/// 祇園祭、山と鉾 ///  (01/07/10)

今の巡行参加は32基の山鉾ですが、他に休み山が幾つかあります。
三条通室町西入ルの鷹山、新町通四条下ルの大船鉾、
蛸薬師通室町西入ルの布袋山が休み山となっています。

記載は今年(2001)の巡行順になっています。
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1.長刀鉾(なぎなたぼこ)くじ取らず
   云わずとも知れた長刀鉾は「くじ取らず」でいつも巡行の
   先頭を行きます。「くじ取らず」とは、かつて巡行の先陣を
   競った時期があり、この競い合いを防ぐ意味で、1500年
   (明応9)に始まったとされています。現在では7月2日に
   京都市議会議場で市長立ち会いの元で巡行順序を決める
   「くじ取り式」が行われます。

   また、長刀鉾は現在でも唯一、二人の禿(かむろ)を従えた
   生(いき)稚児が乗ります。禿とは稚児の補佐役のような
   もの。稚児が注連縄を切る様子はよくニュースなどでも
   放映されると思います。

   長刀鉾の由来は真木の鉾頭に長刀を掲げているところにより
   ます。真木とは鉾の上に天を指してそびえる木のこと。
   その真木の中程には天王座と称して、観音様などを掲げる
   鉾もあります。

2.蟷螂山(とうろうやま)
   放下鉾と共にからくり仕掛けを持った山鉾です。
   中国の詩文集に由来し、御所車にカマキリを載せています。
   巡行と共に御所車の車輪が回り、カマキリの手が動き、羽を
   広げて楽しませてくれます。

3.霰天神山(あられてんじんやま)
   大火の折りに霰が降り出し、大火もおさまったと云う故事に
   ちなみます。別名「火除けの天神山」。火伏せ、雷除けの
   お守りが授与されます。

4.占出山(うらでやま)
   身重の神功皇后が鮎釣りで戦勝を占ったという故事にちなむ
   山です。安産のお守りと腹帯が出されます。今年は四番目の
   巡行ですが、この山の巡行順序が早い時はお産が軽いとも
   云われます。

5.函谷鉾(かんこほこ)くじ取らず
   中国の戦国時代、斉の猛嘗君(もうしょうくん)が鶏の声に
   よって函谷関の関所を開かせ難を逃れた故事にちなむ鉾。
   鉾頭の月と山は夜半の山稜を表し、天王座に猛嘗君、その
   下に雌雄の鶏を戴く。宵山までは囃子方として女性が鉾に
   乗っています。

6.伯牙山(はくがやま)
   中国の琴の名手、伯牙が親友の死を悼み斧で琴の絃を断った
   故事にちなむ山。別名「琴破山」。山には斧を持ち今にも
   琴を断とうとする伯牙の様子が飾られています。

7.綾傘鉾(あやがさほこ)
   大きな風流傘が特徴。山鉾の古い形態を今に伝える鉾です。
   巡行では「棒振り囃子」も随時披露されます。

8.保昌山(ほうしょうやま)
   丹後守平井保昌は和泉式部に御所の紫宸殿から紅梅を
   手折ってきてほしいと頼まれ、それに応え恋を実らせたと云う
   故事にちなみます。別名「花盗人山」と云い縁結びのお守りが
   出されます。

9.菊水鉾(きくすいぼこ)
   町内にあった菊水井戸、菊の露を飲んで700歳まで生きたと云う
   菊童子に由来します。鉾頭の菊花がシンボル。江戸時代に
   焼失し昭和28年に再建の鉾ですが、今年は会所である金剛能楽
   堂の移転取り壊しで、一時は巡行自体も危ぶまれたけれど、
   巡行には参加するようです。
   

10.白楽天山(はくらくてんやま)
   唐の詩人、白楽天が老松の上に住む道林禅師に仏法の大意に
   ついての問答を交わす様子を伝えています。懸装品の
   中にはトロイ戦争を題材とした前掛けもあります。

11.太子山(たいしやま)
   聖徳太子を祀ります。聖徳太子が四天王寺建立のために
   自ら山に入り杉材を求めたことから、他の山は松の木を建てる
   のに対し、この太子山だけは杉を建てます。そしてそれに
   如意輪観音の厨子を奉載しています。知恵のお守りが出され
   ます。

12.油天神山(あぶらてんじんやま)
   朱塗りの鳥居が印象的です。ご神体は菅原道真。学業成就の
   お守りが出されます。風早町に祀られていた天神像を
   勧請した山で油小路通にあることから油天神山を名乗りますが、
   勧進した日が丑の日だったことから別名「牛天神山」。

13.月鉾(つきほこ)
   鉾頭には三日月、天王座には月読尊が櫂を持ち舟を漕ぐ姿が
   あります。円山応挙の筆になる天井絵、左甚五郎作と伝わる
   兎の木彫りなど、「動く美術館」の形容の一、二を競う鉾です。

14.木賊山(とくさやま)
   世阿弥作の謡曲「木賊」がその由来、我が子をさらわれた
   翁が、木賊を刈っていると都の僧により再開を果たすと云う
   物語で、山では木賊を刈る姿を再現しています。
   迷子のお守りが出ます。

15.四条傘鉾(しじょうかさほこ)
   綾傘鉾と並び山鉾の古い形態を今に伝えます。
   例年、宵山でも「棒振り囃子」が披露されます。

16.孟宗山(もうそうやま)
   中国に伝わる昔話「二十四孝」を元にしています。
   病にふける母のために雪の中の竹藪に入り、母の好きな
   筍を探す話。この山の別名は「筍山」、山もその様子が
   再現されています。そう云えば孟宗竹と云う竹の種類が
   あったと思いますが、やはり何かの関係があるのでしょうか。
   粽には雪に見立てた綿と水引が添えられています。
   家庭円満、親孝行のお守りが出ます。

