/// 旧東海道を粟田口へ ///  (01/08/27)

亀の水不動尊を祀る「亀の水」
 その昔、大津宿を出て逢坂山を
超え山科盆地、京の都も近づいて
最後の登りが日ノ岡峠、蹴上を
過ぎて粟田口に入れば、京の都の
雰囲気も感じ取れたことでしょう。

今の様子では、JR山科駅の南側に
旧東海道は延びています。
西へ進むと車がひっきりなしに通る
府道四ノ宮四ツ塚線に出ます。
この道は三条大橋、三条通へと
つながる道路です。やがて鉄道の
東海道本線をくぐります。そして
地下化によって公園整備が進め
られる京津線跡を少し越えた所から、
再び旧街道に入ります。今では
住宅街を抜け、そこが旧東海道と
知る人も少ないと思えます。

不思議な町名のホッパラ町を抜ける
辺りから、目の前には最後の登りと
なる日ノ岡の山が迫ります。急に
登り道となると左手に「亀の水」が
あります。
車石、これを敷き詰めたのでした。
木食上人が元文三年(1738)、峠道の
改修工事と共に木食寺梅香庵を営み、
道路管理と休憩所を設けた所です。
井戸水を亀の口より落として石水鉢
”量救水”(りょうぐすい)に
受けて、人馬の喉を潤したようです。
今も亀の水不動尊を祀り、街道を
行き交う人々を潤しています。

峠道の改修工事と云う話が出ましたが、
脇坂義堂によって文永二年(1805)には
大津の逢坂山から日ノ岡峠を越えての
約12kmの間に牛車専用道路として、
車の轍(わだち)を刻んだ切石を敷き
並べ、牛車の通行に供しました。
これは車石と云われ、石で出来た線路
のようなものだったようです。
今回の旧街道探索でもその車石の
一部が民家の軒先に置かれているのを
見つけました。
旧東海道と記した石碑と旧街道の面影
また府道の日ノ岡には車石を台座に
使っての府道改良工事記念碑があります。
さて、亀の水不動尊より、もう
ひとがんばり登れば峠です。
今では往時のものとおぼしき建物は
皆無で、狭い道路と旧東海道と
記した石碑がそれを知らせてくれる
のみです。酔芙蓉で知られる大乗寺を
越えて、その先で旧街道は府道に合流
してしまいます。府道を進み九条山の
麓には一体のお地蔵さんが祀られて
います。
源義経はその日、兄の頼朝の元に
向かう途中であったと云います。
九条山の坂にさしかかた時、馬で坂を
下りてきた九人の平家の武将達が
水たまりの水を義経にハネ飛ばしたと
云います。
通称、蹴上のお地蔵さん
それを謝るどころか威圧的な武将達に
怒りおさまらぬ義経はその九人の
武将を切り捨ててしまいます。

しかし、怒りも収まった義経は平家の
武将達を不憫に思い、九体の地蔵を
街道に安置し菩提を弔ったと伝わり
ます。その内の一体が今も祀られる
この蹴上の石仏だと云われています。
そして蹴上(けあげ)の地名もこの
伝説によると云う一説も残ります。

今では排気ガスを浴びながらも、
地元の人々に守られて行き交う
牛車ならぬ自動車を眺めています。
そして坂道を下れば京の入り口、
粟田口になります。


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