/// 大豊神社  ///  (02/03/12)

狛犬ならぬ狛ネズミ
大豊(おおとよ)神社は哲学の道の
南端より少し手前に位置する小さな
神社です。仁和年間と云うから平安
時代初期に創建された社です。
今の神社の背後には森と山が迫り
ますが、この辺り一帯を椿ケ峰と云い、
元々は大豊神社も椿ケ峰天神と称し、
その椿ケ峰をご神体とする社であった
ようですが、平安中期に今の地に
移った折りに大豊大明神の神号を
賜ると伝わります。
度々の火災で今は本殿、拝殿、末社を
残すのみですが、椿ケ峰の名の残りで
境内には椿も数多いです。
この大豊神社は末社を鎮(まも)る
狛犬ならぬ狛ネズミ、狛猿、狛鳶
(こまとび)、キツネが知られて
います。
狛猿に狛鳶(こまとび)
大国社は縁結びにご利益があると云い
狛ネズミ、稲荷社は商売繁盛を願って
キツネ、日吉社は災難と厄除けとして
狛猿、愛宕社は火難除けとして狛鳶が
それぞれ社を鎮っています。

大国社は大国主命(おおくにのぬしの
みこと)を祀りますが、その大国主命と
ネズミの関係は、もう神話の世界の
こととなります。
旅の途上で大国主命は須勢理比売命
(すせりひめのみこと)に見初めら
れることになります。
ところが須勢理比売命の父である
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は娘を
心配してか、大国主命に対して無理
難題をふっかけます。
大国社
何か、今の時代にでも転がって
いそうな話ですが、その無理難題は
だっだ広い野原に鏑矢(かぶらや)を
射込んで、「今、撃ち放った鏑矢を
拾ってこい!!」と云うものでした。
大国主命が野原に分け入ると、さらに
素戔嗚尊は野原に火を放ちます。
逃げ場を失った大国主命は絶体絶命か
と思いきや、その時、一匹のネズミが
ほら穴の在処を知らせ、また鏑矢を
くわえたネズミも表れます。

神話の無理難題はまだ続きますが、
この当たりは別の機会に譲るとして、
この神話の世界に大国主命とネズミと
の関係が見てとれます。
一方、稲荷社のキツネは商売繁盛の
稲荷大社が有名でご存じの方も多いか
と思います。
背後は椿ケ峰
次いで日吉社を鎮るのは狛猿。
日吉信仰と猿との関係はこれまでにも、
鬼門や災難除けの話題として紹介して
いるので、ここでは省略しますが、
猿は日吉の神使いです。最後に愛宕社を
鎮るのは狛鳶です。
京都の北西に連なる山並みの一段高い
ところの愛宕山に愛宕信仰の総本社で
ある愛宕神社はあります。京都では愛宕
さんと親しまれると共に火伏せの神と
して知られ、おくどさん(かまどのこと)
や台所には、御守りの「阿多古祀符
火迺要慎」と書かれた貼り紙をされて
いる家も多いです。

この愛宕信仰と鳶の関係ですが、未だ
よく判らないのです。神使いであろう
ことは想像できるのですが、その経緯
などは謎のままです。

今年は桜が早そうですが、その中でも
大豊神社の参道石灯籠脇の桜が哲学の
道近辺では一番早く花を付けます。
桜見物の道すがらにでも立ち寄って
みて下さい。

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