/// 祇園祭と山鉾巡行 ///  (01/07/05)

神幸祭、還幸祭、御輿巡行コース
還幸祭では西は千本通まで巡行します。
 京都の夏を染め上げる祇園祭ですが、
祇園祭は疫病の流行を鎮め、疫病退散を
祈願したのが、その始まりだと別の
ページでも書いていますが、その
祇園祭を執り行うのは八坂神社です。
祭神は素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、
櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、
八柱神子神(ヤハシラノミコガミ)。

神仏習合時代、素戔嗚尊は祇園精舎の
守護神である牛頭(ごず)天王と一体と
されていました。明治までは「祇園社」、
「祇園感神院」と呼ばれていましたが、
明治の神仏分離令によって八坂神社と
称することになります。
今では祇園祭と云えば誰もが山鉾巡行を
思い浮かべますが、八坂神社の祭礼と
して祇園祭を考えた時には、その
中心行事は神幸祭、還幸祭になります。
全国的なニュースなどでは伝えられる
ことはないと思いますが、山鉾巡行も
終えた当日、陽も傾きかけた八坂神社
石段下を御輿が練ります。
中御座、東御座、西御座の三基の御輿が
それぞれのコースを練り歩きます。
なお、例年一基づつ石段下で差し上げが
行われるのですが、今年(2001)に限り
三基が集結して行われるようです。
同じように24日にも還幸祭として、
それぞれ氏子地域を練り歩きます。

神幸祭は10日に神輿洗を済ませ、15日の
宵宮祭で神霊を移した御輿が17日に氏子
地域を巡行する神事です。
そして、四条寺町の御旅所に花傘巡行の
行われる24日まで滞在し、24日に八坂
神社に戻ってくるのが還幸祭です。

現在の山鉾巡行は17日のみの巡行ですが、
昭和40年までは「さきの祭」が17日、
「あとの祭」は24日として、二日に分けて
巡行も行われていました。巡行路も現在
とは違っていて、「さきの祭」では
四条通から寺町通を南へ下がり、そして
松原通を西に入る順路でした。
「あとの祭」は三条通から寺町通を南へ
向かい、四条通で西に入る順路でした。
現在とは全く異なっています。今この
順路で巡行すれば大変なことになると
思えます。

「さきの祭」「あとの祭」の巡行が17日に
統合された際に24日に行われることに
なったのが花笠巡行です。
これらのことから山鉾巡行の元々の意味が
見えてくると思います。そう、本来は
神幸祭、還幸祭の従たる行事なのです。
故に山鉾は八坂神社へは入ることはないし、
今も昔も鴨川を渡ったことはないと云う
訳です。
そして以前は宵山も
「宵山」と云う言葉
さえ存在しなかったと
云います。
いわば巡行を控えての
身内の親睦行事だった
のが、今では巡行当日
以上に賑わう行事と
なり、山鉾巡行も
神幸祭、還幸祭をしの
ぐ人出となります。

でも、今年は三基揃っ
ての御輿の差し上げも
行われるので、ちょっ
と本来の祇園祭も楽し
んでみられては…

なお、最初の御輿が
八坂神社を出るのは
18:00、三基揃っての
差し上げは18:30頃の
予定です。

※ 2002年も三基の
御輿が八坂神社石段下
に揃います。詳細は
京都のニュースにて。 

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