/// 八橋検校 /// (05/06/07)
![]() |
京土産の定番「八ッ橋」。 今では八ッ橋と云えば生八ッ橋を 思い浮かべますが、元々の八ッ橋は 白米粉に砂糖を入れ、こねて蒸した 後に、ニッキなどを加えて薄く のばし焼く、という素朴なお菓子です。 その由来は八橋検校(やつはしけん ぎょう)と称する江戸初期の人物に よります。検校とは往時における目が 不自由な人々の組織「当道座」での 最高官位の名称。他に別当、勾当、 座頭などがあり、映画でお馴染みの 「座頭市」もこれに由来します。 |
![]() |
諸説ありますが、福島県生まれで 大阪、京都、江戸、諫早などでの 修行生活の後、寛永十六年(1639)に 上洛した折に、当道座における 最高官位「検校」に任ぜられ、 上永検校城談と称しました。 後に、その名を「八橋」に改め、今に 伝わる八橋検校となります。 検校は箏曲(そうきょく)における 革新的な技法を編み出した人物として 知られるようになり、その名を高めます。 「六段の調べ」、「八段の調べ」の 作曲者とも云われ、これら楽曲はよく 耳にする音楽です。一説にはこれら 楽曲は北島検校の手によるものと云う 説もありますが、京都で箏曲八橋流を 広めた人物が八橋検校でした。 |
![]() ![]() |
その八橋検校とお菓子の八ッ橋との 関係は、検校が亡くなり、そのお墓が 黒谷さんこと、金戒光明寺の今は ”八ッ橋寺”とも云われる常光院に設け られたことによります。門弟達がその 遺徳を偲び、参詣者らに琴を象った 米粉の焼き菓子を振る舞ったことが その由来とされます。 今の生八ッ橋は、堅焼き八ッ橋を焼く 前の蒸した状態のもの。それに餡を くるんで出したところ、好評だった ところから、生八ッ橋が誕生したとの ことです。 |
![]() ![]() |
この12日は八橋忌、法然院、常光院で 法要などが行われます。ただ、かつては 参拝できたけれど、今では内々の行事と なっています。常光院はともかく、 法然院と八橋検校のつながりがよく 判らない〜〜? ところで、今年の春から井筒八ッ橋 本舗ではキャラクター人形の”夕子” さんが登場、これまでの、おたべの ”おたべちゃん”と妍をきそうことと なっています。”おたべちゃん”は ちょっとぽっちゃりタイプ、”夕子” さんは細身のしとやかタイプ。 聖護院にある他の二つの八ッ橋の老舗は、 ただ今静観中… |