17.鶏鉾(にわとりぼこ)
   中国の昔話、天下泰平で諌鼓(かんこ)と云う訴訟時に
   使われる太鼓も使われなくなり、やがて苔が生え鶏が
   巣を作ったと云う話に由来します。鉾頭には三角形の中に
   円形が見えますが、これは諌鼓の中にある鶏卵を意味する
   そうです。

18.芦刈山(あしかりやま)
   謡曲「芦刈」が題材。妻に去られた翁と夫を訪ねた妻との
   話で、難波の浦で芦を刈る姿を再現しています。
   

19.山伏山(やまぶしやま)
   山伏の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が村上天皇の時代に
   八坂の塔が傾いた時に法力によりこれを元に戻したと
   伝わります。貴所は他に父を蘇らせた「一条戻橋」伝説でも
   有名です。

20.郭巨山(かっきょやま)
   郭巨が黄金の釜を掘り当てたという中国の「二十四孝」の話に
   ちなむ山です。別名「釜堀山」。粽には小判が添えられ、山に
   美しい乳隠しがあることから、授乳のお守りが出ます。

21.放下鉾(ほうかぼこ)くじ取らず
   真木の中程の天王座に放下僧(ほうげそう)を祀ることに
   由来します。放下僧は街角で芸を披露しながら仏法を説いた
   僧のこと。鉾頭は日、月、星を表し、その形が州浜に似ている
   ことから、別名「すはま鉾」とも云われます。
   この放下鉾の稚児人形は巡行の時に稚児舞を演じます。

22.岩戸山(いわとやま)くじ取らず
   日本神話「天岩戸伝説」に由来する山。
   元々は担ぐ舁山(かきやま)だったけれど、室町時代末期に
   曳山(ひきやま)に変更されています。このように山を
   名乗りながら外見は鉾そっくりと云う山も幾つかあります。

23.船鉾(ふねぼこ)くじ取らず
   神功皇后の出陣に由来し、別名「出陣の船鉾」。船首には
   金色の鷁(げき)を飾り、船尾には黒漆塗螺鈿の「飛龍文」の
   舵を飾る。二本の旗竿には紅白の吹き流しと長旗をなびかせて
   います。皇后に巻かれた晒しは巡行後安産のお守りとして
   授与されます。

24.北観音山(きたかんのんやま)くじ取らず
   「上り観音山」とも云われ、あとの祭の先頭を行く山。
   この山も元々舁山だったけれど、今は鉾とそっくりです。
   真木が松になっているところに山の名残があります。

25.橋弁慶山(はしべんけいやま)くじ取らず
   謡曲「橋弁慶」に由来します。ご存じ弁慶と牛若丸が
   五条の橋の上で戦う様子を再現しています。
   牛若丸が下駄の歯一枚で橋の擬宝珠に立つ姿の巧みさは
   見応えがあります。

26.役行者山(えんのぎょうじゃやま)
   修験道の開祖役行者が葛城と大峯山との間に橋を架けたと云う
   伝説にちなむ山。

27.鈴鹿山(すずかやま)
   鈴鹿山中にひそむ悪鬼を退治した鈴鹿権現に由来する山。
   瀬織津姫命である女人姿は巴御前がモデルとも云われる。
   松には数多くの絵馬が飾られ、巡行後盗難除けのお守りとして
   授与されます。

28.浄妙山(じょうみょうやま)
   平家物語の宇治川の合戦を表現している山。
   一番乗りをとげようとした僧兵筒井浄妙坊の頭上を
   一来法師が飛び越える様子を再現しています。
   物語のなかで法師が述べた「悪しゅう候、ご免あれ」と
   云う言葉から、別名「悪しゅう候山」。

29.八幡山(はちまんやま)
   石清水八幡宮を勧請した町内の八幡様を祀る山。
   鳥居の上には左甚五郎作と伝わる鳩が二羽向き合っています。

30.鯉山(こいやま)
   登竜門の語源ともなった鯉が竜門の滝を登る様子を再現して
   います。この鯉の像も左甚五郎の作と伝わります。
   立身出世のお守りが出されます。

31.黒主山(くろぬしやま)
   謡曲「志賀」に由来し、六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を
   見上げている様子を再現しています。
   粽に添えられる造花は前年の山に飾られていたもので、
   悪除けとして粽と同じように戸口に掲げる風習があります。

32.南観音山(みなみかんのんやま)くじ取らず
   「下り観音山」と云われ、巡行の最後を務めます。
   楊柳観音、善財童子を祀り、諸病を防ぐと云われる柳の大枝を
   山の後ろに垂らし、四隅に菊竹梅蘭の木彫りの薬玉を飾ります。
   巡行日当日、この南観音山では今年も女性の囃子方が鉾に乗る
   ことになったようです。

休み山、鷹山(たかやま)
  鷹を据えた鷹匠、犬を連れた犬飼、粽を食べる樽負と云う
  面白いご神体です。別名「樽負山」。これらご神体は
  現存しており、例年、宵山で公開されます。

休み山、大船鉾(おおふねぼこ)
  現在巡行する船鉾を「出陣の船鉾」と云うのに対し「凱旋の
  船鉾」と云われる鉾です。船首には龍の頭を飾っていたと
  記録には残り、神面や舵などの一部懸装品が現存します。

休み山、布袋山(ほていやま)
  布袋山も懸装品の一部が現存しており、宵山で展示されます。

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