/// 満足稲荷神社 /// (08/03/10)

町中の小さな満足稲荷神社
 歴史上”余は満足じゃぁ”と云った
のは織田信長もそうですが、ここ
満足稲荷神社にゆかりの人物、
豊臣秀吉にも話は残ります。

豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して稲荷の神々に
戦勝祈願をなし、その霊験がいちじるし
かったので伏見城内に祀ったのが
満足稲荷神社の起こりと伝わります。

その霊験に満足して”余は満足に
思うぞ”と云った事から満足稲荷との
名が残ったと伝わります。

その後、元禄六年(1693)、徳川綱吉により
現在の地に遷され、法皇寺の鎮守社と
なります。法皇寺はボタンで有名な
乙訓寺の前身とも云えるお寺。
さすると霊験あらたか、岩神さん
乙訓寺は今も長岡京に残りますが、その後、
法皇寺は南禅寺に遷され、鎮守社としての
満足稲荷神社のみが残され今に伝わります。

南禅寺に移された法皇寺は金地院から
明治21年に南禅寺牧護庵に合併されます。
古い地図だと現牧護庵が法皇寺と記されて
いるのもあります。

満足稲荷神社の祭神は倉稲魂大神
 (うがのみたまのおおかみ)、天照大御神、
猿田彦大神、大国主大神、そして岩神さん、
御神木。
ご神木は京阪神百銘木の一つ、京都市の
保存樹にも指定されている”クロガネモチ”
で樹齢400年以上と推定され、八つに
分かれる幹から末広がりの縁起の良い木
として親しまれます。

岩神さんは岩をさすり頭を撫でると、
頭が良くなり、痛いところ悪いところを
さすると治ると云われます。
縁起の良い、ご神木のクロガネモチ
ご利益は稲荷神社だけあって、商売繁盛に
始まり、開運、家内安全、厄除開運、
交通安全、合格祈願、良縁祈願と庶民も
満足するご利益??
出世稲荷と共に秀吉ゆかりの神社として
庶民の崇敬を集めている満足稲荷神社です。

満足稲荷神社があるのなら満足寺はない
ものかと思いきや、今では本満寺と名乗
っていますが、広宣流布山、本願満足寺と
号する日蓮宗のお寺がありました。
下鴨神社の加茂川対岸、河原町通の西側に
本満寺はあります。八代将軍徳川吉宗の
病気平癒祈願以来、徳川家の祈願所とも
なった寺院ですが、普段は非公開になって
います。

満足稲荷神社は東大路通に面して東山仁王門
バス停すぐの所にあります。また、節分には
この満足稲荷神社、お辰稲荷神社、熊野神社を
廻る「三社めぐり」と云う習慣が残って
いたりします。
町中の何でもない神社ですが、目にした
なら思い出して下さい。

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