/// 車折神社、芸能神社 /// (02/09/17)
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京福電車の車折(くるまざき)駅の南に 位置するのが車折神社です。 車折駅も神社前の駅らしく、駅の柵、 手すりは京阪電車の伏見稲荷駅と同じく 朱色に塗られています。ただこちらは 無人駅、小さな二面のホームとわずか ばかりの屋根の下にベンチがあるだけ です。そんな車折駅から小道一本隔てて、 こんもりとした森の中に車折神社の参道が 続きます。反対側の参道は三条通に面 しているので、地元の人が通る抜け道とも なっていて、わりと人通りは多いです。 さて、車折神社の由来ですが、古くは 桜の宮と呼ばれていた記録も残るそうです。 それが後嵯峨天皇が大堰(おおい)川への 遊幸の際に、ちょうどこの桜の宮の前に おいて、車の轅(ながえ)、つまり牛車の 前に突き出た棒が折れたと云います。 このため神威を恐れ車折大明神の神号を 贈ることとなり、それ以後車折神社と称 することとなったと云います。 |
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本殿まで歩むと、大小さまざまな石に願い 事のお礼が書かれて奉納されています。 「祈念神石」と云われていますが、まず 社務所で一つの石を拝借し、日々に願いを 込めて神棚に祀り、願いがかなうと近くの 河原で小石を拾い、その石にお礼の言葉を したためて、借りた石と共に神社に奉納 すると云うものです。 なんでも売り掛け金回収にご利益がある とかで、商売関係のお礼も多いとか。 車折神社の祭神は「清原頼業(よりなり) 公」。そして、この辺りは冥府の出入りを 管理する役所があったとか…。 「頼」は金が寄りつく、「業」は商売が 成り立つにあやかっているらしいです。 そして役人の目のあるところなので、約束を 違える者もあるまいと云うところから売り 掛け金回収のご利益があるとなったようです。 現代では役人の利き目はいかがなるものかと 云う事態が頻発していますが…。 そして、車折神社の近くでは、かつて東映、 大映といった撮影所が隆盛を極めた時代も あって、そこに出入りする芸能関係者から 広まったと云う話もあったりします。 |
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そう云えば境内には芸能神社もあったり します。祭神は女神である「天宇受売命」 (あめのうずめのみこと)。天照大神 (あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に 隠れたことで、この世は暗闇となった折り、 天宇受売命は岩戸の前で天の香具山の日影蔓 (ひかげのかずら)をたすきに掛け、 まさきの蔓を髪に飾り乱舞を始めることに なります。これを見た諸神は大いに喜び 世の中は明るさを取り戻したと云います。 この乱舞の成りゆきは恥ずかしくてここでは 書けないようなことになってゆきますが、 この例えもしかり、神話の世界での話の 数々は後世の私達に何を伝えようとしていた のかと、ふと思うことがあります。 このような舞の経緯から今では芸能の祖神と して敬慕されることになっています。 本殿にはいたるところ祈願札、ステッカー などが貼り覆われていたり、境内の朱塗りの 玉垣にはよく知られた芸能人、宝塚の女優、 映画関係者などの名前がずらりと並びます。 一世代前の名前も見つけることが出来たりして、 結構面白いです。 |
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車折神社は近代日本画家の巨匠、富岡鉄斎が 明治時代に宮司を務めていたことでも知られ ます。お正月に授与される宝船図は、よき 初夢を見るために枕の下に敷く縁起物。 絵馬としては常時社務所で授与されています ので、手にしてみられていはいかがでしょうか。 その宝船図には長寿の神、寿老神と米俵が 描かれ、そして「なかきよのとをのねふりの みなめさめなみのりふねのおとのよきかな」の 文が添えられています。この文章、回文と 云って、上から読んでも下から読んでも同じと 云う面白い文章です。 最後に古い地図には車折神社の境内か、その 周辺に新落柿舎との記載があるものがあります。 私もそれを探して歩き、神社の人にも聞いて みたのですが、それらしき建物、痕跡などは 発見できませんでした。 この地図の誤植かな???、気になる新落柿舎 でした。 -- Data -- 車折神社の祭神は平安後期の儒学者、明経 (みょうぎょう)博士とも云われた清原 頼業(よりなり) |