/// 安井金比羅宮 ///  (00/12/06)

 安井金比羅宮は安井の金比羅さんとして親しまれます。
ここの住所は下弁天町、そのお隣は毘沙門町、徒歩5分ほどの所には
商売繁盛で名高い京都七福神のひとつ「ゑびす神社」もあります。
この辺り、なにやら縁起の良い地名、社が残ります。

ちなみに京都七福神と御利益は、ゑびす神=ゑびす神社(商売繁盛)
毘沙門天=東寺(七福即生)、 弁財天=六波羅蜜寺(福徳自在)、
福禄寿=赤山禅院(延寿福楽)、寿老神=革堂行願寺(不老長寿)、
布袋尊=万福寺(諸禄吉祥)、大黒天=松ヶ崎大黒天妙円寺(開運招福)。

話は逸れましたが、金比羅宮の祭神は崇徳天皇(すとくてんのう)、
大物主神(おおものぬしのかみ)、源 頼政(みなもとのよりまさ)。

その歴史は古く、奈良時代より前に藤原鎌足が堂宇を創建して、境内に
藤を植え家内の隆盛と子孫繁栄を祈願し藤寺と称したのがその始まりと
伝わります。
その後、後白河天皇の詔によって光明院
観勝寺と改められますが、応仁の乱によって
荒廃してしまいます。江戸の世となり
元禄8年に太秦安井と云うから、現在の
右京区にあった蓮華光院が移建された時に、
その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の
金刀比羅宮より勧請した大物主神と、
源頼政を祀ったことから安井の金比羅さん
として知られるようになります。

明治維新の後、廃仏毀釈によって寺は大覚寺に
没収されて安井神社と改称、そして戦後、
安井金比羅宮の名を受け現在に至っています。

ここ安井金比羅宮は京都では縁切り・物断
(ものたち)と縁結びの御利益の神社として
知られています。
これには祭神である崇徳天皇に大きな
関わりがあります。
早良親王が怨霊となって都を騒がせたのと
同じく、崇徳上皇も保元の乱で敗れ、讃岐へと
流されますが、その地で全ての物を断った
崇徳上皇は五部大乗経を血書すると共に
「われ日本国の大魔王となり、皇を取って
民となし、民を皇となさん」としたため、
恨みを残し没します。

この後、天変地異に見舞われた都では
崇徳上皇の祟りと恐れ、上皇に崇徳天皇の
追号をなし、祟りを鎮めようとします。
この当たりも早良親王の話と類似する
ところですね。

この崇徳天皇の物断に由来して、安井金比羅宮は
縁切り・物断の御利益神社として知られます。
本殿脇に縁切り縁結び碑(いし)、高さ1.5m、
幅3mの巨石があり、中央の亀裂を通じて
神の力が下の円形の穴に注がれているとか。
まず、身代わりとなる形代(かたしろ)に願い
事を書いて、碑の表から裏へ穴を通って悪縁を
切り、裏から表へ通って良縁を結びます。
そして最後に形代を碑に貼って祈願します。
今では数多くの形代が貼られており、縁結び碑
自体も見えなくなるほどです。
また祭神、大物主神は、古くから道開きの神として信仰が厚く、
讃岐(香川県)の金刀比羅宮も海上交通の守り神とされているように、
ここ安井金比羅宮も海上交通の安全信仰でも知られています。
そして、民俗学上貴重な絵馬を展示する金比羅絵馬館もあります。

祇園に近いと云う場所柄、店の女将さんや芸妓、舞妓さんの信仰も厚い
安井金比羅宮です。
東山安井バス停すぐ、祇園バス停から歩いても10分ほどです。

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