/// 護王神社 ///  (02/02/07)

 皆さん、護王神社をご存じでしょうか。
京都御所(御苑)は蛤御門の南西にあるこぢんまりとした神社です。
いわゆる観光神社と云うよりは地元の社なのですが、あることに
関しては特に有名です。

その有名なことと云えば「神使いのイノシシ」です。参道脇に社を
護るのは狛犬ならぬ阿吽の狛イノシシです。
他に摩利支天と関わりを持つ社寺においても
狛イノシシやイノシシの像が置かれていたり
します。

境内には全国から奉納された数多くの
イノシシ。土鈴は勿論のこと、イノシシの
置物、色紙、絵馬、ありとあらゆるイノシシ
グッズ、何と本物のイノシシのはく製まで
展示されています。

護王神社は平安遷都に際し、奈良の都の
影響、特に弓削道教の野心を退け、
桓武天皇に助言を成したと伝わる
和気清麻呂と姉広史を祭神とする
旧別格官弊社です。
しかし、実のところ護王神社が今の
地に移ったのは明治十九年、元は
文覚上人が高雄の神護寺に和気清麻呂を
祀ったのがその始まりです。
今の御所の地の近くにあるのは明治天皇の
勅命により移されたと云う歴史があります。
神護景雲三年(769)、神護景雲と云う
年号があるのを初めて知りましたが、
この年号と神護寺との係わりがあるのか
どうか、またひとつ興味深い話題です。

和気清麻呂はこの年、皇位争いを画策
する弓削道教の野望を宇佐八幡宮の神託
を受けて阻止するものの、道教の裏工作
により大隅国と云うから、今の鹿児島県
に流されることになります。
しかも、道教により足を傷つけられての
出立となり、和気清麻呂は「悪計は
いつかは滅びるもので、今、私がここで
死ぬのは構わぬが、だが、いま一度、
宇佐八幡宮に参ってから…」と思いを
募らせます。
その宇佐八幡宮に近づく頃、道教の手に
なる者に襲われようとしますが、そこへ
姿を表したのは三百頭ものイノシシで
あったと云います。そのイノシシの
霊験により足の難儀も治癒すると共に
イノシシの軍勢に護られて、和気清麻呂
は宇佐八幡宮へ参る願いを叶えます。
このような伝説も残り、護王神社の参道
で社を護るのは阿吽のイノシシとあい
なっています。
和気清麻呂の足を治した由来もあって
護王神社のお守りは「足萎難儀回復
御守護」と云って、足腰の悩みを持つ
方のお参りも多い社です。

また境内には「願かけ猪」と
「座立亥串」(くらたていぐし)が
刺し立てられています。これは四手と
イノシシの折り紙になる竹串で、
願かけ猪の前に刺し立てることで神様の
お陰を頂くと云う信仰です。
「お陰様で…」と云う由来かどうかは
判りませんが…
「願かけ猪」と「座立亥串」(くらたていぐし)
他に北野天満宮、下鴨神社、吉田神社
などにもある「さざれ石」がこの護王
神社にもあります。
気になる行事として、11月1日に行わ
れる亥の子祭(いのこまつり)があり
ます。亥の月、亥の日、亥の刻に餅を
食べると病気にならないと云う信仰に
もとずき、宮中の玄猪(げんちょ)の
儀式にあやかっての荘厳、神秘的な
神事があり、神前にお玄猪(亥の子餅)
を供えて、皇室への献上のために御所
まで堤灯行列も行われます。

御所(御苑)への散歩のついでにも
立ち寄って見て下さい。
阿吽のイノシシがお出迎えです。
なお、亥の子祭の頃には付近の和菓子店で、
行事にちなむ亥の子餅が販売されます。

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