへは自分で注ごう。人に酌をするな」と言ってから会を始めた。この約束は会則ではない。25年に亘る歴史の中から、会員たちが言い出した約束である。
最近、それが守られていないので、言ってみた。会は盛り上がって楽しかった。
日時:9月24日(日)18時30分(終ってしまいました)
於:上野松坂屋向かい「大江戸広小路寄席」 TEL3833-1789
入場料:1500円
9月15日の「吟醸寄席」で「盗み見酒」を好演する橘ノ好圓さんが、独演会で再び「盗み見酒」を演じる予定です。
秋の夜長を楽しい落語でお楽しみ下さい。
事務所には蔵の子女がよく遊びに来る。扱いはいいし、酒は飲めるし、うまいものも食わせてもらえるからだろう。
さる蔵の娘、「お酒いただけませんか?」という。「いいよ、でも、どうしたの?」と聞くと、「彼、日本酒が好きなの」と言い、「若いのに日本酒が好きだなんてめずらしいでしょ」と言った。
帰り、他社の一升瓶を喜んで持ち帰った。彼女の部屋には実家の酒はないのだろうか。
酒蔵たちは、「若いファンにいい酒を飲ませなければ」と私の前では言う。それなら、「まず隗より始めよ」である。
予告した幻の日本酒を飲む会の閉幕は一ヶ月後に迫った。
こうしたら続けてみたいと気をそそる提案はない。ひたすら「続けよ」と言い続ける方々には申し訳ないが、来月の例会で間違いなく幕を降ろす。
でも、「幻の日本酒を飲む会ニュース」は続けたい。
吟功績賞を差し上げた山形県新庄市の富田酒店「富田通信」のように、せめて100号まで行かねば表彰者のメンツが立たない。いやそれは冗談である。
幻の会員を見ると、例会にはまったく出ていない会員が過半数を占めている。出ていないのではなく、出られない人々なのだ。その人たちはきっとこのニュースを楽しみにしているのではないかと、発行者はうぬぼれている。
残念なことだが、酒の世界には専門誌がない。学術誌、組合紙、業界紙はけっこうあるが、数の上では圧倒的なはずの飲み手が読めるものはない。もしかしたらこの幻の・・・ニュースが発行数270枚(とても「部」とはいえない)でこの世界唯一かつトップなのではないかと思われる。
それなら、要望に応えねばなるまい。ご意見を待っています。
記事になった9月4日、電話・FAX・Eメールに「弔意」の言葉が殺到しました。自分の葬儀を見ているような気になりました。会員・会の主催者・酒とは縁のない友人たち、中には40年前に一度会っただけの人もいました。「淋しい・悲しい」という言葉が並んでいました。
不思議に酒造関係者からは片手の指に余裕のあるほどのご連絡しか来ませんでした。
〒113-0034 東京都文京区湯島4-6-12湯島ハイタウンB-1308
TEL 03-3818-5803, FAX 03-3818-5814 幻の日本酒を飲む会
篠田次郎