/// 宇治川に沿って  ///  (02/07/22)

 前回は平等院を訪ねましたが、今回は塔の島から中の島、
そして対岸の宇治神社、興聖寺方面へ歩きます。

平等院のちょうど東側に喜撰橋を渡ると塔の島、橘橋を渡ると
中の島です。普段でも宇治川の流れは大きいです。
上流には天ヶ瀬ダム、喜撰山ダムがあり、特に喜撰山ダムは夜間の
余った電力で宇治川の水をポンプアップし溜め込み、昼間はその
水で発電するという効率的な発電システムを持ちます。
昼間でも水の流れが大きいのはこんな理由もあるのかも知れません。
喜撰橋の向こうに浮島十三重石塔
今の季節は連日鵜飼いが行われている
ことでしょう。その舞台でもある
塔の島は浮島と云われることもあり、
真ん中には浮島十三重石塔が建って
います。高さは15.2mあり日本最大の
石塔で、重要文化財に指定されています。
1286年に奈良の西大寺の僧、叡尊が
宇治橋の架け替えに伴い、殺生禁断と
宇治橋供養のために建立したと伝わり
ます。洪水や地震で倒壊を繰り返し
ましたが、今、目にする塔は明治41年
(1908年)に九重目の笠石と相輪を補い
再興されたものです。

塔の島から中の島へ小さな橋で渡ると
柿本人磨の歌碑が目に止まります。
「もののふの八十氏河(やそうじかわ)
の網代木にいざよふ波の行く方しら
ずも」、宇治川の網代木(あじろぎ)
で消えゆく波を見ていると滅んだ近江の
都の人々はどうなったのか…、
と云う意味らしいです。
宇治川先陣之碑
網代木(あじろぎ)とは川の中に杭を
打ち氷魚(ひうお)を採る仕掛け漁法が
あるのですが、その杭のことだそうです。
氷魚とは鮎の稚魚のこと。そう云えば
釣り竿をかざす人も多く見かける宇治川
です。

中の島は橘島とも云われますが、中央部
には宇治川先陣之碑が建ちます。
これは源義経の家来であった佐々木四郎
高綱と梶原景季(かげすえ)の二人が、
勅旨でもあった源義仲討伐の先陣を争った
故事にちなみ、昭和の始めに建てられた
ものです。
文献では「橘の小島」となっていて、
現在の「橘島」とは異なりますが、その
橘の小島は宇治橋の下流にあった島だ
そうです。

中の島から朝霧橋を渡り右岸に出ると、
正面には宇治神社の鳥居、参道が見えます。
本殿は檜皮葺、三間社流造りと云う珍しい
様式で国の重要文化財に指定されています。
離宮下社、今は宇治神社
明治維新までは宇治上神社と二社一体で、
それぞれ離宮上社、離宮下社と云われて
いました。宇治上神社は世界遺産に登録
されたことで有名です。

宇治神社は木造の狛犬でも知られます。
現在実物は資料館に預けられている
ようですが、木造の狛犬としては
最大級のもので国の重要文化財に指定
されています。ちなみに一般に二対を
狛犬と称しますが、実際は必ずしも当て
はまらない場合もありますが、口を開く
阿形(あぎょう)のものは獅子で、対
する一角を持つのが吽形(うんぎょう)
とされ、こちらが狛犬です。
普通は向かって右側は獅子です。この
狛犬の起源を辿ると、はるかかなた
クレタ文明にまで遡ると云います。
ピラミッドを護るスフィンクスとも血の
つながりがあるのでしょうか。
宇治のお薦め紅葉スポット興聖寺
かつての離宮上社は今は宇治上神社と
名乗り世界遺産です。本殿、拝殿は国宝
で、神社建築としては平安時代後期
建立の日本最古の建物です。
一間社流造り内殿三棟を左右一列並べ、
後世に全体に覆屋(おおいや)をかけて
います。また境内の湧水は桐原水と
云われ、宇治七名水の一つだそうです。

宇治上神社から北へ歩を進めると源氏
物語ミュージアムに出ます。
今回は右岸を遡って恵心院。恵心院は
弘法大師によって開かれた龍泉寺が
その始まりと伝わります。やがて
「往生要集」の編者で知られた恵心僧都
源信によって再興され恵心院と名乗る
こととなります。源信は宇治川に入水
した浮舟を助けた横川の僧都のモデル
とも云われます。今回は省略して
いますが、ここまでの道すがらでも
宇治十帖の遺跡、古跡は点々として
います。このあたりはまたまとめて別の
機会に紹介したいと思います。
宇治上神社、本殿にかぶさる覆屋
また恵心院は春日局が徳川家光のために
安穏祈願した寺としても知られます。

恵心院から5分ちょっと上流へ歩くと
興聖寺です。境内に入ると禅宗の寺院で
あることが直ぐに判ります。曹洞宗の
寺院で、兵火に遭い永く荒廃していたの
を慶安元年(1649)と云うから江戸時代
に淀城主であった永井尚政がこの地に
再興し以後永井家の庇護の元に栄えたと
云います。今日でも関西の曹洞宗の中心
寺院だそうです。
世界文化遺産にも登録された宇治上神社
この興聖寺は紅葉が有名で、独特の
山門前に続く紅葉トンネルはよく雑誌、
パンフレットに紹介されます。

宇治川に面した興聖寺総門から少しの
川面に亀石が残り、宇治川第一の名石
と紹介されたほどの石だったりします。
確かに一目瞭然、亀に見えます。
垂仁天皇が大亀を鉾で刺し貫いたところ
石になったとか、伏見城に通じる水路の
蓋だとか、種々の伝承が残るようです。
かつては他にも行燈石、不動岩、
烏帽子岩、千束岩など奇岩怪石が
多かったようですが、天ヶ瀬ダムの
完成と共に水没してしまいました。

平等院から亀石までのこのコース、
正味の歩く時間だけなら1時間ほど、
涼やかな宇治川の風に吹かれての散歩は
いかがでしょうか。

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