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○因果律の崩壊(復讐の叫びサン貴重なご意見有り難うございました。) ベルセルクにおける事象の全てに共通するプロット、それが「因果律」である。 これは「初めからそう在るべく決まっている」というものであって、何らかの法則性が在るとは考えられるが、「本当に実在するのか」、「何処から何処までが該当するのか」などその定義は不明な点が多く、逆にいかようにも解釈できる点で他の謎とは一線を画すものである。 復讐の叫びサンの解釈によれば、既に因果律の崩壊が始まっているという。ベルセルクの世界は「因果律」によって全てが決定されているにも拘わらず、僅かながら予定されていない特異点というものが存在しているのが一例であり、そうした特異点によって生じる更なる予定外の積み重ねが最終的に「因果律」を崩壊させるのだというのだ。 そして復讐の叫びサンは更に次の様に述べている。 「世界の形が変わり始めた」というグリフィス受肉後の一節は、単に「グリフィスによる暗黒時代の幕開け」を示すだけでなく、同時に「因果律に支配されてきた世界の崩壊開始」をも示している。 ガッツが蝕で生き延びたことは予定になく、また、ガッツの子をしてグリフィス受肉の触媒としたことは「因果律」にとって不都合である。 この予定外の連なりが因果律の崩壊を導いたのではないか。 私自身、考察「髑髏の騎士の目的」でも書いているが、因果律の崩壊については考えたことがあるため、この意見についてはかなりの部分で賛同できる。 さすがに、その特異点が因果律の崩壊レベルにまで至っているとは思っていなかったが・・・。 また、ガッツが産まれた事自体が予定外のだったのではないかと考えて、「深淵の神」のよって造られたグリフィスの”アンチテーゼ”としてガッツの存在意義があるのではという解釈もしてみたこともある。 最初にも述べたが、実際問題、「因果律」の定義が曖昧すぎるため、その崩壊の可能性があるのかさえも確実にいうことができないのは口惜しい所だ。 ところで、私は最近(断罪篇の終わり頃から)全く別の考えを持つようになっているので少し追記しておきたいと思う。 髑髏の騎士の言葉を思い出して欲しい。 「時の接合点にはあやつらにすら予測できぬ特異点が存在する。」 この言葉は、予測できないのはあやつらであって「因果律」自体にとっては予定外ではないことを物語っている。 辞書によれば、因果とは「原因と結果」のことで、これらは未来の「結果」に対する「原因」としての現在と言う関係にある。俗にいう、「風が吹けば桶屋が儲かる」というやつだ。 (「因果」と「因果律」は似て非なるものであるらしい) しかし、「因果律」が「全てがそう在るように定めらた」法則であるならば予定外は存在しえなくなくなるはずなのに、実際は「因果律」を支配するはずのゴッドハンドにとって予定外が生じている。 これは結局、ゴッドハンドが不完全な存在であると同時に、ゴッドハンドは「因果律」を支配しているわけではないことを意味している。 こう考えたとき、「因果律」は本来実在せず、むしろ「因果律、そういう決まりが存在する」と唱えることで、人々の理不尽な運命を呪う感情を増大させ、「深淵の神」の力を更に増強させる一種の方便・方法なのではないかという解釈に行き着いた。 蝕においてスランが次のように言っている。 「でも皮肉ねあの子の生命力が・・・あの子の苦悶が続けば続くほど、それは新しい闇の生命のかけがえのない糧になるのよ」 従って、「深淵の神」やゴッドハンドを倒すには、因果律を破壊・崩壊させるのではなく、「他の何かに頼らない」・「何かのせいにしない」・「仕方なくない」という人々の意識改革がハッピー・エンドに繋がる道なのではないかと最近思っている。 |
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