/// 宇治を散歩  ///  (02/06/23)

さすが宇治茶の里、ポストも茶壺
 今回はちょっと遠出して宇治散歩です。
京都府ではあるけれど京都市の南隣に
宇治市はあります。JRだと京都駅から
快速で15分ほど、なお、乗り換えが
必要になりますが、京阪電車も宇治へ
通っています。

宇治で思い浮かべるのは10円玉の裏に
描かれた平等院鳳凰堂、宇治茶、源義経軍の
宇治川先陣競い、そして源氏物語宇治十帖の
舞台などでしょうか。
今回の宇治は普段から歩く所と云うよりは、
旅人の一人となってしまうので物見遊山で
歩いてみます。

JR宇治駅前には茶壺の形をしたポストが
設置されていたりします。さすが茶処で
知られる宇治です。お茶は栄西が中国から
持ち帰り京都北部の栂ノ尾の高山寺の
明恵に贈り、明恵が高山寺で栽培したのが
最初と伝わります。今でも高山寺には日本
最初の茶畑の碑があったりします。
そのお茶を土質が似ていた宇治へ移植した
のが宇治茶の始まりでした。
宇治橋、張りだした三の間も見えます。
宇治の農民はお茶の木の育て方が判らず、
明恵に尋ねると明恵は「栂山の尾上の茶の
木分け植えてあとぞ生ふべし駒の足影」と
諭したと云います。この馬の蹄(ひずめ)の
跡に従って木を植えるようにと云う意味だ
そうです。宇治から少し北になる黄檗山
万福寺の総門前には、その茶畑であった
だろう「駒蹄影園蹟」(こまあしかげえん
あと)の碑が残ります。

駅前に戻って5分ほど京都寄りに歩くと
琵琶湖に近い瀬田の唐橋の下にある竜宮より
湧き出る流れと云われる宇治川に架かる
宇治橋です。大化2年(646)に奈良の
元興寺の僧であった道登によって架けられた
と伝わり、その歴史は古く、源氏物語、
古今和歌集などの数々の文学作品にも
描かれることはよく知られるところです。
橋がキーワード、夢浮橋古跡碑
橋の中央部には三の間と呼ばれる張り
出しが今の橋にも設けられ、この場所は
橋姫を祀った祠の名残とも云われます。
この宇治橋の西詰めたもとには源氏物語
宇治十帖の古跡のひとつ”夢浮橋”
(ゆめのうきはし)があります。

宇治十帖とは紫式部が著した源氏物語で
全編五十四帖のうち、最後の十帖は宇治を
主な舞台にしているところから、特に宇治
十帖と一般に呼ばれ、第四十五帖から順に
橋姫(はしひめ)、椎本(しいがもと)、
総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、
宿木(やどりぎ)、東屋(あづまや)、
浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、
手習(てならい)、夢浮橋と第五十四帖
までを指します。
最後の語りとなるのが夢浮橋で、今は石碑が
古跡を物語るばかりで、ちょっと判り
づらいですが交番横にあります。
折り鶴が奉納される橋姫神社
橋のたもとに立つと複雑な交差点となって
いて、向かって左から土産物街を経由して
平等院、そして、県(あがた)神社の大きな
鳥居を抜ける道は旧街道、その右手には
商店街となる道、更に宇治橋の正面からは
南へと続く幹線道路が走ります。

今日は鳥居を抜けて橋姫神社へと向かい
ます。古代では水辺、特に橋には心霊が
宿るとされていたとかで、橋姫神社は
瀬織津比女(せおりつひめ)を祀り、
その橋を守る神だそうです。そして先の宇治
十帖の第一丁にあたる古跡でもある橋姫神社
ですが、考えてみると第十帖は夢浮橋となって
おり、橋で始まり橋で終わる宇治十帖だと
云うことに気付きます。
町中の県(あがた)神社
やはり紫式部も橋というものに何かを感じて
いたのでしょうか。
また、境内には水の神と云われる住吉社も
祀られています。

反面、以前に紹介した鬼と化す橋姫伝説の
舞台であったりもします。境内には幾つもの
折り鶴の房を見ることが出来ますが、それは
鬼と化す橋姫伝説からくる縁切りのご利益への
ものか、それとも源氏物語の橋姫に捧げられて
いるものか…、そんなことがふと頭をよぎった
折り鶴の光景でした。
梵天をイメージしたオブジェ
時おり残る旧家を抜けると県(あがた)神社に
出ます。何と云うこともない町中の神社ですが、
あることで特に有名です。6月6日の未明に
行われる県神社の梵天渡御は暗闇の奇祭として
知られます。梵天とは青竹の先に直径約2m
ほどの球状の御幣を付けたもので、その梵天を
載せた御輿を猛烈な勢いで回転させる
「ぶん回し」が行われます。御輿をぶん回す…、
神様は目が回る…、何でっ?、と云う行事ですが、
それが奇祭と云われる所以です。
また雌獅子、雄獅子の御輿がありますが、
この話の続きを書くと少しエッチな話題となる
のでこのへんで…
京都ではちょっとは知られた奇祭の県祭です。
県神社を回り込めば平等院の西口です。

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