このページではベルセルクにおける数々の謎等を独自に考察しています。
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○生贄の謎1〜グリフィスの生贄〜

 グリフィスは断たれてしまった夢への道を再び歩むため生贄を捧げた。
 私は現在まで、その生贄とはグリフィスに残された全て、すなはち「鷹の団」だと思ってきた。

 実際、ゴッドハンド達は
 「あなた達は天使降臨のための大切ないけにえ」
 「お前達の生は、この聖なる時の接合点”蝕”に向けてつむがれたもの」

 など複数の対象を指す内容の話をしているし、生贄の烙印も複数の対象に焼き付けられている。

 しかし、この解釈には下記2点の問題がある。
 1つは同じ鷹の団であってもリッケルトは生贄として見なされていない点。
 1つは鷹の団を抜けたはずのガッツが生贄とされている点。

 この2点をうまく整合性を取って解釈すれば 「その場にいたかどうか」によって生贄の対象か否かが決まったということになる。極論すれば、生贄として捧げられたのは「鷹の団」そのものではなく、あくまでその場に居合わせた者達が偶々「鷹の団員」だったということだ。

 しかしながら、降魔の儀においてはその人にとっての「心の拠り所」とも呼べる者を生贄として捧げる必要がある。これは人間性の喪失と引き換えに望みを叶えるというものであるから、これは誰でもよいという訳ではない。
 従って、上記解釈は根本的に大きな矛盾があることが判る。
 仮に因果律が実在し、あの場にいた全ての者の運命がその様に決まっていたとしても「グリフィスに残された全て」=「鷹の団」であれば、当然「鷹の団」員であるリッケルトとて例外なく集っていたはずだから、この矛盾を否定できるものではない。

 話は少し脱線するが、かつてガッツとキャスカが崖下へ転落した時のことを思い出してほしい。
 このときグリフィスは次のように言っている。
「あの二人は鷹の団の要です。失うわけにはいかない」
 これは簡単に言うと、この二人さえいれば「鷹の団」は成り立つと言っているようなものだ。

 ここから1つの仮説として、グリフィスが生贄に捧げるべき対象としては、「鷹の団」全てでなく「ガッツ」と「キャスカ」さえいれば十分で、他の者はその事件に巻き込まれただけだという解釈をたててみた。

 グリフィスに残された全て(すなわち「鷹の団」)の最も濃いエッセンスを包括している二人は実質的な「鷹の団」として生贄の対象には十分である。それと同時に、あの場に居るべき多数の人間は誰でもよいこととなるから、リッケルトが生贄の対象外であっても不思議ではなくなる。
 この仮説は今までの矛盾を十分解消している訳である。

 多数の人間が生贄とされるのは、「蝕」という現象において必須条件なようだ。再生の塔の地下及び「赤い湖」の予言に照らしてもそういうものであるらしい。
 蝕における多数の生贄の必要性に関して、復讐の叫びサンから次のような興味深い意見を頂いている。

 ゴットハンドへの転生は、単に生贄を捧げるだけでなく、生贄とされた者達による苦痛・苦悶を強大な力の糧として成立するのではないか。
 又は、一定量以上の苦悶・苦痛がなければコッドハンドに転生できないのではないか。

 これは「生命力が強ければ強いほど、苦悶が続くほど、新しい闇の糧となる」とスランが言ったことと見事に符合しており、蝕の本質に迫るものだと考える。
 蝕における特徴的事象として「宴」というものがあるが、生贄に苦悶・苦痛を与える儀式、つまりそれが「宴」なのだと言えるのではないか。あの場に人外の者が集められたのは、単に「乱痴気パーティー」のためだけではなく儀式遂行のための義務だったと考えると、蝕が「神事」であることに結び付くのかも知れない。

 しかし、グリフィス在る所「鷹の団」在りとしても、あの状況下で組織が崩壊せずアレだけの人数を保っていた方が不思議なくらいだ。それだけグリフィスのカリスマ性が強かったか、それともキャスカの統率力が優れていたせいか・・・。
 どうもハッキリしないが、「因果律」がなくとも多人数の生贄が確保できたかは疑問が残る所ではある。


 ところで、グリフィスは降魔の儀に際して生贄を捧げるという行為にでたが、終始その瞳はガッツしか見ていなかった。
 しかも「捧げる」と言いながら、その場に現れている心情は「唯一人お前(ガッツ)だけがオレに夢を忘れさせた」というものであった。

 この描写に関して以前から私はどうしても引っ掛かていたため、グリフィスにとっての生贄は「ガッツ」一人だけでもよかったのではないかとも考えてみた。
 グリフィスにとって残された全ては「ガッツ」だけであり、他の人間はどうでもいい存在だったという解釈である。

 この考えに従えばキャスカでさえあの場に居なくてもよいことになるが、確かに上記の対象二人説(「ガッツ」と「キャスカ」)と同様に矛盾の説明には困らない。
 しかし、幌馬車でグリフィスが見た夢はキャスカと暮らす自分自身であり、この夢からしてキャスカがどうでもよい存在だったとは考え難い。あるいはそれすら妥協の産物だったのかもしれないが、いずれにしてもキャスカはグリフィスの心にと留まっていたわけである。

 降魔の儀は「人間性を断ち切る」ための生贄を要求するが、妥協などは人間性そのものといっても過言ではない。むしろ、そこに繋がる道がある以上その者の人間性は失われないだろう。
 こう考えると、「ガッツ」一人がグリフィスに残った全てと考えるのは無理がある。ガッツが比重としてはかなりの部分を占めるとしても、やはり「キャスカ」抜きでは考えられないようだ。

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