/// 冠者殿社 /// (05/02/22)
新京極から四条通を見渡すとバスを待つ雑踏の後ろに八坂神社の 御旅所があります。祇園祭の折に神輿が渡御し、還幸まで留まる 場所として知られますが、その西端に冠者殿社(かんじゃでんしゃ) と云う八坂神社の境外摂社である小さな社があります。 官者殿社と記されることもあり、かつて下京区大政所町にあった けれど、天正年間に今は地名として残る官社殿町に遷され、 さらに慶長年間に今の地に遷されたと云います。 祭神は天照大神と素戔嗚尊を祀りますが、俗説には土佐坊昌俊 (とさのぼうしょうしゅん)をも祀ると伝わります。 土佐坊昌俊は源義経と関わる人物、その人物関係、経緯を書いて いると本題も遠くなりそうなので省略しますが、義経が仲違いした 兄の源頼朝の命を受け義経の討っ手となった人物が土佐坊昌俊。 土佐坊は熊野詣を装って上洛し、義経には本心とは裏腹に「自分は 紀州熊野権現への参詣の途中に立ち寄ったもので、君に二心はない」 と誓紙七枚を起請したと云います。 三枚は八幡宮、一枚は熊野権現、三枚は誓いのしるしとして灰にして 飲み下したとか。 |
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ところが、ところが、誓文をしたため ながらも神をも恐れぬ所業で、夜陰に 紛れ、義経の堀川邸を取り囲みます。 義経が「誓文をしたためながら、 その舌の根も乾かぬうちに…」と言った かどうかは知らないけれど、土佐坊は 奮戦するも義経の前に敵ではなかった ようです。 これが世に云う「堀川夜討ち」。 土佐坊は首をはねられるに際して 「この後、忠義立てのために偽りの誓いを する者の罪を救わん」と願をかけたと 云います。 この事から冠者殿社には「起請返し」、 「誓文払い」の信仰が生まれたようです。 今ではバーゲン、セールと云う言葉を使う ことが多くなったですが、かつて商店など では「誓文払い」と銘打って、蔵ざらえ、 在庫一掃の安売りが行われていました。 これも平素の商売上のかけ引きでついた 嘘を祓い清めてもらうとの意味合いがあり ました。 |
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また毎年10月20日には、商売人が商売上の 嘘を祓い清めてもらうための参詣が行われ、 祭として故事を伝えます。 それもいつしか、愛、恋の嘘も清めて もらえる神様へともなってゆき、 幕末の頃、祇園や先斗町など花街の 遊女達は、馴染みの客に愛の証として 偽りの恋文、証文を書いたこと、嘘を ついたことを清める参詣が行われるように なり、この参詣は一切無言で行わなければ 願いは破れるとかで「無言詣」と呼ばれる ようになります。 これも今は祇園祭の頃、御旅所に神輿が 留まる七日七夜にわたり行われるようにも なっています。 繁華街のまっただ中にある煤けた小さな社 ですが、奥深い歴史、情念の積み重ねが あるようです。 |