/// 桜の季節、こよひ逢う人みなうつくしき ///  (01/03/25)

 万葉集に詠まれた桜の歌は40首、対する梅の歌は118首だとか、
奈良時代に花と云えば梅を指し、平安時代になって花と云えば、
桜を指すようになったと云います。
奈良時代に中国の思想を元に造営された平城京、そしてそれを
受け継ぐ平安京、その平安京では御所の紫宸殿前にあるのは
当初「左近の梅」だったけれど、菅原道真の進言によって桜に
代わったと云います。

ところがよくよく調べてみると、奈良時代より以前の神話の
時代の話では、これまた花と云えば桜だったらしいのです。
ただし、今のソメイヨシノではなく、ヤマザクラ、オオヤマザクラ
オオシマザクラと云った種類の桜です。

神功皇后が磐余(いわれ)の地に営んだ皇居は桜宮(さくらのみ)と
云うそうです。そして神話の世界では桜姫と云う言葉も残るとか、
サクラと云う言葉を分けると「サ」は穀物の神、「クラ」は神の
よりしろである「座」(くら)になると云います。

京都には「神の降臨する岩」の意味合いに通じる岩倉という
地名が残りますが、これらは古代の思いに通じる部分でしょうか。
昨年紹介した桜の花にその年の吉凶を確かめたこと、そしてそれに
関わる「やすらい花」や「やすらい祭」と云う行事が京都でも
幾つか残りますが、やはり古来より日本人と桜とのつながり、
つき合いは永くて深いもののようです。

昔の桜と云えばヤマザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラだと
先ほど書きましたが、今のソメイヨシノの故郷は東京都豊島区だとか、
私には、「染井」と云う地名が存在しているのかどうかは、よくは
判らないのですが、ともかくその地で江戸時代後期にウバヒガンと
オオシマザクラの交配種として誕生したのがソメイヨシノで、
値段が安く、成長が早いので一気に日本全国に広がったと云います。

京都の桜はソメイヨシノも多いですが、ヤマザクラ、シダレザクラも
多いのが特徴でしょうか、御所の「左近の桜」はヤマザクラ、
円山公園のそれはシダレサクラ、その篝火に照らされた円山公園の
シダレサクラを見ると妖艶な色香を感じます。
「清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人みなうつくしき」
与謝野晶子のこの歌にそれを納得してしまいます。

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