/// 粟田口青蓮院 ///  (01/08/18)

拝観は医薬門から
 粟田口の地にゆかりの青蓮院です。
俗に粟田口青蓮院、また粟田口御所と
呼ばれます。青蓮院は比叡山延暦寺の
三門跡の一つで天台宗の寺院です。

門跡の元々の意味は法統を受け継ぎ
一門を統括する寺院や僧侶のことを
指すのですが、一般的は皇子、貴族
など高貴な身分の者が寺に入り守る
寺院を意味することとなっています。
この意味で門跡の始まりは宇多法皇が
仁和寺に入室したことに始まります。

室町時代にはその門跡を管轄する
役所も設けられ、三十余の門跡を
数えています。今の時代での天台宗
三門跡はここ青蓮院、妙法院、三千院を
あげています。幕藩体制の崩壊と共に
門跡としての格付けは意味を失って
おり、今日では門跡寺院はかつての
朝廷ゆかりの寺院と思えば、中らずと
雖も遠からずでしょうか。
御所紫宸殿の雰囲気を伝える宸殿
青蓮院は最澄が比叡山を開く際に
設けた住坊のひとつだった青蓮坊が
その起こりだと云います。延暦寺の
法統を継ぐ高僧の住居ともなり、
東塔の主流をなす重要な坊であった
そうです。鳥羽法皇の時代に現在の
地に殿舎を造営して青蓮院としたのが
門跡寺院としての青蓮院の始まりです。

堂宇は応仁の乱で荒廃しますが、
江戸時代には再興し、天明8年(1788)の
大火で御所が炎上した際には光格天皇の
仮御所となり、今に伝わる境内の
好文亭は当時の御学問所であった建物
だと云います。本堂から建物は小御所、
宸殿へとつながり、宸殿の前庭には
左近の桜、右近の橘が植えられていて、
京都御所紫宸殿の光景を彷彿とさせます。
また青蓮院は明治5年、日本最初の公立
病院がおかれた所としても知られます。
青蓮院のシンボルはクスノキ
青蓮院の見どころは小御所の東側に
広がる室町時代の相阿弥の作庭、
さらに北側に小堀遠州の作庭と伝わる
「霧島の庭」が広がります。
そして何と云っても「青不動」と云わ
れる国宝でもある「絹本着色不動明王
二童子画像」は必見です。園城寺
(三井寺)、の黄不動、高野山明王院の
赤不動と共に日本三不動と云われます。

また、こちらはどうしても目に付き
ますが、長屋門、四脚門に沿って
クスノキの巨樹があります。一説では
親鸞聖人のお手植えとも伝わりますが、
クスノキが地割りに沿って整然と植え
られており、親鸞が生きた時代とは年代が
符合しないので、この説は伝説にすぎ
ないようです。しかし、樹齢は約800年、
道沿いの四本、境内の一本は京都市の
天然記念物に指定されています。

粟田御所と呼ばれるように、寺院で
ありながら御所の雰囲気、公家屋敷の
趣が色濃い青蓮院です。

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