/// 粟田口鍛冶町 ///  (01/08/08)

合槌稲荷大明神
 粟田口を冠とする町名は幾つか
ありますが、その一つが粟田口鍛冶町。
文字が示すように鍛冶との関わりが
伝わります。平安時代中頃のこと、
信濃守粟田藤四郎と号する刀匠こと、
三条小鍛冶宗近が住んだ地です。
宗近は名刀小狐丸、三日月宗近などを
造った刀工です。三日月宗近は天下
五剣と云われるほどの名刀で、今は
国宝となり東京国立博物館に所蔵され
ているのではないかと思います。
また祇園祭の長刀鉾の鉾頭に据えら
れる長刀も、宗近が娘の病気平癒を
感謝して奉納されたものだと云われて
います。

ある日、小鍛冶宗近に後一条天皇から
「守り刀を打て」との勅命が下ります。
ことの重大さに宗近は辞退を申し出
ようとしますが、ふらりと宗近の
住まいを訪れた若者が「刀打ちに
なりたい、ぜひ私を合槌(あいづち)に
使ってくれ」と云います。
小鍛冶宗近之古跡碑 小さな社の鍛冶神社
意を決した宗近は、この若者を合槌に
守り刀を仕上げることが出来ます。
刀に付ける名を思案し若者に聞くと
「小狐丸」が一番ではと言い残し
若者は姿を消してしまいます。
そう、狐が姿を代え、宗近に守り刀を
仕上げさせたのでした。
この神狐(しんこ)が合槌を打って名刀
小狐丸を打ち上げた話は、歌舞伎、能
にも取り上げられ、謡曲「小鍛冶」も
今に伝わります。粟田神社から三条通を
渡った所、赤い鳥居をくぐり民家に囲まれ
奥まった場所に神狐を祀る合槌稲荷が
あります。
また粟田神社の東にある沸光寺には
「三条小鍛冶宗近之古跡」碑が残り、
粟田神社参道脇には鍛冶神社がその歴史を
今に伝えます。

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