/// 牛若丸誕生の遺跡 ///  (01/11/29)

 源義経こと牛若丸は源義朝と常磐御前
との間に生まれたと、「源義経と鞍馬寺」の
話の中でも紹介しましたが、その牛若丸の
出産の折りに産湯に使ったと伝わる井戸が
残ります。
今宮神社の北側、歩いて10分ほどでしょうか、
北山通の少し南に井戸はあります。「牛若丸
誕生井」と刻まれた石碑の後ろに今も井戸は
水を湛えています。

また、この石碑のすぐ後ろには牛若丸の胞衣
(えな)、胞衣とは胎児を包んだ膜と胎盤の
ことですが、それとへその緒が埋められて
いると伝わる胞衣塚があります。畑の真ん中、
一本の松が立つ場所がそれです。
今回、私が訪れた時、畑仕事をされている
人がおられたので、声を掛けると快く畑の
中に入れて下さいました。
と云う訳で、井戸もこの目で見ることが出来、
胞衣塚と刻まれた小さな石碑も見ることが
出来ました。
ところが牛若丸が使ったとされる産湯の
井戸と伝わるのはここだけではないのです。
ここから直ぐの所にも、今は石碑だけが
残るのみですが、その歴史を伝える場所が
あったりします。
この近辺、牛若丸にまつわる話、伝説には
事欠かないようで、牛若丸町があるかと
思えば、牛若と云うバス停があったり、
牛若通も存在します。母である常磐御前の
守り本尊でもあった復帯地蔵を祀る光念寺も
近くにあります。また、常磐御前が牛若丸の
安産を祈願して寄進したと云われる菩薩像が
残る常徳寺も牛若通に面して残ります。
今でも常徳寺地蔵として地元では信仰も
篤いお地蔵様だとか…
一説には牛若丸が鞍馬の剣術修行で疲れた
身と心を癒すために度々訪れていたのも
母の面影あるこの地だったとか。。。

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