「三位一体」の誤用・乱用について
                               永井春子(香里園教会元牧師)


 小泉内閣が三位一体改革を提唱してから、「三位一体」という語の乱用・誤用が目立っている。
ある一流(?)新聞でさえ「秋深し。飲み過ぎ、食い過ぎ、太り過ぎの三位一体の季節」などと
ひどい用法をしていた。(もっともこの方は抗議したらすぐに止めてくれたが。)
 キリスト教でいう父・子・聖霊の三位一体の「位」とは「存在様式」を、「体」は本質で、一体
で「同質」であることを意味している。すなわち、「本質においては一つであるが、三つの神格的
存在様式をとっている」という意味で、それは「三位一体なる神」の形容語であるから、けっして
「神」と切り離してはならない。アウグスティヌスは「三位一体とは畏れをもって承認すべき神の
秘義である」と言った。
 これに対して、小泉内閣の「位」とは何か、「体」とは何かよく分からない。三つ組、三つ一組
という意味なら、トリアスとかトリオ、三本立てとでも言うべきである。もっと内容を明確にして
「財政の三機関の一本化」とか「○○の三構造の一元化」等々、言いかえた方がよい。このように
「三位一体」とはおよそ見当違いであるので、今後誤用のないようにしていただきたいものである。
 ちなみに、聖書の中にはトリアスに当たるものは多く出てくる。国の統治は「王・預言者・祭司」
の三職から成る。愛は「神・自己・隣人」への愛の関連性をもっている。「いつまでも存続するも
のは信仰と希望と愛とこの三つである。」、人間の構成要素としての「からだと心と魂(あるいは
霊)」など、これらはトリアスとかトリオ(三つ一組)と言うが、三位一体とは絶対に言わない。

※私は日本キリスト教会大会教育委員会からの依頼により、『青少年のためのキリスト教教理』を
書きました(1973年)。これは小学5・6年生から中学1・2年生の少年少女のためにキリス
ト教の教理について問いと答えおよびわかりやすい解説をつけたものです。今ここにその中の「三
位一体なる神」の項を引用して、正しい認識の一助となることを願っております(永井春子)。


 問105 父なる神さまと、子なる神さまと、聖霊なる神さまは、三人の神さまなのですか。
 答    いいえ、三人ではなく、ただお一人の神さまです。

 問106 ただお一人の神さまが、なぜ、また、どのように、父なる神さま・子なる神さま・聖
            霊なる神さまに分かれているのですか。
 答    それは、神さまが恵み深く、自由なかただからです。神さまは、その三つの在りかた
            で、ご自分の中に交わりをもって存在していらっしゃいます。
      神さまは、その三つの在りかたで、わたしたちにご自分を示してくださいます。神さ
            まは、三つの在りかたで、わたしたちをお救いくださるのです。

 問107 唯一の神さまが、三つの在りかたで、いらっしゃるのを何といいますか。
 答    三位一体といいます。

 問108 では、神さまが、三位一体なる神さまとして、お働きくださるみわざを、まとめてく
            ださい。
 答    創造・和解・救いの完成です(和解は贖罪、救いの完成は聖化ともいう)。それゆえ、
            教会の祝祷(Uコリント13・13)も、三位一体においてなされる神さまの恵みを
            示していますし、わたしたちに授けられる洗礼も、三位一体なる神さまのみ名によっ
            て行われるのです。

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